028 おともだちができましたあ!!
家松教頭という男は、これまで特別な経験をしてこなかった。いつも誰かが主役として輝いていて、陰気で気弱な彼はいつもモブ役。それでも、合いの手を入れるおだて上手を活かすことで、家庭を持ち、子を作り、やがて教頭の地位にまで上り詰めるに至る。
「なぁ、お前。私はついに、教頭になれそうだぞ」
「はいはい、しっかり稼いでくださいね」
「この調子なら、校長も射程圏内だろう。お前にも苦労をかけたが……」
「あらほんと? 娘が塾に通いたいって言ってたからちょうどいいわ。もっと稼いできてね」
「ああ……」
華々しい人生ではなかった。むしろその対極、堅実な人生だった。念願の家庭を手にしても、娘が生まれてからは家の中に居場所はなくなった。家族が自分を愛していないことは薄々感じてはいたものの、それでも彼は、家族のために身を粉にして働き続ける。教頭という地位が、何かを変えてくれると思っていた。妻は、給与明細表しか見ていないというのに。
見たくない真実から目を話した彼が辿り着いたのは、コツコツと積み上げてきたものが崩された後の異世界。教頭に就任し、さぁ次こそと生きを巻いていたところで――何もない世界に飛ばされた。
「ふざけるなあああああああああああああああ!!!」
小さな石を積み上げて、必死に上り詰めて。
新しい景色が見えると信じていたのに――また、何もないところからやり直しだ。周囲には、未来明るい高校生の子どもたち。冷ややかな視線が、容赦なく家松教頭に降り注ぐ。
「うわ、家松もいんのかよ」
「きっつー、お願いだから、近寄らないでね?」
教育者として違えたことは、一度もなかった。それなのに神は、彼に試練を与える。
「――お前程度が、この私を笑ったのか?」
家松は、許せなかった。
自分の尊厳を傷付けられたような気がしたのだ。
だから。
『血溜まりの夜』、家松教頭は超えてはならないラインを踏み越えてしまう。
凶暴な食人鬼が学校を襲う中、身を隠していたある女生徒に、食人鬼を誘導した。それから家松教頭は、彼女が食われるさまをじっくりと観察していた。
「た、助けてよおおおおおおおおおおおおおおお!!」
自分を侮っていたクソガキが、惨めに捻り潰されながら命乞いをしている。気持ち悪いと蔑んでいた目線は、懇願に変わっていたのだ。もう助からないというのに、彼女は切実に教頭の助けを願っていた。
「……ははは」
そのとき彼は、かつて経験したことのない不思議な感覚に襲われていた。
「私は、強者だ」
コツコツ積み上げてきたものは、失われた。だが、もはやそんなものはどうでもいい。殺戮を目にして沸き立つ感情が、とある奇跡を引き寄せる。
――天職『暗黒騎士』
闇落ちしたかつての指導者は、邪悪な衝動に身を任せ、血を求める。
「……思い知らせてやる」
殺害の高揚感と身体に満ちる万能感が、家松教頭を暴走させた。『血溜まりの夜』を隠れ蓑とした、教師による生徒の殺害劇。そしてそれを止めたのは――他ならぬ、梅木壮哉であった。
「――くそったれが」
「……あ?」
殺すことでしか、解決は出来なかった。梅木が止めなければ、『聖女』が殺されるところであった。
この日、梅木壮哉はクラスメイトを襲う教頭を、誰もが見ている前で遂行した。返り血を浴び、容赦なく剣を振るう様を見た他の生徒たちは、口々に梅木に感謝する。
――
「俺は、勇者だから」
その時点で、彼らのコミュニティでは人を殺すことが正当化されてしまった。理由さえあれば、他人を排除してもいいのだと。以来、梅木は治安維持のためなら手段を選ばない覚悟を決める。ひとり殺すもふたり殺すのも、彼にとってはさしたる問題ではない。それを許可したのは、他ならぬ周囲のクラスメイトなのだから。
『お前は本当に、何も知らないんだな。この10日間、俺たちがどれほどの地獄を見てきたのかも知らずに、呑気にへらへらしていたわけか?』
それはかつて、転移したばかりのイツキと梅木の会話。
『し、仕方ないだろ! 俺だって、訳もわからないまま転移されて、気が付いたらそうなってただけで!!』
梅木は、のうのうと笑うイツキのことが、心から許せなかった。今、梅木が手にした平穏は、地獄を経験してから手にしたものだ。後入りの平和ボケした無能を仲間に加えるなど、彼は許せなかった。
『……ああ、そうだな。お前は何も悪くない。ただ――運が、悪かった』
食糧難だから、仕方がない。
無能なんだから、仕方がない。
だが、それ以上に――遅れてきたイツキが、気に食わなかったのだ。
――人殺し。
そう呼ばれることが、梅木は恐ろしかった。
◆
「大崎」
それは、不意に訪れた遭遇だった。
休み時間、通り過ぎたクラスメイトに声をかけるような感覚で、梅木はイツキを呼び止めた。2年6組の教室の前で、梅木が待ち伏せていたのだ。
「……梅木か」
これまでイツキは、梅木と一対一にならないようにさり気なく躱していた。だが、こうまで堂々と訪問されると、躱すことは不可能だ。
「二人きりで、話したくてさ」
「……中、入るか?」
糸の張り巡らせた教室内は、イツキの領域だ。いくら『勇者』とはいえ、分が悪いだろう。……だが。
「いや、ここでいい」
中に入られて、糸を見られたくなかった。危うさはあるものの、ここは会話に応じるべきだ。
「よく戻ってきたな、お前。俺だったら、絶対に逃げてたぜ」
「逃げてどうするんだよ。ここが一番、安全じゃないか」
口にする言葉はデマカセ。要は、腹の探り合いだ。
「出会い頭のいざこざは、誰かに教えたのか?」
「教えたような、教えなかったような」
「梅木に殺されかけたなんて、普通は誰も信じないだろ。カースト上位って、そういうもんだ。俺がどんなに被害を訴えても、信じてくれるのは扱いの悪い奴らだけだ」
「だから、鹿島心に近付いたのか?」
「あれはまぁ、成り行きで」
結果オーライ的なところも大きい。概ね、彼女の自爆である。
「俺が転移する前に、色々あったみたいだな。しっかりと、梅木一派としての意識が根付いている。もし、強行してお前を殺そうもんなら、村八分になりそうだ」
だからこそ、イツキは梅木に手を出すことは出来ない。復讐を完遂したところで、他のクラスメイトの信用を得られなければ意味がないのだ。異世界で生き抜くためには、仲間が必要だ。天職の力は、それほどまでに大きい。崩せそうなところから仲間に引き込んでいるのは、そのためである。
「だが、俺もお前の口を封じることは出来ない。ムカつくことに、最初の登場でやられたよ。食糧難の俺たちに、大量の肉を渡してくるなんて……これじゃ、正当な理由がなければお前を追放できない」
梅木壮哉がどれだけ強くとも、民意には耳を傾けなければならない。人殺しではなく『勇者』としていられるのは、クラスメイトが梅木を信用しているからだ。食糧難を救ったヒーローを追放したら、梅木の信用は瓦解する。仮にイツキを排除したところで、梅木が望むものは手に入らない。
「面倒な状況になったもんだな」
「ああ、殺せば早いのに、それが出来ない。お前は本当に、鬱陶しいな」
利益を意識するのなら、手出しができない。
故に、直接的な排除に乗り出すには、利益を無視する覚悟があるかどうか、である。
あるいは――利益を損なわずに、相手を殺す方法を見つけたときだ。
「困った困った、だから提案があるんだ」
にこやかに、梅木は手を差し伸べる。
「――一時的に手打ちにしないか。不満も怒りも今は我慢してもらって、明日を生きるために手を取り合おう。許せとは言わない。決着は、いつかつけよう」
「いいね」
イツキは、これまたとびっきりの笑顔で手を握り返した。
「やっぱり、同じクラスメイトなんだから協力しあわないとなぁ」
「もちろんだ。大崎の貢献には、心から期待している。何か不満があったら、すぐに言ってくれ。
「ありがとう」
触れ合った瞬間、両者は理解していた。
許す気なんて、さらさらなくて。
底知れぬ殺意が、猿でもわかりそうなほど伝わってきて。
――ああ、殺し合うことでしか、解決しないのだと両者は確信したのである。
「それじゃぁな、
「ああ、
めでたし、めでたし?
白々しいにも、程がある。
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