019 錬成陣『泥人形』
鹿島心の人生は、非常にイージーだった。というのは、第三者からみた勝手な意見でしかない。可愛さが故にちやほやされ、学業の傍らでモデル業をこなす彼女の人生が輝いて見えるのは、一部分を切り取っただけにすぎない。
「……心は、可愛くなきゃ意味がないのよ」
子供の頃、心を子役の世界に連れて行ったのは、他ならぬ母親だった。女優として芽が出なかった彼女は、自らの夢を娘に託した。結婚相手に選んだのは、高身長、二枚目、格好良い骨格。正確や収入面などは、二の次に選んだ
「可愛ければ、全てが許されるの」
母親の期待に答えるように、心は恵まれた容姿を引っ提げてこの世に生まれてきた。理解ある父親の協力もあって、子役からモデル業へのステップアップを果たしていく。順風満帆とも呼べる、可愛さを売りにしていく人生。だが、異世界転移によって、積み上げてきたものが失われてしまう。
◆
「はぁっ、はぁっ……!! 何よ、何なのよ! ああ、ムカつく!! 異世界に来てから、嫌なことばっかり! 早く、現実に戻りたい……夢なら、早く醒めてよ……!!」
夜の森を駆け抜けながら、涙目を拭いながら愚痴を繰り返す。下着姿にブラウスを羽織っただけの無防備な状態であることすら、彼女は抜け落ちていた。
「っ……! やだ、切れてる……! 痛い……」
自慢の身体に血が滲む。こんなときでも気にするのは、自分の命よりも現実に帰ってからのこと。衝動的に、逃げるように学校から立ち去ってしまったが、ふと我にかえる。
「……ほんと、バカ」
音のない世界の中、静寂が背筋を撫でる。
「帰りたいよぉ……」
突然、怖くなってしまった心は、大きな樹の根本で膝を抱える。だが、彼女は気が付いていなかった。あるいは、理解していなかった。夜の静寂の中に潜む、純然たる殺意を。
「……え?」
昼よりも獰猛さを増した食人鬼が、獲物の匂いを感じ取って、近寄っていた。夜這いのために振り撒いた香水の甘ったるい匂いが、心の位置を教えてくれる。
「ひっ……」
彼女は今日まで、食人鬼と対面したことがなかった。見たことがないわけではない。だが、いつも安全な教室の奥から、窓を通して遠くから眺めていただけ。だからこそ、異世界がどういうものかを根本的に理解していなかった。
「むり」
がたがたと、歯が震えていた。
「きもい」
今すぐにでも、ここから逃げ出した。
「……嫌!」
声を殺して、じっと隠れることなんて、出来るはずもなく。無様な逃げ姿を晒しながら、食人鬼の森を逃げ回る。
――ギシャアアアアアアアアア!!!
獲物を見つけた食人鬼は、歓喜の声をあげて心を追いかける。運動神経に恵まれない心にとって、不慣れな森を逃げることは難しい。
「~~~~~~~~~~~~~~~~!!!」
死物狂いで逃げようとするが、追いつかれるのは時間の問題だった。生まれて初めて触れる死の匂いに、心は頭がおかしくなりそうだった。
――どうして。
何度も繰り返される他責の声。
誰も心を助けてくれない。誰も心の味方をしてくれない。何も与えられないのであれば、それは当たり前のことなのだと、今更のように理解する。
「心を追いかけてくれる人、誰も居ないんだ」
友達だと思っていた相手からも、冷たく見下されてしまった。今頃、陰キャに迫って醜態を晒した自分を仲間内で笑い飛ばしているのだろう。女子のコミュニティは、なかなかに陰湿だ。
「……等価交換」
昔見たアニメを、ふと思い出した。何かを得たければ、何かを差し出さなければならない。
それは、無意識下の行動だ。
彼女が狙ってそうしたわけではない。
――『錬金術士』の特性が、彼女の窮地に呼応する。
「誰か、助けてよ」
寂しがり屋の彼女が願うは、決して裏切らない頼れる守り手。大きな樹木に手を当てた心は、奇跡の御業を実現させた。
――『泥人形』
禍々しく育った異世界の樹木は、心の無我夢中で導き出した錬成陣によって、そのものの在り方を変質させる。一般的な錬金術とは少々趣が異なるものの、孤独を忌み嫌う少女が願ったのは、己を守る忠実なしもべ。
「何よ、これ」
小学生ほどの大きさの、『泥人形』は、食人鬼の前に立ち塞がる。目の前の泥人形が自分の力によって生み出されたものだとは、未だ気が付いていない。
「助けてくれるの?」
「…………」
泥人形に、返事はない。
ただ、鹿島心を守るためだけに生成された存在である。相手が誰だろうとも、泥人形は容赦することはない。悪意から身を挺して守るために、この世に産み落とされたのだから。
――だが。
「……え?」
心の前に立ち塞がった泥人形は、獰猛な食人鬼の鉤爪を前にして、いとも容易く胴体を抉られてしまった。
――ギシャアアアアアアアアア!!
突然現れた泥人形に動揺しつつも、躊躇うことなく攻撃を繰り出した食人鬼。土壇場で泥人形を生成した心を嘲笑うかのような光景だった。
「よ、弱すぎじゃない……?」
一瞬にして吹き飛ばされた泥人形は、歪に崩落した身体を強引に持ち上げる。怯える御主人様を守ろうと、懸命に立ち上がった。
――が。
「あ……」
ぐらり、と。
自分の身体の重さを支えきれず、自壊した。食人鬼がとどめを刺す迄もなく、泥人形は地面に這いつくばる。
「そんな」
崩れた泥人形の顔は、不自然に歪んでいた。ブサイクな顔つきは、とてもじゃないが自分が錬成したとは思えないような見た目をしている。趣味じゃない、可愛くない、ちょっとキモい。そんな泥人形を、心は――。
「――あんた、何してくれんのよ!!」
普通に、ブチギレていた。
相変わらず、彼女の怒りは時や状況を選ばない。
「せっかく人が命懸けで生み出した……なんだろ、これ? えっと……そう、ゴーレム! あたしのゴーレムを、ぶっ壊してんじゃないわよ!」
自分の命の危険よりも、泥人形を壊された怒りの方が強かった。そういうところが、実に彼女らしい。
「あんたもさっさと立ち上がりなさいよ!! こんなのに負けてるんじゃないわ! なんかもっと、凄い能力とかないの!? あたし、『錬金術士』なのよね!? 何とか言いなさいよ!」
よくわからないが、不思議な愛着のようなものをブサイクな泥人形に感じていた。それは、自分でも理解できないよくわからない衝動。心は、自分の生み出したものを見捨てて逃げようとは思えなかった。
「ゴシュジン」
「あんた、喋れるの!?」
「ワタシニ、ジガハ、アリマセン」
ぐぐぐ、と。
泥人形は立ち上がろうとするが、己の重さを支える基盤が壊されていた。
「ニゲテ、ゴシュジン、コレ、ムリゲー」
「諦めんなー!!」
何度も立ち上がろうとしては、すってんころりん。不格好に引っくり返って、醜態を晒している。対する食人鬼も、見慣れない泥人形を前にして戸惑っていた。壊しても壊しても、行動を停止する素振りが見えないのだ。
「ゴシュジン、ゴーレム、モットツヨクツクッテ!」
「うっさいわ!!!!」
「ゴシュジン、タスケテ、タス……ケテ……」
「あんたがあたしを助けるのよ!! もう~~!!!」
意志がないと思ったら、言葉を口にし始めて。立ちあがるかと思えば、不細工に失敗してばかり。だが、そんなどうしようもない泥人形が、今は嬉しくて、嬉しくて。一人じゃないというだけで、彼女は元気を取り戻していた。
「アア~~~~、カテナイ~~~~」
壊れても壊れても、泥人形は絶えず身体を継ぎ接ぎにして再生する。その度に即壊されるものだから、食人鬼も面白がって残虐に攻撃を加え続ける。奇しくも、ご主人から注意を引いているとも言えるのだが、いかんせん弱すぎる。
「――ああ、もう見てられない」
すぱっ、と。
泥人形を壊し続ける食人鬼の首が、月夜に照らされて宙を舞う。白銀の大鋏が、一瞬にして襲撃者を処刑した。
「……え?」
タイミングを見計らっていたわけではない。彼女が『錬金術士』としての真価を見せてくれるかどうか、伺っていた。だが、泥人形がイジメられる様は、見ていて気持ちいいものではなかった。
「大崎……」
その場にへたりこむ心は、救援の男子生徒を見上げて、空虚な表情を浮かべていた。まだ、何が起きたかを理解していないのだろう。
「『鋏』のことは、内緒にしていてよ。これ、俺の切り札だから」
「う、うん……」
助けられた、と。
遅れてきた理解が、心の脳みそに浸透する。
月明かりに照らされた苦笑いが、やけに印象的だった。
「大崎が……助けてくれたの?」
「追いかけなかったら、化けて出てきそうだし」
ぱさり、と。心の身体に、大きめのワイシャツが被せられる。いつまでも下着姿ではいけないという、イツキの配慮。震える手が、ぎゅっと握りしめる。
「ゴシュジン、ゴシュジン」
崩れた身体をジタバタと動かしながら、泥人形は声を上げる。
「タ、タ、タスケ……テ……」
「……バカね。本当に」
空っぽの胸の内に広がるぬくもりを、彼女は静かに噛みしめていた。
「あたしみたい」
ブサイクな泥人形を、それでも愛おしく撫でる。
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