040 vs『勇者』その2


「――話って、何かな」


 『血溜まりの夜』が訪れた直後、イツキは楠本朱鷺に声をかけていた。菜乃子曰く、彼女は正しさを提供すれば、必ず耳を貸してくれると伝え聞いていた。


「三階の教室と詰所に、糸を接続した。校舎の方角の壁に耳を当てれば、音が伝わって聞こえるはずだ。もし、可能であれば第二班のみんなに聞いてもらいたい話がある」


「……へえ?」


 『勇者』である梅木壮哉は、この混乱に乗じて必ずイツキを殺しにやってくる。だが、単純に返り討ちにするだけでは、意味がなかった。『勇者』を殺した人間を、仲間だと思ってくれるわけがない。だからこそ、『勇者』を殺すために、誰もが納得する理由が欲しかったのだ。


「第三班の様子を逐一報告する。これから起きる悲劇が、証拠代わりだと思ってくれ。そして、『勇者』の化けの皮を剥いでやる」


「……面白そうだね」


 彼女は二つ返事で、了承した。


「だけど、聞くのは私一人かな。正直、無用な混乱を避けたい。それに、一応は『勇者』を信頼して私たちは動いている。今のところは、君の方が疑わしいということをわかってほしいな」


「……ああ」


 そう言いつつも、声色が弾んでいた。彼女が聡明であればあるほど、勇者に対して疑いを持って生活していたはずだ。そうでなければ、これほど簡単に頷いてくれるはずがない。


「本当に聞いて欲しいのは、聖凪かな」


「察しが良くて助かる」


 それからイツキは、少し迷って。


「……どういう展開になったとしても、『勇者』の本性が明らかになるはずだ。もし、そのときに俺が死んでいたら……出来れば、第三班のみんなを気にかけてやってくれ」


「おかしな話だ。第三班は、最も安全だからこそ校舎に隠れているはずなのに」


「何もなかったら、俺の早とちりになる」


「だけど君は、少しもそう思っていない」


 『勇者』は、必ずイツキを殺しにやってくる。それを、確信していた。


「でも、いいの? もし本当に危険なら、助けを求めたほうがいいんじゃない?」


「いや、ここにいて欲しい」


 これは、イツキと梅木が始めた戦いだ。


「もし、第三班へのケアを求めれば、『勇者』は計画を取りやめてしまう」


「……君は、本気なんだね」


 儚げな笑みが、イツキの心を撫でる。


「いいよ、もし君の言う通りだとしたら、聖凪にも真実を伝えることを約束する。命がけには、真摯に応えるよ」


「ありがとう」


 水面下で推し進められていた、『勇者』の嵌め方。

 信じる心を失った勇者は、それでもなお戦えるのか?



 ◆


 イツキが仕込んだ『糸電話』は、教室内の会話を何十本もの糸を通して離れた詰所に伝えるというものだ。能力で補正をかけても、壁に耳を当てなければ聞こえないほどの音量である。


「あーあー」


 菜乃子と協力して、何度もテストを行った。その結果、教室から詰所への音声伝達は可能だったが、その逆は難しかった。よって、一方通行の送信しか出来ない。


「こちら、第三班」


 本当のところ、イツキは不安で胸がいっぱいだった。


「こちら、第三班、現状を報告する」


 本当に、楠本朱鷺は聞いてくれているのだろうか。


「――どうやら、校舎内に侵入した者がいるらしい」


 それを確かめるすべは、イツキにはない。


「化物の叫び声が聞こえる。誰かが一階で戦闘をしているようだ」


 そして、仲間が戦っている間も、声を発し続けていた。


「物凄い戦闘音だ。正直……みんなが、心配だ。どうやら、梅木は手に負えない化物を手引きしたようだ。俺も……駆け付けたほうが……!」


 もし、彼女たちに何かあったら?


「俺は、こんなところで『勇者』を待ち続けても良いのか」


 『勇者』を誘き寄せるのは、ここじゃなきゃ駄目だ。

 ここ以外の場所で自白させても、真実は闇のまま。


「……俺は、信じるぞ」


 ぐっと唇を噛み締めて、とどまることを選んだ。


「だから、信じてるよ」


 この糸の先に、楠本朱鷺がいてくれることを。


「――頼む」


 切実な声色を、糸は余すことなく運んでくれる。


 実際のところは、その時点で聖凪も朱鷺もちゃんと聞いてくれていた。


「朱鷺! 早く、みんなを助けに行かないと――!」


「駄目だよ」


 第三班が襲撃を受けた時点で、朱鷺はイツキの正しさを確信していた。今、前線に『勇者』は見当たらない。なるほど、混乱に乗じて不都合な人間を殺そうとしているのだ。


「彼らにも、計画がある。私たちがそれの邪魔をするわけにはいかない」


 彼が求めていたのは、『勇者』の本性。


「でも、朱鷺!」


「私よりも、聖凪よりも、誰よりもイツキが不安だろう。だけど、彼は作戦の継続を選んだ。私たちも、次に備えなければならない」


 そして朱鷺は、ぐるりと周囲を見渡した。


「梅木くん、ちょっと怖いところがあったけど……いい人だったのに……どうして……?」


 『料理人』櫻井愛未が、悲痛な面持ちで俯いていた。


「まだ、梅木が『悪』だって決まったわけじゃないよね。大崎の方が嘘をついてんじゃね?」


 『鍛冶師』坪井稜大は、自分でもどちらが正しいかわかっていない。


「俺は、今すぐにでも助けに行った方が良いと思うけどな。大崎、明らかにヤバそうだしー。壮哉が正しいかどうかは、後でよくねー?」


 『武闘家』岩沢新泰までもが、イツキの声に耳を貸している。


 これらは全て、朱鷺の声がけによって集められ、イツキから絶えず行われている報告を耳にしている。そして、これからイツキと梅木の言葉の応酬を耳にする面子だ。


「……君の覚悟に、ほんの少しくらいは応えられたかな」


 少なくとも五人の人間が、『糸電話』を聞いている。だから安心して欲しいと、届かない声を口にする。


『イツキ』


『……壮哉』


 糸電話から聞こえてきた声に、一同はどよめいた。


「どうして梅木くんが第三班のところに……?」


「ってかすげーな、マジで大崎の言う通りになりそうじゃん」


「ほ、放って置いていいのかな!? 良くないことが起きそうだけど……!!」


 この時点で、朱鷺は確信してた。

 自分たちを率いてくれていたリーダーが、『悪』に手を染めることも厭わない残虐な一面を備えていることを。


『――


 殺意を込めた声が、糸電話を伝って降りかかる。


『~~~~~~~~!??????????』


 イツキの痛々しい叫び声が、平和ボケした彼らの脳味噌をぶん殴る。


「――朱鷺!!!」


「うん、行ってきなよ」


 もう十分だろうと、『聖女』は詰所を飛び出して校舎へと向かう。ここまで計算していたら大したものだと、朱鷺は感心した。


「待って、危険だから俺も行くよ! 梅木を止めないと、大崎が殺されちまう!!」


 すぐに後を追いかける新泰。


「……とんでもねえな、こりゃ」


 坪井稜大は呆れながら。


「ど、どうして、こんなことを……」


 櫻井愛未は、涙を流しながら怯えていた。


「……ちゃんと、私は最後まで聞き届けるよ」


 それでも朱鷺は、その場を一歩も動くことなく。


「おめでとう、大崎イツキ。この戦いは、君の勝ちだ。だから――どうか、生きて帰ってくるんだよ」


 『血溜まりの夜』は、とんでもない闇を引き連れてやってきてくれたなと、思わず頭を抱える朱鷺であった。

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