023 そんな事してる場合かよ
笹川菜乃子の鑑定眼は、対象の性質を見抜く――だけに留まらない。進化を遂げたことにより、体調の良し悪しや精神状態、言動の真偽など、対象の内面の一部すら暴いてしまう。
「あ、あ、あ、あの、笹川……さん」
おどおどしたクラスメイトが、彼女に声をかけてくる。
「……どうしましたか」
江頭幸田、序列26位、『仕立て屋』。
針金のような身体が特徴的な、いわゆる陰キャグループと呼ばれる自己主張の弱い男子である。その中でも彼は特に寡黙で、転移する前の学園生活ではまともに言葉をかわした記憶すらなかった。
「そ、その服……なんか、凄い……ね……」
どぎまぎしながらも、必死で何かを伝えようとしている。目線を合わせられないのは、対人経験が乏しいため。
「これですか? イツキくんが作ってくれました」
「……イツキ? 大崎……イツキ……」
一瞬、江頭は不快な表情を見せた。同じ仕立て屋だからこそ、敵対心を抱えているのかもしれない。
「そ、その服は……笹川さんには、似合わないと思う……な……! ぼ、ぼ、ぼ、僕、の、服……どうかな。きっと、似合う……から……」
「はぁ……」
彼は知らなかった。菜乃子が今、着ている洋服は、彼女がデザインを指定して作ってもらったもの。もちろん、その程度で不快な態度を見せることはないが、察しが悪い相手だと言わざるをえない。
「こ、これなんだけど……」
「……メイド服?」
「う、うん!! そう! そうなんだ! よくわかったね……!! これは――――――――」
突然、早口でメイド服の説明を始める江頭。彼なりのこだわりがあるようだが、お世辞にもセンスがあるとは言い難かった。やけに露出度の高いメイド服は、給餌用というよりはむしろプレイ用の脱がす前提の衣装に見える。メイド服が好きな人が作った服というよりは、メイドそのものを愛でたい欲が伝わってくる。
「……ごめんなさい、あまり趣味ではありません。お洋服は間に合っていますので、他の方に……」
「だ、駄目だよ! 菜乃子ちゃん!!」
拒絶の姿勢を見せた途端、彼は焦ったように菜乃子の肩を掴んだ。いきなり名前で呼ぶものだから、少しびっくりしてしまう。
「ぼ、僕らは、立場が弱いんだ……! い、一緒に、協力しないと……!! 菜乃子ちゃん、友達いないよね……? ぼ、僕が、守って、あげるから……!」
「は、離して下さい……少し、怖いです……」
支離滅裂な会話が、恐怖を掻き立てる。本題があって、結論ありきで会話をしているものだから、菜乃子には一切伝わってこない。
「と、友達なら、います!」
「……大崎は、駄目だよ。梅木クンが……言ってたし。あいつ……鹿島に言い寄られて、菜乃子ちゃんのことなんて忘れてるよ。男なんて、そんなもんだ。梅木クンや、大崎ばっか、ずるいよな……!! ぼ、僕だって……女の子と……」
「何を吹き込まれたかは知りませんが、離してくださいっ!」
江頭の手を振り払って、距離を取った。すぐに鑑定眼を発動して、彼の真意を探る。極度の興奮状態に陥った江頭は、溢れんばかりの性欲に染まっていた。
「おい、幸田。あんまがっつくなって」
恰幅の良い肩幅が、先走る江頭に絡みついた。
坪井稜大、序列21位、『鍛冶師』
小太りだがやや筋肉質ながたいの良い肉体と、印象的なたらこ唇。汗っかきなのか、前髪はしっとりと濡れていて、やや清潔感に欠ける。江頭幸田と同じく、陰キャグループに属する男子生徒だ。
「焦らなくても、チャンスは後で来るから我慢しとけって。笹川も困ってるだろ? な?」
「ご、ごめん……」
泳いだ瞳が行き先を見失っていた。無秩序な環境においては、このように欲に溺れたものも現れる。
「……も、もういいですよね? 私、先を急いでますので……」
明らかに、目の前の男子二人は異世界に来て割り切っている。仕立て屋がいるのに、女子の誰もが制服のままの理由がわかってしまった。
「……なぁ、幸田。お前、笹川のどこがいいの? なんでわざわざ、あんな地味な奴……」
菜乃子が立ち去ってから、坪井は質問を投げかける。
「……ぼ、僕に、ちょうどいいかなって。ほら……カースト上位の子は……梅木クンや、新田クンに取られるだろうし……」
「お前……」
「それに、大人しくて、ぼ、僕に、逆らわなさそうだから……」
「最低だな、お前。イカれてやがる」
限界の状況下では、理性を失う者もいる。
彼らにとって最大の不幸は――狙いをつけた相手が、想像を絶するほど強大だということだ。
大崎イツキと笹川菜乃子に敵対して、欲望を満たせるはずがなかった。
◆
「……別に、陰キャとか陽キャで判断しているわけではないですけど……さすがに、あれはキモいですね」
はぁ、と。
逃げるように立ち去った菜乃子は、ため息をついていた。
「でも、襲ってこなくて良かったです。返り討ちにしたら、能力を隠していることがバレてしまいますし」
今はまだ、力のないただの女子高生と思われていたい。
「……おや?」
三階から、叫ぶような声が聞こえてきた。声からして、丹羽里穂と西山知花であることは間違いない。下品な笑い方だ。
「……え? あの人たち……異世界に来てまで、イジメをしてるんです? うわぁ……女子って、ほんと怖いですねえ」
先程、男子の恐ろしさを目にしたところだが、あっちはまだいい。命の危うい状況で種を残そうとするのは、人間の本能である。だが――女子のイジメは、違う。
「見て見ぬ振りをしておきたいところですが……」
どうやら、彼女らは標的を放送室に閉じ込めているようだ。鑑定眼によって、校舎の現状は菜乃子の監視下にある。目で見えなくても、誰がどこにいるかは把握済み。イジメの対象が彼女であったことが、少しだけ意外だった。
「…………」
見つからないよう放送室の前に来た菜乃子は、すぐに鑑定眼を発動する。どうやら、『炎術士』の能力を使って、鍵穴を溶かしたようだ。これでは、外からも中からも放送室の扉を開けることは出来ない。
「うーん……」
どうやって、開けたらいいのだろうかと迷っていたが……何だか、ふつふつと怒りのような感情が込み上げてきた。先程の男子といい、イジメを行う女子たちといい、何を考えているのだろうか。そんなことをしている暇があるのなら、明日を生き抜くための努力をして欲しいものだ。
「――『武闘家』」
解析したクラスメイトの天職を、インストールする。『雷術士』や『炎術士』のように、魔力や適性が必要なものは不可能だが――技術であれば、菜乃子の肉体でも再現することが可能だ。
もちろん、解析元と同じように、とまではいかないが、それでも扉をぶち破るには十分だろう。
「――っ」
重心を乗せた、後ろ回し蹴り。
菜乃子のような小柄な少女から繰り出されたとは思えない一撃が、放送室の扉を吹き飛ばす。
「……おぉ、凄い威力ですね」
見た目に反して、菜乃子は意外と運動神経に恵まれていた。森の中を歩き続けられるくらいには体力をつけているし、『武闘家』の適性があるのかもしれない。今まで彼女が解析した天職の中で、もっとも忠実に再現できている。
「な、何よ、今の」
破壊された扉の向こうでは、鹿島心が目を丸くさせていた。
「あんたが、やったの……? 嘘、すごっ……」
「扉が、老朽化していたようです。か弱い乙女の一撃で、壊れてしまいました」
「バレバレの嘘を吐かないでよ!」
「それよりも、鹿島さん」
ジト目で、菜乃子は続ける。
「どうしてまた……下着姿なんですか? もしかして、本当に露出狂では……?」
「ち、違うわよ!!」
ぎゅっと、破れたパーカーを抱きしめて。
「た、助けてくれたのよね……? あ、あり、ありがと……」
「なんと、まぁ……」
素直にお礼を言われるとは、これっぽっちも思っていなかった。菜乃子にしてみれば、心を助けたのは気まぐれのようなものだった。反応なんて、余計なお世話だと悪態を吐かれるくらいだと思っていた。
「……ひとまず、ここから立ち去りましょうか。このままだと、またイジメられますよ」
「その前に、聞きたいことがあるんだけど」
俯きながら、鹿島心は言う。
「お裁縫セット、持っていない? お洋服を、直したくて……」
「……ええ」
泣きそうな表情で言うものだから、菜乃子は困惑してしまう。鹿島心が見せる意外な一面が、あまりにも意外だった。
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