025 もう一人の『狩人』


 『仕立て屋』であるイツキは、主に布類の制作や修繕をタスクとして与えられていたが、それ以外にも重要な役目を担っていた。それは、『狩人』と共に、野生動物を仕留めることであった。本来、相棒は『鑑定士』の菜乃子と共に、動物の痕跡を追いながら、罠を仕掛けて狩る、という方法だが、最近は『狩人』である小野寺瑠海と共に山に繰り出していた。


「ルミちゃんのこと、よろしくだよ~~~」


 いつも一緒にいる堀青葉から、頼まれてしまった。『狩人』なのに動物を殺せない瑠海が心配なのだろう。


「アオちゃ、心配しないで。私、頑張るから!」


 彼女が無能の烙印を押されているのは、獲物を仕留められないから。逆に言えば、獲物を見つけることはむしろ得意だ。『狩人』の特性は、『鑑定士』以上に獲物の追跡においては優れていた。菜乃子と組んでいるときよりも、明らかにヒットする可能性が高かった。


「大崎くん、凄いなぁ」


 糸による罠によって獲物を確保したイツキを見て、敵わないなぁと苦笑いを浮かべる瑠海。自ら『狩人』の役目を果たせないことに、後ろめたい気持ちを抱いていた。


「みんなの、救世主だね。一人で何でも出来るんだから」


「それは違うよ」


 謙遜しつつも、はっきりと返す。仕留めた獲物にとどめを刺しながら、イツキは首を振っていた。


「どれほどチートな能力を持っていたとしても、俺一人だと限界がある。動物だって、見つけるのは得意じゃないし。それに、血抜きの方法とか調理の方は、さっぱりだ」


 与えられた天職は、互いに支え合うことを推奨しているようにしか見えなかった。万能な能力はなく、専門性に特化している。イツキの天職がユーティリティに優れて入るが、やはり特化した職業には敵わない。


「……私も、頑張らねば」


 小野寺瑠海は、決して現状に甘えているわけではない。


「もし、私が『狩人』として一人前になったら、大崎くんは別のお仕事に集中できるよね。元々、『仕立て屋』としてお洋服を作ったり……特訓だって、出来るわけで」


 結局のところ、瑠海が役目を果たしていないから、狩りに付き合わせてしまっている。


「それじゃ、ちょっと特訓してみようか。今日の収穫は十分だろうしさ」


「ほんと!?」


 小野寺瑠海の独り立ちは、イツキにとっても願ってもないことである。


「それじゃ、狩りの様子を見せてくれる? 捜索から追跡、仕留めるに至るまで」


「わかった!」


 やる気を見せて、笑う瑠海。

 ここまで意志を見せても尚、動物が狩れないのは、どうしてだろう。純粋な疑問が、イツキの脳裏に浮かび上がる。



 ◆



 小野寺瑠海は、特に特徴のない普通の女子高生だった。

 自他共に認める、といってもいい、現代らしさに満ちている性質を抱えている。取り立てて人生に満ち足りているわけではないが、だからといって俯くほど暗いわけでもない。気を許せる友達はいて、中身のない会話に笑顔を浮かべ、なんとなく日々を生きてきた。


「あー、楽しいっ!」


 何が、楽しいのだろう。

 その中身もわからないまま、だけどそれで十分だった。当たり前のように今日を過ごして、当たり前のように明日を迎え、当たり前のように時間を歩く。だからこそ彼女は、必死になったことなど一度もなかった。


 誤解しないで欲しい。

 それは、小野寺瑠海が努力をしてこなかった――わけではない。


 必死に、生きてこなかった。ただ、それだけの話だ。


 生きるための努力すら不要な世界で、誰がそんなことに必死になるというのだ。


 だが。


 異世界転移は、そんな彼女のなんとなくの日常を破壊してしまった。


 天職を与えられ、明日の保証を失った日々は――控えめに言って、地獄だった。なんとなくでは生きられない世界に、普通の女子高生が放り込まれてしまったのだ。


 『狩人』


 武器や能力を与えられたところで、心までがそれに適応するわけではない。



 ◆



 比較的真新しい足跡を見つけた瑠海の心は、大きく高揚した。食人鬼が巣食う森の中でも珍しい、中型動物の足跡――おそらくは、シカのような生物だ。ノウサギや野鳥とはまた違った、特別感のある獲物。すぐに彼女はイツキに食人鬼への警戒を依頼し、獲物の追跡に集中する。


 戦闘職やイツキが周囲の食人鬼を駆除したせいか、彼らは明らかに数を減らしていた。どうやら、この森で生息しているというわけではなさそうで、殺せば殺すほどその存在は消えていく。


 食人鬼が減るにつれ、野生動物が数を増やし始めたのは、どういう因果関係なのだろうか。広大なる森の自然にとっても、あの食人鬼は害をなす存在だったのか。


「……いた」


 強化された視力が、遥か先の獲物を発見した。雄々しく生えた角が、瑠海の心を鷲掴みにする。一見したところ、シカにとても良く似たその生物は、力強さに満ちたその出で立ちで森の日差しを浴びていた。美しいと、見たものは言葉を漏らすほどだ。


「……!」


 静かに息を吐いて、ゆっくりと弓を構える。


 ――殺さなくちゃ。


 使命感にも似た焦りが、彼女の脳裏に過った。


 ――殺さなくちゃ。


「あ……」


 ふと、瑠海はかつて動物園でシカを見たことを思い出していた。定められていた区域に押し留められていたシカは、濁りきった瞳で餌を平らげていた。子供ながらにそのシカをみて、可愛い、とはしゃいだものだ。そのときの瑠海にとって、シカという生物は単なる愛玩動物だった。


 だが、今は違う。


「きれい」


 魔物が蔓延る森の中で、それでも尚、野生に生きる彼らの存在は、あまりにも力強かった。生命を磨き上げ、天高く聳え立つ雄々しき大角に、不思議なほど目を引きつけられる。


 大自然の輪廻の中で、彼らは生きるために生きていた。動物園とは違う、この世界で――その生き様が、とても尊く思えてしまった。


「…………」


 そんな彼女の迷いを感じ取ったのか、オオジカは弓を構える瑠海を見た。純粋さのみで構成された眼球が、瑠海の心を覗き込む。魅入られた瑠海は、気が付けば手が震えていた。


 ――殺せない。


 違う。


 ――殺してはいけない。


 本能が、そう感じ取ってしまった。


「だめ」


 歯を食いしばって、迷いを振り切って弓を放った。焦りに背中を押された矢は、当然、オオシカを捉えることなく地面に突き刺さる。


「あ……」


 その頃にはもう、オオシカは逃げ出していた。またしても瑠海は、獲物を狩ることが出来なかった。


「…………」


 あの清らかな瞳を向けられて、彼女は殺意を向けることが出来なかった。矢を放ったその瞬間、できれば当たらないでほしいと、心の何処かで願っていた。


「だって」


 力強いシカの姿が、神々しいものに見えてしまった。あの美しい生き物を殺して喰うだなんて、そんな気持ちは微塵も湧いてこない。あの生物は、生きることを体現していた。自分とは違うのだと、心の底から違いを思い知らされてしまう。


「……あの」


「ひゃあっ!?」


 耳元で、声がした。思わず、悲鳴を上げてしまう瑠海。


「あのオオシカは、ニナが狙っているの。だから、横取りしちゃダメ」


 制服に身を包んだ華奢な少女が、瑠海に警告していた。騒ぎを聞きつけたイツキが、すぐにやってくる。


「どうした? って……えっと、確か……中里さん?」


 中里新奈、序列20位、『狩人』

 いわゆるダウナー系と呼ばれるような、陰鬱な雰囲気が特徴のクラスメイトである。性格と相反するようなひらひらとした小物類が、妙に浮いている。そういえば、陰キャグループからは姫扱いされていると、イツキは思い出した。


「うん、そうだけど?」


 華奢で頼りない見た目に反して、彼女は数多くの獲物を仕留めてきた凄腕の狩人である。常に単独で行動していると聞いていたが、まさかバッティングするとは思っていなかった。


「あ、あの、ニナちゃん! よ、よかったらでいいんだけど……狩りのコツを、教えてくれない? 私、全然仕留められなくて……」


「……えっと」


 めんどくさそうに、新奈は視線をそらした。


「ニナちゃんと私、何が違うんだろう……?」


「何もかも」


 淡々と、彼女は続ける。


「ニナは、みんなが思っているような女の子じゃない。おそらくあなたは勘違いしている」


「……え?」


「あなたはここに、生きてはいない。自然のことを舐めている」


 それは、辛辣な言葉だった。


「ニナは、山に生きて育てられた女の子なの。見た目だけで判断したら、痛い目みるかも」


 イツキや瑠海は、中里新奈をお姫様のような子だと認識していた。いつも気だるそうにしながらも、一部の男子からちやほやされていた。だが、今はどうだ? 彼女は自然に紛れて、存在を薄めている。たくましく引き締められた表情は、確かにここに生きていた。


「……中里さんは、狩りをしたことがあるの?」


「もちろん」


 彼女は、躊躇いなく答えた。


「おじいちゃんが、猟師だったの、銃だって、撃ったことがあるよ。……後で死ぬほど怒られたけど……」


 天職は、転移前の性質に合わせて配られている。なるほど、弓道部だった小野寺瑠海とは違うわけである。彼女は本当の意味で、狩りを知っている。

 

「……私には、何が足りないのかな。できれば、教えて欲しい……」


「何もかも」


 それから彼女は、容赦なく続ける。


「もし本当に『狩人』として生きていきたいのなら――まずは、思い知った方がいい。誰かに守られて森に入るだなんて、生きているとはいえないから」


「……俺?」


「あと、覚悟も足りない。日帰りで獲物狩ろうとしないで。あなたは森を舐めている。たとえ仮に獲物を仕留めることが出来たとしても、単なる殺戮者でしかない。森は、あなたを認めない」


「そ、そんなっ……じゃあ、私はどうすれば……」


「覚悟を決めて、一人で自然に挑みなさい。甘えを捨てれば、『狩人』であるあなたなら理解できるはず」


 それだけを言い残して、中里新奈は立ち去っていった。辛辣な言葉を向けられた瑠海は、肩を震わせていた。


「……そろそろ、日が暮れる。帰ろう」


「先に、帰ってて」


「瑠海、それは」


「私はこのまま、オオシカを追いかけるから」


 売り言葉に買い言葉。

 新奈の言葉に火が着いたのか、小野寺瑠海は引き下がらなかった。


「心配しないで。『狩人』は隠密能力に長けているし、食人鬼と遭遇しても大丈夫だから。それよりも……このままじゃ、帰れないよ。私だって、やれば出来るもん」


「……わかった」


 瑠海の覚悟を見たイツキは、それ以上言葉を口にすることはなかった。後で青葉に怒られようとも、彼女の成長の機会を奪いたくはなかった。


「ありがと、大崎くん」


 足が、震えていた。


 隠しきれない怯えが、それでも前を向こうと喰らいつく。

 




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