032 燃え上がる劣等感
それは、食人鬼の襲撃の前日の夜。
「――『血溜まりの夜』の襲撃に合わせて、大崎イツキを殺す」
梅木壮哉は、確固たる意志を『炎術士』丹羽里穂に語った。
「わかってる。早くあいつを始末しないと、いつあたしらが殺されるか……!」
イライラしながら爪を噛む。
この二人は、異世界転移をしたばかりのイツキを無能と判断し、排除しようとした前科がある。イツキが戻ってきた日から、彼女の心が休まるときはなかった。
「あいつを殺すのなんていつでもできるが、やりかたは選ばなければならない。重要なのは、大崎イツキが死んだことは仕方がないと思わせる状況を用意しなければならない。そこで――里穂。お前の出番だ。彼と手を組んで、不良生徒を殺してきて欲しい」
「……え?」
そう言って、梅木は彼女に切り札を紹介する。
「久しぶりじゃないか、丹羽」
ぬっと姿を表したのは、見慣れたはずの家松教頭。しかし、その体格や漲るオーラーに、見覚えはなかった。
「い、家松……えっ!? あんた、生きてたの……!?」
『勇者』の前に屈したはずの嫌われ教頭が、まるで別人のように逞しくなって帰ってきた。『暗黒騎士』の身に纏うオーラに、思わず里穂は身震いを感じた。
「梅木は賢い生徒だよ。私の力を見込んで傅くことを選んでくれた。他の生徒たちも君ほどに物わかりが良ければよかったのだが……」
「……家松教頭に従わない生徒を、『血溜まりの夜』に校舎に集めておきます。ご希望通り、その大半が女子ですよ。どうかこの生贄で、前回のことは水に流していただければと」
「素晴らしい……!! やはり、優等生は違うな」
今、梅木壮哉が行おうとしていることは、明確な裏切り行為である。だからこそ里穂は、背筋が凍る思いだ。
「梅木……! 本気なわけね……!!」
第一班、第二班が最前線で食人鬼の群れと戦っている間に、『神聖結界』の対象外である家松教頭が、第三班に急襲を仕掛ける。無防備な校舎は、『暗黒騎士』の暴走を止める手段は残されていない。
「優先順位の問題だな。俺と里穂にとって、大崎イツキは生かしてはおけない」
一度、見捨てて殺そうとしたことが、彼らの脳裏にこびりついて離れない。いくら外道に落ちたとは言え、人殺しをして何も感じないわけではない。
精神的に屈強である梅木はともかくとして、丹羽里穂は毎夜のように怯えていた。自然と梅木の元へ足繁く通っていたのも、事情を理解してくれる相手を求めているからだ。一日でも早く、彼女はイツキの破滅を願っている。
「『勇者』の俺が正門前で注意を引き付けている間に、家松教頭と校舎に侵入し、殺害対象を殺してこい。ただし――大崎にだけは注意しろ。あいつは、俺が直接殺す」
『仕立て屋』の能力を警戒しているわけではない。だが、『勇者』としての直感が、丹羽里穂や家松教頭には荷が重いと訴えかけていた。それに、他人に任せられるほど味方を信用していない。結局のところ、梅木にとって二人は駒でしかないのだ。
「――大崎イツキは、魔物の襲撃にあって命を落としました。その責任は、家松教頭に被ってもらおう」
邪魔者を排除して、他人に罪を着せる。
『血溜まりの夜』は、その隠れ蓑にすぎない。
◆
最初に異変を感知したのは、『狩人』中里新奈だった。
「……何?」
不穏な雰囲気を、校舎の裏門から感じた。禍々しいオーラを瞳に捉えた彼女は、すぐに弓を引こうとした。
「校則違反だ」
だが。
「生徒は無断で屋上に立ち入ってはならない」
「――っ!?」
裏門から感じていた不吉な波動が、気が付けば目の前に襲来していた。『暗黒騎士』重松教頭は、校舎の壁をつたって強引に登ってきていた。
「あ……」
『狩人』は、戦闘職には当てはまらない。遠距離から弓を射ることはできるものの、他の天職のように戦闘能力への補正がかからないのだ。つまり彼女は、『暗黒騎士』の前では無力も同然だった。
「中里新奈」
狂気に満ちた瞳が、彼女を捉える。
「だっ、誰か――」
「――まず、一人目」
漆黒の斬撃が、彼女の胴を薙ぎ払う。闇に飲まれた家松教頭は、ただひたすらに凶暴性を増していく。
「おっと、深く斬りすぎたな。中里新奈は殺戮対象ではなかったのだが……まぁ、いいか」
掠れる視界が、真っ赤に染まる。
助けを呼ぶだけの猶予は、彼女に残されていなかった。
◆
家松教頭を手引した丹羽里穂は、別ルートで校舎に潜入していた。彼女の目的は、一階にある保健室。
――第三班は、二階に避難している。
予め決められた防衛方法を貫いているのであれば、神野帆南海は今、保健室に取り残されているはずだ。孤立した彼女を、『炎術士』たる彼女が狙い撃つ。
「……落ち着け、落ち着けってば」
彼女はまた、この世界に来て人を殺したことはなかった。間接的にはそういうことがあっても、直接手を下したことはない。
今から、クラスメイトを殺しに行く。
夜の校舎で息を潜めていた彼女は、突然、恐怖に足がすくんでしまう。
「……殺らなきゃ、殺られる」
頼れる『勇者』が、自分を見初めてくれたのだ。梅木に依存している彼女は、彼の言葉一つで超えてはならない人としてのラインをいとも容易く越えようとする。彼の眼差しが、彼の声色が、彼のお言葉が、里穂にとっては神の寵愛そのものである。だからこそ、彼女は自分が間違っているとはこれっぽっちも思っていなかった。
「よし……」
梅木壮哉に逆らうほうが、悪なのである。足並みを揃えないことが、どれほどこのコミュニティにおいて害悪か。梅木から刻まれた教えが、彼女の震えを止めてくれる。
「……あれ? 里穂?」
「え」
だが。
そこで彼女は、かつての友人と出会ってしまう。
「心……? どうして、ここに……?」
「どうしてって……そんなの、こっちのセリフだけど?」
二階に集まっているはずの鹿島心が、何故か一階に降りてきている! 想定外の展開に心臓が飛び出そうになるが、咄嗟に彼女は誤魔化した。
「正門がヨユーそうだから、こっちの様子を見に来たの。殺し損ねた魔物が校舎に来たら厄介だしさ」
「へー、あんたもいいところあんのね」
「うざ」
丹羽里穂は、鹿島心のことが昔から嫌いだった。あまり好んで群れることもせず、しかし一人でいても様になっていて、挙げ句に芸能界にも通ずる容姿端麗ときている。女として、同級生として、百馬身差つけて離されているようなものだ。彼女はそれを当たり前のように振る舞うから、鼻につく。
「んで? 心はこんなとこで何してんの?」
「神野さんを保健室から連れ出そうと思って」
「出来るわけ無いでしょ、あの引きこもりに」
「でも、ほっとけないじゃん?」
「……うざっ」
だけど、彼女と友達でいることは、それなりにメリットがあった。鹿島心に憧れるクラスメイトは多かったし、カースト上位の女子と友達でいることは自分の順位にも影響する。だから里穂は、恨みや嫉妬を飲み込んでまで、彼女との友達関係を続けてきた。
「うざって……あんたね。言いたいことがあるなら、心に直接言ってよね。まどろっこしい真似、嫌いなの」
「どうでもいいし……」
だから、異世界に来てからの彼女の凋落っぷりが気持ちよかった。絶望する心の表情を見ていると、これまでの鬱憤が晴れていく。そして彼女は、馴れ合うようにクラスの冴えない男に救いを求めた。大崎イツキなどという、いてもいなくてもわからない陰キャに身を寄せたのだ。
――勝った。
自分は、『勇者』のお気に入りだ。息苦しい世界を真っ先に理解した彼女は、甘える猫のように梅木壮哉に取り入った。誰を味方につけるかが、この世界では重要だと理解していたのだ。
「なのに、どうしてあんたは」
落ちぶれて、殺されそうになっていて。
この世界で、圧倒的に立場が変わったというのに――いつもの鹿島心のまま、振る舞っていられるのか。
それがわからないから、苛立ちは積み重なっていく。
「……ねえ、里穂。元友達だから、忠告しておくよ」
保健室を視界に納めた心は、優しく言う。
「――変なこと、考えない方がいいよ。あれでも大崎は、凄いから。ちゃんと謝れば……きっと、許してくれると思う」
「何の話よ」
「いや、だから――」
憎しみの炎が、燃え上がる。
無防備に背中を晒す鹿島心を、彼女はありったけの殺意で見つめていた。
――俺の邪魔になるやつを、殺してきてくれ。
大好きな人のためなら、彼女はかつての友達にすら牙を剥く。
「ねえ、心」
灼熱を、言葉に乗せて。
「――あんたのそういう、余裕ぶったところが心から嫌いだったよ」
「……え?」
飛んで火に入る夏の虫。
『炎術士』は、クラスメイト殺しに躊躇いはなかった。
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