049 バカ正直は騙されやすい


「地図を作りたい」


 交流関係の改革に乗り出している間にも、イツキは新たなる行動に着手しようとしていた。

 求めていたのは、この世界の大きな地図。

 それもなるべく、細かく書き記されたものだ。


「……わたしが描くです?」


「ああ」


 かつて江戸時代に、実測にて日本地図を完成させた伊能忠敬のように、菜乃子の『鑑定士』なら似たようなことが可能だと見込んでいた。


「俺たちが知っているのは、この校舎と食人鬼の森。あとは精々、森を越えた先の危険地帯から現れるギフトアプフェルくらいだ。自分たちが置かれている環境を理解せずに、生き抜くことは難しい」


 現代世界とは何もかもが違う。

 『血溜まりの夜』のような、初見殺しに近い災害もありうる。


「というわけで、菜乃子はしばらくマッピングの仕事を任命する。遠出することになるだろうから、護衛が必要だな。えーっと……」


 わざとらしく悩んだイツキは、ある人物を思い浮かべた。


「よし、決めた。松下さんにしよう」


「へ?」


 松下華音、序列6位 『重戦士』

 梅木一派に所属していた、校舎組の中で最も肩身の狭い思いをしている少女である。


「俺もついていくから、安心して。有意義な旅にしよう」


「また悪巧みしてそうな気がします」


 騙されてたとはいえ、殺そうとした側と、殺されそうになった側。

 学級裁判以降、明らかに意気消沈する彼女の対応に、とうとうイツキは乗り出したのである。



 ◆



 松下華音という女子高生は、誤解を招くことを承知で言い表すなら、『馬鹿正直』である。

 駆け引きや打算が苦手で、信頼した相手のことは根拠がなくても信じてしまう。固く結ばれた友情と言えば聞こえがいいが、結局のところは盲信に近い感情だ。「そうしなければならない」「そうすることが正しい」

 現実に自分の理想を重ね、自ら思考することを止めて一心不乱に背中を追いかける。信じるに足る相手に巡り合えたら力を発揮するが、相手を選ぶほど頭が回るわけではなかった。善悪の境界線というのは、人が思うよりも判別が難しい。


「…………」


 だから彼女は、ここに残った。他の梅木一派のように、逃げることを良しとしなかった。結局、彼女は信じる相手を間違えてしまったのだ。そんな自分の性質を、嫌というほど思い知らされている。


 地図作成の護衛について、彼女は二つ返事で了承した。『馬鹿正直』な彼女は、重要な任務を与えてくれたことを素直に喜んでいた。名誉挽回のチャンスだと、ぐっと拳を握りしめるが。


「……食人鬼も、随分と減ったなあ」


「ですねえ」


 護衛なんて必要なのかと思うほど、彼らは躊躇なく先頭を進む。『重戦士』の性質上、彼女は『鍛冶士』に制作してもらったアーマーに身を包んでいるため、歩く速度が遅いのだ。これらの装備は、本来、森の中を進むには向いていない。非戦闘職であるはずの彼らにすら、ついていくことだけで精一杯だった。


「……っ」


 だが、無様な姿は晒せない。荒い呼吸を必死に堪えて、平然と背中を追いかける素振りをする。心配されたくなかった。……いや、それは違うか。心配すらされずに置いていかれる恐怖に、彼女は囚われていたのだ。


 ――梅木がやったように自分をどこかに置き去りにしていくのでは?


 自覚してしまえば、汗が止まらなくなる。

 だが、本意を確認できるほど豪胆な性格なわけでもない。


 そんな華音の様子に気付くこともなく、イツキと菜乃子はぐんぐんと森の中を進む。やがて、目的地に辿り着いた菜乃子は、紙を広げて書き込み始める。


「少し、休憩だ」


「……ふぅ」


 息を殺しながら、ゆっくりとその場に座り込む華音。未だに彼女は必死に息切れを隠そうとしているが、実のところ菜乃子は彼女の様子に気付いていた。だが、見て見ぬふりをするのも優しさだと、彼女は目を逸らした。


「…………」


 『鑑定眼』の力によって、あたりの立地が頭の中に浮かび上がる。それらを端的に書き込みながら、校舎と森の位置関係を気にしつつ、マッピングしていく。


「しかし……広い森ですね。入り組んでいますし……まっすぐ歩くことすら困難です。『鑑定眼』がなければ、実測すら難しいですよ」


「『狩人』の中里さんも似たようなことを言っていたな。この森は、樹海ほどではないにせよ迷いやすいって。本来の規模よりも大きく感じるのは、流れる魔力のせいだとか」


「だけど地図が完成したら、森を抜けるのも簡単になります」


 闇雲に森を進むことはなくなるだろう。


「……そういや、死体がなかったな」


「え?」


「壮哉の死体だよ。さっき、近くを通りがかったんだが、何もなくなっていた。食人鬼が食い散らかしたにしては、何もなさすぎた」


 梅木の衣服や装備すら、何者かに持ち去られていた。


「……怖いこと言わないでくださいよ。まさか、生きていると?」


「四肢切断の上に首を刎ねられた人間が、生きているわけないさ。だが……やはり死体は持ち帰るべきだったかもしれない」


「……きっと、あの二人だ」


 静かに、華音が会話に参加する。


「知花と元弥が、壮哉の死体を埋葬したのだろう。あの二人は、仲が良かったから……」


 意外な言葉に、目を丸くさせるイツキと菜乃子。


「いや、それはないかな。埋葬する余裕なんて、あいつらにはない」


「……それもそうか」


 華音が口にしたものは、こうあってくれたらいいのにな、という妄想だ。無論、絶対にないとは言い切れないものの、その確率は著しく低い。校舎から逃げる彼らが、悠長なことをしているとは思えない。


 梅木壮哉の死体が消えたことは、心の隅に留めておく。何事もなければいいが、万が一ということもある。校舎の周りの糸の罠を、少し強化しておくべきかもしれない。


「なぁ……大崎……何故、私を放置しているんだ?」


「ん?」


 少し勇気を出して、華音は質問をぶつける。


「今回の遠征にしたって……私は……置いていかれるものだと思っていたが……そんな素振りは見せないし……あの日以降、普通に接してくれている。むしろ私の方が、罪悪感で押しつぶされそうだというのに……」


「…………」


 それこそが、イツキの狙いなのだが。

 どうやら彼女は、そこまで考えに至っていないらしい。


「……結局さ、誰かを排除するやり方って、あんま上手くいかないと思うんだよね」


 呆れながらも、イツキは答える。


「そりゃ、どうしても排除しなきゃいけないやつってのはいるよ。俺からしたら、壮哉は明らかに危険思想を抱えていたし、それに共感する奴もやべえ。松下さんみたいに、無垢に信じてしまう連中も出てくるからな」


「う……」


「だけど排除は、本当にどうにもなくなったらだ。結局のところ、サバイバル生活ってのは、マンパワーが最も重要だ。本来なら俺たちは、クラスメイト全員一致団結する必要があったんだよ」


 天職の割り振りからも、それは明らかである。与えられた能力は、専門職に特化している。明らかに、協力し合うことを想定した割り振りだ。


「許すか、許さない、じゃないんだよね。俺は、松下さんを許さなければいけなかった。だからあの日、『なかったことにする』しかなかったんだよ」


 『聖女』も『料理人』も『風術士』も『重戦士』も、いつか必ずその能力が求められるときがやってくる。異世界だって、社会だって、同じだ。いかにして反りの合わない相手と協力していくかが、重要なのだ。


「幸いなことに、俺は天職に恵まれている。多少のイタズラ程度なら、無警戒でも防ぐことができるからな。過敏になって警戒する必要はどこにもない。松下さんが背中から切りかかってきたところで、別に問題はないのだから」


 絶対的な優位性を確信しているからこそ、『なかったこと』にした。それが、イツキなりのこの世界の攻略法である。


「……私は、天職に救われたのか」


「いんや? 結局、天職があってもなくても同じだよ。獲物を狩猟して、作物を育てて、水を汲んできて、調理をして、身を守って……人手なんて、いくらあっても足りない。そりゃ、人の数だけ問題は起きるだろうが、それでも数は重要なんだ」


 わだかまりも憎しみも険悪さも、そのすべてを平らげて消化して見せる。結局のところ、イツキは自分の復讐よりも未来を優先したのだ。物言いが苛烈だったのは、その場を納得させるための方法にすぎない。


「それに、楔は打たせてもらっているよ」


「……何のことだ?」


 不吉なオーラを感じた華音は、とっさに後退する。


「要は、戦闘職が暴走しないように手は打ってあるってことだ。その中身を知りたいのなら、反旗を翻してみれば良い。命の引き換えに、答え合わせをしてあげる」


「……勘弁してくれ。私にはもう、そんな意志はない……」


「うん、知ってる」


 今も菜乃子が、彼女の言葉の真贋を探っている。


「だから今回のマッピングの護衛を頼んだんだ」


「……そうか」


 ふっと、諦めたような笑みを浮かべる華音。

 だが、彼女は結局のところ、イツキの言葉の意味を理解することはなかった。


「随分と、聞こえが良いように言いましたね」


 ぼそりと、菜乃子が声を漏らす。


「結局は、松下さんの罪悪感を利用して、危険な遠征の盾にしているだけなのに」


 天職にも、優先度がある。

 失ってはならない能力は、危険な目に遭わせる訳にはいかない。そしてそのほとんどが、非戦闘員の生産職である。言い換えるのなら、戦闘職は失ってもまだ替えがきく。


「それでも彼女が盾として一番優秀だから」


 『重戦士』松下華音は、どこまで命を張って、イツキたちを守ってくれるのだろう。

 そのとき初めて、彼女の価値が決まるのだ。

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