018 今夜、夜這いをします


 ――夜這い。


 今から自分は、男の子に夜這いを仕掛ける。


 そんな一文に、奇妙な高揚感を心は抱いていた。テンションとノリだけで生きる女子高生は、後先考えない行動に身を置いていた。神美に唆されたから? イツキに面倒とあしらわれたから? 菜乃子が気に食わなくて? どれも正解で、どれもが不正解。一度決めたらやるしかないと、張りぼての決意が身体を動かしていた。


 自分が優位であると信じて疑わない心にとって、夜這いという能動的なアクションは、主導権を握るにはベストの選択肢に見えていた。


「……大崎?」


 寝てるよね? と。

 足音を殺しながら、不安げに教室内を覗き込む。


 緊急時に備えて、学校の校舎には寝袋が保管されていたが、イツキと菜乃子はそれを受け取ることはなかった。糸を生成できるイツキにとって、寝袋よりも快適な寝床を作ることはそう難しいことではない。


「……何よ、あれ。まさか、ベッド……?」


 机をベースに擬似的なベッドを制作していたイツキは、その中央で眠っていた。大きさにして、セミダブル程のサイズ感だ。もし、菜乃子が教室に帰っていたら、二人で一緒に寝ていたのだろうか。


「仕立て屋って、本当に凄いのね」


 よし、と。

 やはり大崎イツキは有能であると確信した心は、おもむろに制服のボタンを外した。天性の妖艶さを供えた身体を見せつければ、クラスの地味な男子などイチコロである……はず。


「……へ?」


 だが。


「ちょ、ちょっ――な、何よこれええええええええええ!!!!!」


 アリアドネの糸に守られたイツキに、ただの女子高生が触れられるわけがなかった。無防備に罠に引っかかった心は、そのまま糸に絡め取られ、空中に縛り付けられてしまう。


「……何してんの?」


 不機嫌な表情を浮かべるイツキが、胸元を大きく開けた女子高生を見上げていた。糸に縛られて、痴態を晒している。害がないと判断したイツキは、針を操作して彼女の拘束を解いてやる。「ぎゃ!」と小さな叫び声をあげて、心の身体は無防備に地面に激突する。


「な、何なのよこれ! 大崎、あんたの仕業!?」


「寝込みを襲われたら怖いからな。罠を張っておくのは当然だろ」


「必要ないわよ、そんなの! 安全な学校なのに!」


「……目の前に、襲いに来た奴がいるんだが?」


「あ、あたしは違うわよ! モテないあんたがカワイソーだから、夜這いに来てあげただけじゃない!」


「罠を仕掛けておいてよかったー」


「う、うざああ!!!」


 きーきーと吠えたける様は、実に彼女らしいとイツキは呆れていた。鹿島心は、影の薄いイツキにとっても目を引く相手だった。異世界に来ても、彼女のマイペースっぷりは変わらない。


「……なんで俺なの? 媚びるなら、梅木の方がいいんじゃない?」


「影が薄いくせに、有能そうだし……あと、女の子に耐性なさそうだから、ちょろいかなって」


「少しは誤魔化そうな?」


「それに、あんた仕立て屋なんでしょ? あたしのために、可愛い服を作ってよ」


 考えが、浅すぎる。

 最初は何か裏があるのかと思ったが、どう考えてもそうは見えない。


「……菜乃子が帰ってこないのは、鹿島さんの仕業?」


「ええ、そうよ! あたしが夜這いに行きたいって言ったら、譲ってくれたの。今は、放送室にいるわよ」


「ふぅん」


「……笹川さんとは、付き合っているわけじゃないんでしょ。ほら、少しくらいサービスしてあげるから、あたしを守りなさいよ。傍におきたくなるほど、カワイイでしょ?」


「…………」


 宴の最中に、イツキは鹿島心の立ち位置を耳にしていた。『錬金術士』という天職を得ながら、一切発動させることのできないお荷物扱い。彼女がこうして焦っているということは、未だ能力の扱い方が分からず、立ち位置が危うくなっているという証明だ。


「それに、あんたの方こそ状況がわかっていないんじゃない?」


 ブラウスのボタンを外した心は、机の上で足を組んで、陶器のような肌を晒した。スカートを脱ぎ捨てて、下着を顕にしながらも、彼女は余裕ぶった笑みを浮かべている。


「今、あたしが叫び声をあげたら、どうなると思う? カワイイ心ちゃんを襲った犯人になってみる?」


「アホか」


 浅ましい考えを、鼻で笑い飛ばす。


「だとしたら、菜乃子を連れて学校を立ち去るだけだよ。鹿島さんは、貴重な食料源を失った重罪人として、裁かれるだろうけど」


「なっ!?」


 鹿島心と大崎イツキでは、既に立場が異なっている。イツキが何のために食料をばらまいたと思っているのだ。自分の味方でいれば、飢えから解放されると理解させるためだ。


「いつまでも、ワガママを口に出来ると思わない方がいい。じゃないと、自分の立場が悪くなっちゃうよ」


「……どうして?」


 それでも彼女は、言葉を返す。


「どうして、あんたはあたしが欲しいと思わないの? 男って、そういうものじゃないの? もっと……あたしのこと、ちやほやしなさいよ! 興味なさそうな目で心を見ないでよ!」


「可愛くないから」


 きっぱりと、言いきった。


「鹿島さんは、可愛くない。普通に、ブサイクだよ」


「――はぁっ!?」


 ぶちっ、と。

 イツキの余計な一言に、彼女はブチ切れる。


「か、カワイクないわけないでしょ!? みんな、あたしのことをカワイイって言ってくれているもん!! それなのに、地味で陰キャなあんたが、あたしをブサイクだって!? ふざけるんじゃないわよ!!」


 物凄い剣幕で、イツキに掴みかかる心。防御することも可能だったが、あえてその怒りを受け止めることにした。胸ぐらを掴まれて、教室の外にまで押し出されていく。バランスを崩したイツキに馬乗りになりながら、彼女は廊下で吠え猛る。


「せっかくあたしがサービスしてあげようっていうのに、強がってるんじゃないわよ! どうせ本当は、あたしの下着姿を見て興奮しているくせに――!!」


「……そんなわけないだろ」


「こ、このっ……!!」


 馬乗りになっているのなら、わかるはずだ。

 イツキの身体は、彼女の下着姿を見ても、少しも反応していない。性的興奮など、これっぽっちも感じない。


「どうしてこうなるのよ……!! カワイイって言われることが、心の全てだったの! だって、心がカワイイ格好をしたら、みんなが笑顔で褒めてくれるの! パパとママも嬉しそうに、頭を撫でてくれるの! 勉强も運動もできない心の、唯一の取り柄なんだから!」


 彼女の怒りは、収まらない。


「あんたみたいな地味な奴は、心のことをカワイイって褒めておけばいいの! それなのに、心のことを、ブサイクだなんて――!!」


「……何してんの、心?」


 だが。


 騒ぎを聞きつけたクラスメイトたちが、引き攣った笑みを浮かべていた。


「あ……」


 下着姿で、イツキに馬乗りになりながら胸ぐらを掴んでいる。何も知らない人からしてみれば、鹿島心がイツキに迫っているようにしか見えない。


「えー、やだぁ……! 心って、地味なオトコが好きなの? 意外と、趣味悪いんだね」


 丹羽里穂が、心底見下したような瞳で笑っていた。心の心臓が、きゅっと縮まった。


「うっわー、ドン引き。身体使って媚びようとしたら、あしらわれちゃったんじゃない? やっぱ鹿島さんって、見た目だけが取り柄のおバカさんなんだね~~」


 西山知佳、序列19位。天職『槍術士』。

 中学生のような見た目をしているが、中身は小学生以下のメスガキ気質。相手をからかうことが大好きで、クラスメイトから孤立しがち。転移以前から、鹿島心を目の敵にしていた。


「里穂さん、友達選んだ方がいいですよぉ? 同類みたいに思われちゃいますって」


「えー? そもそも心とは、友達じゃないしー」


 クラスメイトの前で醜態を晒す心へ、容赦ない悪意が降り注ぐ。


「止めなよ、二人共。鹿島さんが、かわいそう」


 騒ぎを聞きつけた楠本朱鷺が、悪気なく言った、その言葉。


「……心が、かわいそう?」


「いや、特に他意は……」


「――放っといてよ!」


 見下していた地味な男子には相手にされず、クラスメイトの前で無様な姿を晒して、友達だと思っていた相手にバカにされる。そんな状態では、どのような言葉も嫌味にしか聞こえない。


「見ないでよ、バカぁっ――!!」


 涙目になりながら立ち上がった心は、逃げるように走り去っていく。乱れた服のまま、夜の学園外に向かおうとする彼女を、誰も追いかけようとはしない。


「……あーあ、行っちゃった」


 心の友達だった里穂は、興味なさそうに背を向ける。


「里穂さん、追わなくていいの? 夜は、危ないんじゃ?」


「知らないよ、あたしは。放っておいてって言ったのは、あの子だし」


 心を嫌う女子生徒は、そのまま背を向けて立ち去っていく。


「大崎、怪我はないか?」


 最後に残った朱鷺は、無表情で問いかける。


「……ああ」


「それは良かった」


 それから朱鷺は、ゆっくりと心が消えていった方角を見つめる。


「もし、彼女を追いかけるのなら、梅木たちには誤魔化しておくよ」


「え?」


 透明感を携えたまま、彼女は言う。


「追いかけるつもりなんだろう? 心のことは、君に任せる」


「……参ったな」


 真っ直ぐな瞳が、イツキの心の中を見通した。


「あれでも心は、悪いやつじゃないんだ。どうか、助けてやって欲しい」


「そうは見えなかったけど……」


「君は、噓吐きだな」


 ふっと、薄く笑って。


「――追いかける気、満々のくせにさ」


 鹿島心にくくりつけておいた、不可視の糸。どれだけ学校外に迷い込もうとも、糸が続く限り追いかけられる。


「楠本さんは、何でもお見通しなんだね」


「朱鷺でいいよ」


 笑みを崩すことなく。


「君のその力は、出来ればみんなのために使ってくれると嬉しいな」


 楠本朱鷺、序列3位、天職『呪術師』。


 油断ならない相手がいたものだと、気を引き締める。

 



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