024 陰と陽
一方、学校の敷地外の森の外れに、二人の教師が向かい合っていた。
「……報告は、以上になります、家松教頭」
校長席に腰掛けているのは、家松洋司。若椿高等学校の教頭にして、2年3組の担任である酒井實と共に、異世界転移の巻き添えを受けた大人組である。
「ご苦労だよ、酒井先生。やはり、バカな生徒たちは争いを起こしそうなのか?」
「はい、その可能性が高いと思われます。梅木と大崎は、表面上は仲良くしているように見せていますが、水面下では互いを敵視しているようです。梅木一派も一枚岩ではございませんし、暴走しそうな生徒もちらほらいます。コミュニティの崩壊は、時間の問題でしょうね」
「はっ、やはりこうなるか。しかし、異世界転移など馬鹿らしいな。ガキどもが大人の言うことを聞いていれば、ここまで分裂することはなかったろうに」
かつて、教員二人は生徒たちの先頭に立って、彼らをあるべき方向へ導こうとした。だが、大人を信用しない梅木壮哉は、家松教頭を無視して、自ら指導者の立場を主張した。
「教師を敬い、従順になりそうな生徒は何人いそうだ?」
「……ほとんどいませんね」
「やはり、殺すしかないか」
「…………」
家松教頭は、既に人としての誇りを失っていた。そうでなければ、このような状況に追い込まれていない。
「……あまり、殺気を出さないでくれますか、教頭。あなたは、錯乱して女子高生を襲った異常者として、『勇者』の手で殺されたことになっているのです。見つかれば、すぐに殺されてしまいますよ」
「ふん」
闇に落ちた教頭は、生気のない瞳で天を見上げた。
「――教員にも天職とやらが配られてると、あいつらは知らん。負ける気がせんよ」
家松洋司、教頭、天職『暗黒騎士』
闇に落ちた大人の牙は、血染めの洞穴で磨かれていた。
「お、恐ろしいですねえ……」
ハンカチで汗を拭きながら、酒井は怯えていた。
中間管理職としての苦悩は、異世界に来てからも続いている。
◆
「お洋服を直したいのであれば、イツキくんにお願いすれば良いのでは?」
二階の家庭科室を漁る鹿島心に、呆れつつも声をかける菜乃子。裁縫セットを持っていないと返したら、着替えるよりも先に家庭科室に向かっていた。下着姿で放っておけない菜乃子は、ついあとを追いかけてしまった。
「……どんな顔でお願いすればいいのよ」
目を合わせず、彼女は答える。
「あんたなら、言える? イジメられて破られちゃいましたって」
「……無理かも、です」
衣装というのは、女の子の心を着飾るアイテムだ。ただ肌を覆う布というわけではない。現代ならともかく、何もかもが不自由な異世界において、彼が作ってくれた衣装がどれほど貴重なものかを彼女らは理解している。これは、自分のための一張羅。ずたずたに切り裂かれた姿を、作り手の彼に見せたくないのだ。
「あった」
学校というのは、意外と備品に満ちている。すぐさま針と糸を取り出して、縫い合わせようとするが――。
「……む」
鹿島心は、とんでもなく不器用だった。そもそも、現代では針を持つことなど一度もなかった。直したいという思いが先行しすぎて、やり方がわからなかった。
「貸してください」
「……え?」
仕方がありませんね、と。
心から針と糸を取り上げた菜乃子は、静かに能力を発動させる。
『鑑定眼』によって解析した、『仕立て屋』の能力。だがこれは、大崎イツキのものではない。あれは、彼女の目を持ってしても解析できなかった。彼女が解析したのは、江頭幸田の『仕立て屋』だ。手先の器用な菜乃子なら、引き裂かれた衣服を縫合する程度は可能だろう。
「……はい、出来ましたよ」
「えっ、もう?」
「特技なので」
「……ありがと」
優しく目を細めた心は、ぎゅっとパーカーを抱きしめた。
「ねえ、笹川さん。この間は、ごめんね」
「……何のことですか?」
「ほら……放送室で、ちょっと言い合ったじゃん。あれ、ちょっと言い過ぎたかも。それに……あんなところで一人で過ごすって、いい気分しないし」
「別に……」
菜乃子自身、あの日のことを引き摺っているつもりはなかった。だからこそ、彼女が謝っていることに驚きを隠せない。
「鹿島さんって、変な人ですね」
「……バカにされてる?」
「とんでもありません。普通に、凄いなと思っています。さすが、カースト順位が4位なだけはあります」
圧倒的なコミュニケーション能力に、脱帽する。根が暗い菜乃子にしてみれば、ここまで自分に素直になることはできない。
「……あんな順位、気にしてんの? どーでもいいじゃん」
真顔で、彼女は言う。
「大崎は最下位で、あんなに凄いんだし……あんなもん気にしても意味なくない? 心なんて、4位なのに役立たずなんだけど? 普通に、笑えるからね?」
「それは……そうですね」
「うぐっ……あっさりと認められると、それはそれで腹が立つわね……」
異世界に飛ばされるまでは、互いに考えもしなかったはずだ。カースト上位とカースト下位が、こうして同じ目線で会話をする。それも、建前を取っ払って。
「そういえば、また泥人形を錬成したんですね。前より小さいですけど……」
「勝手に出てきたの。扉をぶっ壊してくれるかもって期待してたけど、役立たずだったわ」
無言を貫いていた泥人形は、ぎこちなく手足をバタつかせた。
「ヨワイノ、ゴシュジンノ、セイ」
「……生意気でしょ?」
「ザーコ」
「棒読みなのが、ムカつきますね」
菜乃子の言葉に、同時に破顔する。
「ドーモ、イックン、デス」
「……いっくん」
「こいつの名前よ。せがまれたから、昔飼ってた犬の名前にしたの」
「ウソクサァイ~~~~」
「そんなつまんない嘘吐いて何の意味があるのよ」
「アウ」
ぴん、と。
長い爪が、いっくんの身体を押し倒す。
「……ねえ、笹川さん。あなた、大崎のこと好きなの?」
「え」
不意に切り込まれた、心の問いかけ。
「い、いえ……その……どうでしょうか……」
しどろもどろになりながら、言葉をひねり出す。
「……そうかもしれませんし、そうじゃないかもしれません。自分でも、あまり分からなくて……」
「……いや、どうみても好きでしょ。無自覚なの?」
「わぁ……」
遠慮のない言葉の応酬に、ぐるぐるとめまいがしてくる。菜乃子にとって、心の距離感はあまりにも痛烈だった。曖昧にぼかそうとしても、さも当たり前のように輪郭を浮かび上がらせる。
「そ、そういうのは、今はいいじゃないですか」
異世界に来て、色恋沙汰なんてどうでもいいと思っていた。それに、彼女自身、自分が抱いている気持ちに整理が出来ていない。もしかしたら、恩義と恋心を勘違いしているのではないだろうか。自問自答ばかりが積み重なって、迷いの風に揺られていた。
「今だから、でしょ。異世界に来たって、あたしたちは女子高生なんだよ? 恋しないと損じゃない?」
「……それは」
菜乃子が忘れかけていたもの。あるいは、諦めていたものを指摘されてしまった。
「しかも、明日がどうなるかわからない状況でしょ? 躊躇わなくていいと思うのにな。大崎のこと、好きなんでしょ? 明日嫌いになるかもしれないけど、今日は好きでしょ? それでいいじゃん」
自由だ、と。
心の底から、菜乃子はそう思ってしまった。
彼女の背中には翼が生えていて、そのまま優雅に飛び立ってしまいそうだ。自分は、何? 地を這う蟻のごとく、下を向いて生きている。
「……鹿島さんは、どうなんですか。わたしのことばかりでズルいです」
「んー、心は芸能人だから……そういうのは、割り切ってるわよ。お母さんも、片思いくらいにしておけって言ってたし」
「そういうものですか」
「自分で選んだ道だし、割り切ってるよ。それに、心はみんなから可愛いって言われたいし、一人だけだとものたりないなー……」
「はしたない女の子みたいな言葉ですね」
「言ったなー?」
気安い距離感で、菜乃子の肩を軽く叩いた。本当に、距離を詰めるのが上手い。
気が付けば、二人は極々自然に笑い合っていた。まるで、普通の女子高生のような一幕である。
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