050 『聖女』と『盗賊』


 校舎の裏手には大きなプールが備え付けられている。当然、水道は通っていないため水を貯めることはできないのだが、先日の豪雨によって彼女らの予想以上に満たされていた。


「…………」


「…………」


 屋上からプールを見下ろしていた楠本神美は、『盗賊』の特性を生かして見張りの任務に着いていた。彼女の天職は、単独行動や隠密行動に適しており、索敵能力がものすごく高い。また、視力や聴力がとんでもなく強化されており、見晴らしの良い場所で構えるだけである程度の襲撃は察知できる。


「…………」


 そんな彼女を見つめているのは、『聖女』平山聖凪だった。彼女は、主に結界を張って校舎を守ることが役目である。自分が結界内にいなければ発動できないため、留守番をすることが多かった。


 この二人の組み合わせは、転移前でもあまり見られることはなかった。片や、堅物の才女にしてカーストトップの優等生。片や、型破りで自由奔放な野良猫のような不良娘。何一つ共通点のない二人が、相互理解の名目のもとに引き合わされる。


「……あなた、本当に見張りをしているの?」


「んあ?」


 うつらうつらと、眠りに落ちかけていた神美に、声をかける。


「あー……まぁ、そうだけど? なーんにも問題ねーぞ」


 めんどくせえな、という感情がありありと伝わってくる。聖凪がいなければ、とっくに持ち場を放り出して自由気ままに行動していたはずだ。適当な彼女は、サボりの常習犯である。


「そもそも、てめーの結界のせいで魔物なんて近付いてこねえんだよ。あたしの見張りが役に立ったことなんて一度もねえぞ」


 平常時では、『聖女』の能力である『隠匿結界』が張り巡らされている。これにより魔物は校舎の存在を察知することができない。もし、校舎が危機的な状況に陥ると、聖凪の意志一つで『神聖結界』に切り替わり、今度は外的の襲来を一点を除いて拒絶する。二枚の結界が、校舎組の命綱であった。


 『聖女』もまた、守りに関してはチート級の能力を誇っている。その力を最大限に発揮できていないのは、聖凪自身が自分に何も期待していないからだろう。


「そんなことを言われても……」


「だからあたしは、テキトーにやってんだ。ま、そうはいってもそれなりには警戒してやっから、安心しろ」


 といいつつも、彼女自身は自分の見張りの重要性を理解している。ここは、何が起きるかわからない異世界だ。結界の通じない相手だって現れてもおかしくない。


「…………」


 だが、一見して神美の振る舞いは、その場しのぎの短絡的なものにしか見えなかった。他人からどう思われようとも気にしない神美は、やはり優等生から厳しい視線にさらされる。


「好き勝手振る舞えて、羨ましいって面してんな。なんだよ、文句があるならはっきり言いな?」


「……!! べ、別に私は……」


 具体的に何かを言いたかったわけではない。だが、なんとなく、本気になっていない感じが気に食わなかった。自分はこうも必死で努力しているのに、彼女はのらりくらりと毎日を生きている。揃わない足並みが、彼女の焦りを生むのだ。


「大崎の仕込みが随分効いてやがるなぁ」


「……何のこと?」


「ほら、『なかったこと』にしてくれたわけだろ? だけどそのせいで、役に立って、挽回しなきゃって想いに駆られている。それこそが、あいつの狙いだからな」


 躊躇うことなく、神美は暴露する。


「そうすりゃ、お前らは無限に頑張るしかないだろ? そもそも、『聖女』の能力はチート過ぎて切り捨てられるはずがねえ。大崎にとって、てめーは必要な存在なんだよ。あたしだったら、それでも開き直るけどね。結界が欲しいなら、養えっつってな!」


「そ、そんなこと、できるはずが……!!」


「だろうなぁ。相手があたしだったら、大崎はこんな手を使わなかったろうよ。相手を見て、それが効くから判断したわけだ。おもしれー、ビビるくらい上手くいってるぜ」


 善人にしか通用しない、罪の意識の積立て。こうして性格の合わない相手と仲良くなろうとしていることが、負い目の存在証明である。


「……そうやって、面白がったばかりね。楠本さんこそ、何が目的なのかしら。あなたはからは、私たちと共に生き抜く意志を感じられないわ」


「ああん?」


 初めて見せた聖凪の攻撃的な意志に、にやりと口角が上がる。


「あたしは、生きているって実感してーんだよ。転移前は、生きているのにクソつまんねー毎日だった。だけどここは、凄えよ。いがみ合って殺し合い、騙し合いから裏切りまで何でもアリだ。感情剥き出しにさせてくれるこの世界が、あたしは死ぬほど愛おしい」


「……冗談でしょう?」


 これまでの異世界生活を、良かったと振り返られるものが果たして何人いるだろうか。聖凪のように純粋な思考の持ち主は、このようなイレギュラーを理解できない。


「里穂の野郎だって、ある意味満たされたんじゃねえのかな。途中までは気が狂って暴走してたが、最後は真実に至っていた。羨ましくなるほどの散り際だったよ」


「あ、あなたねえ……!! 丹羽さんの死を、そんな風に言うなんて……!!」


「お前こそ、里穂と心の繋がりに余計な言葉を挟むんじゃねえよ。あの二人に比べれば、てめーは本当につまんねえ人間だな。同じ優等生キャラでも、本橋や梅木の方が百倍マシだっての」


「な、なんですってっ!?」


 本橋大地はともかくとして、クラスメイトを殺戮しようとしていた梅木に劣ると言われて、我慢できるはずもなかった。


「おお、お前もちゃんと怒れるんだな。知らなかったぜ。えーっと、名前、何だっけ?」


「平山聖凪よ!!!」


 茶化されているのだと、彼女はまだ気が付いていない。いいように翻弄されている。


「その調子で、優等生の皮を剥ぎ取っちまえ。ちゃんと生きて、あたしを楽しませてみせろ。それこそが、この終末世界で生きるコツだ」


「何を分けのわからないことを――!!」


 平山聖凪は、予め与えられた課題や問題に取り組むことが得意だった。過去の事例や経験を踏まえて、落ち着いて目の前の課題に対処する。とても優等生らしい、秀才型である。


 だが、現実世界では明らかになっていなかった欠点が、異世界では容赦なく散見される。アドリブに弱くて、身内に甘く、イレギュラーに対応できない。また、義務感や責任感に押しつぶされる傾向にあり、仲間を頼ることが苦手だった。不器用というわけではない。単純に、年齢相応に未熟なだけだ。


 カーストトップですら、出来ないことが山ほどある。だけどクラスメイトたちは、優秀な平山聖凪を求めている。「1位だし」「聖女だし」「平山さんだし」だからこそ彼女は、梅木のようなリーダーに頼っていた。心が、ふっと楽になるからだ。


 そのような苦しみや葛藤を知らない相手に、好き放題言われて――彼女は、自分を抑えられない。


「言いたいことがあるなら、はっきり言えよ」


 自由を生きる彼女は、見透かしたよう笑う。


「うるさいうるさいうるさい! 私だって、私だって――!!」


 ――だが。


「……私だって」


 理性が、感情を押さえつけた。


「…………」


「……ん?」


 ここで子供のように叫べないことが、彼女の弱さなのだろう。

 薄々気が付いていた自分の未熟さを厭味ったらしく突かれて、笑顔を作れる必要がどこにある。そんなものは、大人になって社会に出てから学べば良いことだ。


「……そうかもね。私も、まだまだ未熟だから」


 リーダーなんだから。

 カーストトップなんだから。

 平山聖凪なんだから。


 上手く、やらないと。


 『なかったこと』にしてもらったのだから。


「つまんね」


「…………」


 そんな彼女の頑張りを、神美は当然、鼻で笑い飛ばす。だが、興が削がれたことで不機嫌になった彼女は、予想外の行動に出る。


「お前は本当につまんねー女だな」


「な、何……?」


 彼女の手を引いて、屋上のフェンスにまで近付く。それから神美は慣れた手付きで金網をこじ開けて、屋上から地上を見下ろした。


「あ、危ないわよ!?」


「バカ、これから危ないことをするんだよ」


 困惑する聖凪は、後退しようとするが、神美の手がそれを許してはくれない。


「お前つまんねえから、死んだほうがいいよ。邪魔なだけだし」


「……は?」


 自由奔放、勝手気ままに彼女は生きる。その在り方を、聖凪は目の当たりにする。


「や、やめてよっ!? ほ、本気っ!?」


 聖凪の手首を強引に引き寄せ、屋上のヘリに立たせる。『盗賊』は、戦闘職と生産職の中間に位置する職業だ。身体能力には歴然の差があるため、『聖女』の彼女に抵抗は許されない。


「安心しろって。死ぬのは比喩表現だ。屋上から落ちたくらいで、『聖女』は死なねえよ。……たぶん?」


「た、多分じゃないわよ!? 意味がわからないわ! は、早く離してよ!?」


「お、おい、あんま暴れんなって! あたし、あんま腕力あるわけじゃねえからな!? って、おい、まじで危ねえって――!!」


 錯乱した聖凪が神美の手を振り解こうと暴れまわる。だがそれは、命知らずの愚行でもあった。ちょっと驚かしてやろうと、そういう気持ちで始めた行動。そのツケが、彼女自身の身に降りかかる。


「――あ」


 手首が開放された。


 と、同時。


 その勢いのまま、入れ替わるように神美の身体が宙に投げ出された。


「うそ」


 空中で、目と目が合う二人。


「あ、やべ」


 驚いた神美は、それでもうっすら笑みを浮かべていた。


「やるねえ、聖女サマ」


 大したもんだと笑いながら――彼女は重力に身を任せて、手を広げた。


「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!」


 だが。


 そこからの聖凪の行動は、常軌を逸していた。空中に投げ出された神美を追いかけるように、屋上から身を投げだしたのだ。


「は?」


 神美の身体を抱きかかえた聖凪は、そのまま地上へと落下していく。


「ヤバすぎんだろ、この女」


 案外、面白いやつじゃねえかと、腹を抱えて神美は笑う。

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