033 憎しみという名の火種


 それは、在りし日の教室の記憶。

 昼休みの教室の片隅で、カースト上位の女子たちが高い声を上げながら雑談を楽しんでいた。


「き、聞いたよ心ちゃん! 隣のクラスの山田くんに告白されたんだってね!」


 大森未希子が、目を輝かせて心に迫る。


「あー、そんなこともあったわね」


 サバサバしていた心は、スマホをいじりながら話半分に聞いていた。他人事のように、受け流している。


「……山田くんが? 心に告白? うっわー……マジー……?」


 密かに憧れていた丹羽里穂は、がっくりと肩を落とす。彼女が山田に好意を寄せていたことは、この三人の中では周知の事実であった。


「安心してよ、里穂。キョーミないから、断っといたし」


「……どうせあたしにはノーチャンだし、付き合っちゃえばよかったのに」


「え? いや、ナイナイ。下心丸出しで近付いてきてたし、そういうの敏感なんだよね。心がモデルやってなかったら、告白してこなかっただろーし」


 ストローをくわえながら、隣のクラスの人気者を遠慮なくディスる。そういう冷たい一面もまた、人気を加速させる要因だった。


「…………」


 当時の丹羽里穂の心境は、とても複雑なものだった。想い人が結ばれなかった喜びと、その想い人を魅力がないと切り捨てる友達の物言い。自分の大切な人の価値を下げられているような気がして、居心地が悪かった。


 それなのに。


「……心は凄いなー」


 自然と、笑みがこぼれ落ちていた。山田くんへの想いよりも、彼と心が釣り合わないことの方が、彼女に納得を与えたのである。


「心ちゃんは、そのうち芸能界のイケメンな年上の俳優さんと付き合っちゃいそうだね」


「どーだろ。今のところ、お仕事にしか興味ないからなぁ……」


 異性からモテる彼女は、好意を寄せられることに慣れすぎていた。可愛いね、凄いね、愛しているよ、食事でもどう? もっと一緒にいたいな。囁かれるそれらの言葉は嬉しいが、だからといって、真に満たされることはなかった。


 そんな彼女の乾きを、当時の丹羽里穂はなんとなく理解していた。


 だからこそ、想い人を手痛く振った彼女に、ネガティブな感情を抱くことはなかったのだ。


「……光に集まる蛾みたいなもんだねえ」


 山田くんも、他の男も、変わらない。


 鹿島心という魅力的な光に狂わされてしまったのだ。


 ――あたしは?


 あたしは――どうなんだろ。


 ふと湧いて出た、その疑問を。


 異世界に転移した丹羽里穂は、再び自らに問いかける。


「――あたしは、蛾なんかじゃない」


 光になりたい少女は、憎しみを火種に炎を焚べる。



 ◆



 手のひらに収まりきれない憎悪の炎が、今まさに放たれようとしたそのときだった。


「――ゴシュジン、アホー」


 どこからともなく現れた泥人形――通称、いっくんが、二人の前に立ちはだかった。


「焼き尽くせッ――!!」


「っ!?」


 今まさに保健室に入ろうとしていた心は、真後ろからの急襲にまるで対応できなかった。


 だが、間に入った泥人形が盾となったことで、間一髪危機を免れる。


「いっくん!?」


「ヘイキ、ジブン、ユウシュウナンデ」


 『炎術士』の業火を直撃した泥人形は、しかし傷一つなくぴんぴんしていた。


 ――完全なる魔法耐性。


 鹿島心が錬成した泥人形は、攻撃手段としてはまるで役に立たないものの、盾としては比類ないほどに優秀だった。凶悪な攻撃を受けても、頑なに立ちあがるその姿こそが、鹿島心が思い描いた理想の在り方なのかもしれない。得てして錬成術というものは、術者の願望を表すものである。


「うっそぉ……っ!?」


 片や丹羽里穂は、渾身の一撃を防がれたことに目を丸くさせていた。それすなわち、彼女は泥人形に対して対抗手段がないということでもある。


「……里穂、あんた」


「はっ、バレちまったらしょうがないね」


 もはや、悪意を隠すことを放棄して。


「お察しの通り、大嫌いなあんたと、そこの保健室にいる無能をぶち殺しにやってきたんだよ。『血溜まりの夜』なら、全部魔物のせいにできるからなぁ!!」


 雄叫びとともに、火球がいくつも宙に浮かぶ。泥人形に弾かれないよう、数で押し切ろうという判断だ。


「あ、あんたねぇっ――!!? 自分が何してんのか、ほんとにわかってんのっ!?」


 放たれた火球を回避しながら、必死に逃げ惑う心。途中、何度も泥人形が庇ってくれたおかげで、何とか無傷で距離を取ることに成功する。


「……厄介な泥人形だわ」


 丹羽里穂は、能力を扱うセンスに乏しかった。梅木と共に訓練を積んでも、炎を顕現させ、それをぶつける程度の魔法しか扱えなかった。『風術士』のように味方にバフをかけることも、『雷術士』のように使い勝手がよくないのだ。丹羽里穂は、どうしようもなく不器用だった。


「でも、絶対に焼き焦がしてやる。あんたのその顔に火傷を負わせられると思うと、ぞくぞくする……!!」


「ば、馬鹿っ……!!」


 一線を超える覚悟を決めた丹羽里穂は、既に暴走状態に陥っていた。元友達といいながら、心は彼女にどこか甘えた気持ちを持ち続けていた。殺されるという恐怖よりも、これから先に待ち受ける彼女の破滅の方が恐ろしい。


「――心を殺して、それからどうなるのよ」


「……っ」


 その言葉に、里穂の攻撃の手が止まった。


「食人鬼の仕業にする。壮哉は、私達の未来のために必要だと言っているもん」


「……梅木の奴、本当に最低ね」


「うるさい! このクソビッチが!! お前なんかに壮哉の何がわかる――!!」


「わかるよ、そりゃ」


 真っ直ぐな瞳を、里穂に向けて。


「――食人鬼は、炎なんて使わない。焼死体を発見したら、みんなは里穂がやったって確信するよ? そんな状態で、梅木はどうやって里穂を助けてくれるつもり?」


「……え?」


 食人鬼は、人間を食い殺そうとしている。もし、彼らの仕業に見せかけたいのなら、間違っても固有の能力を使ってはならない。必ず、殺人の関与を疑われる。特に彼女の『炎術士』としての能力は、唯一無二。焼死体が見つかれば、言い逃れはできない。


「そ、それはっ……いや、死体を隠せばっ……!」


「本当にそんな時間あるの? それよりも――里穂が勝手に暴走したことにすれば、話は早いよね」


「あ……」


 梅木壮哉の筋書き。

 丹羽里穂が家松教頭を手引し、第三班を急襲。殺戮の限りを尽くした後、『勇者』が下手人を殺害する。死人に口なし。全ての罪を、二人に被ってもらうというものだ。心にだって、すぐに分かったあらすじだ。どうして当の本人が気が付かない?


「どんな理由があったとしても、里穂に殺しを命ずるなんておかしいよ。だから、冷静になってよ? ね?」


「…………」


 今、丹羽里穂は彼女の指摘を否定できない。

 どんな言葉を用いても、どこかにほころびが見えてくる。


「……だから?」


 しかし。


 


「あたしにとって、今、ここしかないの! どうせ現実世界に戻ったって、たかがしれてんの!! ここで、のし上がるしか未来はない――!!」


 何かに焦って、何かを憎んで、視野が狭まって。

 行く先を必死に出探そうとしたら、そこには『勇者』がいた。


 彼女にとって、それは光だった。

 いつまでも、そう信じていたかった。


 その光は、鹿島心と違って――自分を、ちゃんと照らしてくれると。


「――火力全開。ありったけに、燃え盛れ!!」


 限界を超えた炎の魔法が、追い詰められた里穂の手によって放たれる。


「馬鹿っ!!! いっくん、守って!}


「アーイ」


 だが、泥人形には完全なる魔法耐性がある。

 どれほど里穂が限界を越えようとも、絶対的な相性差は覆すことは難しい。


 ――だからこそ。



 業火の対象は、保健室そのものだった。


「心は、あの女を迎えに来たんでしょ? 絶望を、見せてやる……!!」


 狂気的な殺戮衝動が、若椿高等学校の校舎を包み込む。


「なんてことを……!!」


 『血溜まりの夜』に狂うのは、何も魔物だけではないらしい。

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