047 『狩人』と『農家』


 神野帆南海は、食人鬼の蔓延る森の中を無言で進んでいた。

 幸田・大地ペアと同じように、彼女もまた自分とは全く違う天職のクラスメイトと行動を共にしていた。最初こそしかめっ面を浮かべていたものの、イツキや心の考えだと知ると、すぐに言葉を納めた。


「……大丈夫?」


「気にしないで」


 ペアの相手は、『狩人』中里新奈だった。山に慣れ親しんだ彼女にとって、天職すら足りない神野帆南海は、足手まとい意外の何者でもない。


「……ごめんなさいね」


「別に」


 それでも彼女が帆南海を受け入れたのは、菜乃子の頼みであった。


「デザインしてあげますから、クラスメイトを一人、狩りに連れて行ってあげてください」


「えー……」


 やむを得ないことだと頷いた新奈は、こうして神野帆南海と狩りを共にする。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!!」


 山の道のりは、人が想像しているよりも遥かに過酷だ。舗装したアスファルトに慣れ親しんだ現代人にとって、不安定、急勾配、障害物だらけの三重苦は、体力をごりごりと削っていく。


「…………」


 疲弊しながらも、必死に新奈を追いかける帆南海。

 新奈の予想に反して、帆南海はついてこれている方だった。


「……引きこもりじゃなかったの?」


「『農家』だもの」


「なるほど」


 天職を授けられた者は、それに見合った補正を受ける。足腰が求められる『農家』だからこそ、足を止めずに済んでいるのだ。


「ここから、もっと過酷になるから」


「……わかっているわよ」


 太陽が沈みかけていた。初心者を引き連れながら、いきなりの山中泊。前回、小野寺瑠海が単独でこの困難を乗り越えたが――あれは、『狩人』があってのものだった。


「わかっているから」


 彼女は、どこまでついてくることができるだろう。

 感情のない眼差しを向けながら、静かにそのときの対処法を考える新奈。


「……めんど」


 明らかな、足手まとい。

 もし、ついてこれないのなら――それは、自己責任だ。



 ◆



 過酷な環境に身を置かれていると、ふつふつと怒りのような感情が湧いてくる。何故、自分はこんなことをしているのかと叫びたくなってきた。


「帆南海!」


 最初に言い出したのは、心だった。


「なんか知んないけど、あんま交流がない子とペアを組んで活動するんだって! あたし、『狩人』に立候補したから、あんたも一緒にこないー?」


「え……」


「瑠海と中里さんのどっちかと組むみたいだから、安心でしょ。二人とも、信頼できるし!」


「……まぁ、いいけど」


 『血溜まりの夜』以降、鹿島心は何かに理由をつけて帆南海の元を訪れるようになっていた。少し前の自分なら、辛辣な言葉で彼女を遠ざけていたはずだが、今はどうにもそんな気にはなれなかった。あけすけなく距離を詰めてくる彼女の対応に、少しだけ心地よさを覚えているのだ。


 だから、何も考えずに従った。大崎イツキも、「神野さんのためになる」と笑って頷いてくれた。


 ――だけど。


「ま、まさか、こんなに過酷なものだなんて……!」


 山の中をすいすいと進む彼女についていくだけで、精一杯。疲れているとか、休みたいとか、そういう言葉を口にする暇すらないほどに、彼女は獲物を探して山道を進む。これでも彼女は後ろを気にかけてくれている方だというのだから、恐ろしい。


「天職だけじゃない」


 山とともに、生きている。おそらくは、異世界に来る前からそういう生活をしていたのだろう。


「……っ」


 中里新奈の足が止まったのは、日が暮れる少し前のタイミングだった。


「今日はここで夜を明かす」


「……ええ」


 ようやく休めると、その場にへたり込む帆南海。だが、新奈はきびきびと野営の準備に入る。


「……何をしているの?」


「食人鬼に見つからないようにしているの。夜は、一番危険だから」


 簡単な隠蔽魔法を辺りに施してから、今度は帆南海の身体の匂いをかぎ始めた。


「な、何!?」


「……うん、いいね。女っ気がしない。これなら気付かれにくい」


「それって、褒められているの?」


「さぁ……でも、良かったね。もし臭いが強かったら、泥だらけに汚すつもりだったから」


「…………!」


 ここにいるのは、『狩人』と『農家』だ。ギフトアプフェルはもちろん、食人鬼に見つかるだけで生存率が著しく低下する。特に夜は、足元すら見えない闇に包まれている。警戒しすぎることに越したことはないのだ。


「絶対に、声を出さないで。あと、火は厳禁。朝日が登るまでは、ニナたちは自然に溶け込むの」


「わ、わかったわ……」


 これは、遊びではない。

 本気の生存競争に身を置いているのだ。


「…………」


「…………」


「…………」


「…………まだ、何か用かしら?」


 じっと帆南海を見つめていた新奈は、少し悩んだ素振りを見せてから。


「あなたは、自殺志願者だったの?」


「…………!!」


 手首にはもう、傷口は残されていない。クラス内の事情に疎い新奈が、帆南海の状況を認識していたとも思えない。それなのに彼女は、的確に心を抉る質問を飛ばしてきた。


「……そんなんじゃないわよ。死ぬ勇気すら湧いてこない、メンヘラかまってちゃんよ」


「ああ、そういう感じ」


 どうでも良さそうに、視線を落とした。


「じゃあ、よかったね」


「え?」


「夜の闇は、自分の心を映し出してくれる。本当にあなたは、生きたいの? それとも、死にたいの? もし、後者だったら――」


 新奈は、小型ナイフを地面に投げ渡した。


「朝が来る前に、手首を切れば良い。血の匂いに反応して、お客さんがやってくる」


「……何を、馬鹿なことを……」


 もう、メンヘラごっこから卒業したのだ。前を向くと決めたのだ。今更、リストカットなんて真似をするはずがない。


「私は、頑張るって決めたの。だから、そんなものは――」


「――あなたは、生きているの?」


「え?」


 またしても、心を抉る問いかけ。


「死にたいと願うことを止めただけで、生きていると思ったら大間違いだよ。私からしてみれば、あなたは死体と何も変わらない。ただ、リストカットを止めただけ」


「…………!!」


 容赦のない新奈の言葉に、反論できなかった。

 確かに彼女は、以前と比較して随分変わったように思う。引きこもることをやめ、協力的に活動し、人と話すことを拒まなくなた。乱立していたマイナスを、打ち消し始めているのだ。


 だが。


 彼女にはまだ、能動的に動いているわけではない。あの頃から、本質は何も変わっていないのだ。もし、また何か嫌なことが起きたら、ダイエット後のリバウンドのように、鬱屈した生活に逆戻りだ。


「あなたは何を頑張りたいの?」


「……わからないわ」


 生きるって、難しい。


 心の弱い帆南海にとって、山の中の怪物からの言葉は、あまりにも強すぎる。

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