022 イジメの標的
自分の荷物を回収するために、3年4組の教室を訪れた鹿島心は、自分の寝袋がずたずたに斬り裂かれているのを見下ろしていた。
「……容赦ないわー」
香水の小瓶が砕かれて、べとべとになっていた。砕かれた小物類は既に原型を失っていて、片付ける気も起こらない。
「あたしじゃねえからなー」
唯一、教室に残っていた市原神美が、どうでも良さそうに声をかける。
「わかってるわよ。あんたがこんな陰湿なことするわけないし……犯人なんて、あいつらに決まっているでしょ」
丹羽里穂か、西山知花のどちらか、あるいはその両方。特に知花に至っては、昔から心を目の敵にしていた。
「……出て行くの?」
「うん。里穂とはもう、やっていけないし」
「そっかぁ。寂しくなるな」
「嘘」
市原神美は、寂しさを覚えるほど感傷的な人間ではない。
「また遊びに来いよー」
「あんたのそういうとこ、居心地良かったわ」
市原神美は、誰にも属さない。媚びない。従わない。だからきっと、心の荷物をぐちゃぐちゃにした光景すら、ぼけーっと見ていたのだろう。だからといって、心は彼女を責める気にはならない。神美という少女は、下らないお遊びに心底興味がないだろうから。
◆
転移してきてから、鹿島心は3年4組の教室を根城にしていた。丹羽里穂とはそれなりに仲の良い関係を築いてきたつもりだったし、こんなに早くここを出ていくことになるとは思わなかった。
「……ふん」
かといって、頼れる相手もいない。一瞬、大崎イツキの顔が脳裏に浮かんだけれど、慌てて首を振って否定する。ここで彼を頼ってしまったら、またあいつらにバカにされる。舐められたくないという想いが、彼女をどこまでも迷わせる。
「心」
そんな彼女のもとに近付く影。
「なーにしてんの?」
丹羽里穂と西山知花が、ニヤニヤと軽薄な笑みを浮かべて待ち構えていた。
「そのパーカー、愛しの彼からの、贈り物? 羨ましいですぅ」
ぶりっ子のような口ぶりが、鼻につく。心とはまた違った意味で、西山知花はワガママだった。
「子供っぽくて、お粗末で、鹿島さんにはとってもお似合い。顔だけが取り柄なんだから、服なんて何でもいいよねぇ?」
「……知花、あんたがあたしの制服や寝袋を切り裂いたの?」
「うん、もういらないのかなって思ったから。露出狂の鹿島さんには、下着姿がお似合いよ?」
「止めなよ、知花。追放間近の心が、可哀想。あんまりイジメてあげないで」
形式的には止めようとしているけれど、丹羽里穂の笑顔は隠しきれていない。
「……追放間近って、どういうこと?」
「え? ホントにわかんないの? 無能な心のこと、そろそろみんな嫌気が差してね。しかも、要注意人物の大崎に媚びて股を開くくらいじゃん? そんなの、許せないよねー」
「あ、あたしは別に……!!」
「下着姿で迫って、振られたもんね。あの光景、ホント面白かったなぁ」
二人の辛辣な態度は、異世界から積み重なったものではない。もっと前、この世界に来る前から根付いていた、鹿島心への敵愾心だ。顔もスタイルも良くて、ただそこにいるだけで魅力を放つ、女としての圧倒的格差。友達として側にいた彼女たちは、多大なる劣等感を抱えていたのだ。
「ほら、それ、脱ぎなよ。お気に入りの下着姿になって、奴隷にでもなったら? 性処理道具に立候補すれば、あんたみたいな無能でも置いてくれるかもよ?」
「……性処理道具は、里穂だけで十分でしょ」
「あ?」
それは、触れてはならない言葉だった。
「あんま舐めたこと口にすんなよ、クソビッチ。お前はとっくに、見限られてるんだよ。殺してもいいって、言われてるんだからな?」
丹羽里穂の怒りの炎が、顕現する。『炎術士』としての才能が、今にも心を焼き尽くさんとしていた。
「こ、殺すって――」
ひた、と。
心の首筋に、冷たい何かが触れた。
それが、知花の手に握られた大槍の刃先だと、遅れて気がつく。
「動かないで下さぁい。か弱い乙女の細腕では、刺し殺してしまうかもしれませーん!」
――『槍術士』
鹿島心は、武力では何一つ敵わない。
「じょ、冗談でしょ?」
「さぁ、どうでしょうねえ」
知花が、厭味ったらしい声で言う。
「……そこの、放送室に入りなよ。三人で、じっくり話をしよう?」
奇しくもそこは、心が菜乃子を連れ込んだ密室でもある。放送室内は防音仕様になっており、どれだけ叫んでも外には聞こえない。槍を突きつけられた心は、抵抗できずに言われるがまま放送室へ進んでいく。
「鹿島さん」
「……何よ」
「やっぱそれ、似合わないですう」
槍の穂先が、心の着ていたパーカーを引っ掛けて――容赦なく、切り裂いた。
「えっ……」
「じゃあな、心。あんたこと、死ぬほど嫌いだったぜ」
「なっ――!?」
吐き捨てるように悪態をついて、心の背中を力強く蹴り飛ばした。勢いよく、放送室の床に投げ出される。
「ばいばーい」
ニコニコと手を振りながら、放送室の扉を締める知花。がちゃりと音がして――心は、放送室の中に閉じ込められてしまった。
「……嘘でしょ?」
慌てて扉を開けようとするが、外から鍵を閉められているのか、ぴくりともドアノブが動かない。どんどんと扉を叩いて叫んでみても、外には何一つ音は伝わらない。
「最悪」
ひとしきり暴れては見たものの、どうすることも出来なかった。閉じ込められた心は、ふと自分の状態に気が付いた。
「あ……」
イツキに作ってもらったパーカーが斬り裂かれていた。それは、心が普段使いするような洋服ではない。だが、制服を駄目にされたとき以上に、遥かに大きな悲しみが心を襲う。
「……どう、して」
ぼろぼろに斬り裂かれたパーカーが、これ以上壊れないよう優しく脱ぐ。ガラス細工を扱うような繊細な手付きで、パーカーを折りたたんで抱きしめる。これ以上着ていたら、何かの弾みでもっと破れてしまうかもしれない。心にとって、肌を晒すよりもその方が我慢できなかった。
「普通、ここまでやる……?」
ぽろぽろと、涙が零れ落ちる。どれほど辛辣な嫌がらせを受けても、ここまで傷付くことはなかった。
「あ……でも……」
ふと、思い出したのは先日の菜乃子とのやりとり。あのとき、菜乃子をこの放送室に呼び出して、今日は一日ここにいろと命じた。ただ、自分の都合を優先するために、強い言葉を口にして。
「……あたしも、似たようなことは、していたかも」
悲しみの総量が大きすぎて、心の判断力はおかしくなっていた。あのときの菜乃子と今の自分を重ねて、たまらなく申し訳ない想いに駆られる。
「…………」
感情が大きく揺さぶられたとき、彼女の力は真価を発揮する。初めてそれが発現したときのように、彼女の秘められた才能が開花する。
「……え?」
錬成陣『泥人形』
流れた涙を触媒に、再びブサイクな彼が心の前に現れる。
「……ゴシュジン、ヨンダ?」
「これ、本当に錬金術なの……?」
どちらかと言えば、使い魔召喚である。それに、どう考えてもこの泥人形には意志がある。記憶がある。人格がある。それは、錬金術の枠組みを超えたものではないだろうか。
「ハハ、ゴシュジン、イジメラレテラ」
「うっさいわね……!」
けらけらと笑う泥人形を、爪で弾いた。
「アウ」
二度目の再会を果たした泥人形は、以前よりも小さかった。手のひら大のサイズ感。まさに、マスコット。
「あんた、ここの扉を壊せる?」
「ムリゲー」
「つ、使えな……」
相変わらず、彼女が錬成した泥人形はよわよわである。寂しさを紛らわせることしか出来ないらしい。
「……でも、ちょっと気持ちが楽になった。ありがとね」
ちょん、と。
指先で、泥人形の頭を撫でる。
「ナマエ、クレヨ、ゴシュジン」
「ほんと、生意気だなぁ」
「ウギャー」
「名前かぁ……」
指先で泥人形を弄びながら、ぼんやりと考える。
「大崎イツキ」
ふと、理由もなく彼の横顔を思い浮かべていた。
「ソレハ、ナイワ」
「ばーか」
そんなわけないでしょ、と笑いながら、何度も泥人形を転ばせる。
「……いっくん」
「ウワ」
「勘違いしないでよ。昔飼ってた犬の名前だから」
「チョット、オモイ、ナァ……」
「贅沢な奴」
密室に、女子高生と泥人形。
寂しさを紛らわせた先にある未来は、意外にも明るそうだ。
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