010 前職、女子高生
青葉の持っていたポーションを飲ませると、驚くほどの回復力を見せつけてくれた。あれほどうなされていた菜乃子は、すっかり安らかな寝息をたてるようになってくれた。念のため包帯の下を確認してみたところ、傷跡は綺麗になくなっていた。
「回復できるのは体力だけらしーよ。気力とかは寝て直せって、いいんちょーが言ってた」
委員長というのは、平山聖凪のことを指している。序列1位にして『聖女』の天職を授かった彼女は、薬師としての能力にも秀でていたらしい。狩猟を命じられた青葉と瑠海を見送る際に、お守り用にと渡されたようだ。
「あんま量産できないらしいけど、いいんちょーならためらわないだろうし」
「うんうん、私たちのものじゃないからね。お礼は平山さんに言ってあげてね」
ぶいぶい、と。
ちょっと古いピースサインで、笑顔を浮かべる女子高生二人。異世界でも教室でも、彼女たちの振る舞いは変わらない。
「お礼に、ノウサギは持ってってくれ」
貴重なポーションを使わせてもらえた以上、こちらも何かを返したかった。だが、彼女たちは目を見合わせた後、呆れるように笑った。
「……笹川さんのために捕まえたのに?」
「気力は回復しないから、栄養は必要だよね」
ぐう、とお腹を鳴らした二人。小野寺瑠海が、少し悪そうな笑みを浮かべていた。
「『狩人』はね、血抜きとかの解体作業も得意なんだよー。『料理人』ほどじゃないけど、サバイバル調理の技術も備えていたりして」
「……!」
「『雷術士』は戦闘職だけど、火起こしくらいなら任せなさい。どうかね?」
いたずらっぽい笑みを浮かべながら、二人は言う。
「……任せて、いいか? ついでに、追加の肉を回収してくる」
「なんとまぁ」
「優秀ですねえ」
いえーい、と。
二人でハイタッチをする女子二人。何だか、とっても楽しそうだ。
「多少の山菜や木の実も確保しているから、それも拾ってくるよ。笹川に、いいもん食わせてやってくれ」
「りょ!」
先程まで、化物と戦っていたのが嘘のようだ。すっかり忘れていたけれど、イツキたちはまだ、高校生。本来ならば、教室で授業を受けているお年頃なのだ。
◆
ぐつぐつと煮えたぎるスープの香りが、深い眠りから目覚める少女を迎えてくれた。笹川菜乃子は、痛みと熱に悶ながらも、薄っすらと状況を眺めていた。頼りがいのある男の子と、不意に現れたクラスメイト二人が、自分を助けてくれた。呼びかける声や想いは確かに届いていて、不意に恥ずかしくなってしまう。
「……あっ、おはよ、笹川さん」
「傷の方はどう? だいじょぶ?」
「あ……はい……大丈夫、です……」
ん、と。
小野寺瑠海が、何かを手渡した。
「ノウサギの丸焼きだよ! 結構イケるから、どうぞ!」
「あ、ありがと……う……?」
「あ、内蔵とかは食べなくていいからね。雑菌とかは大丈夫だから、ノウサギの血液ごと食っちまって! 新鮮な血は、栄養があるらしいし!」
鑑定眼で確認してみると、雑菌や寄生虫の危険性はなさそうだ。それどころか、栄養価が高いことを教えてくれている。
「……い、いただきます」
だが、栄養面の重要性は理解していても、ノウサギの丸焼きはなかなかにえぐい見た目をしていた。うら若き乙女がかぶりつくには、少々ためらわれる。
「わたしも最初はきつかったけど、なんとかなるよ。今ならイツキも見てないし、気にしないでいっちゃえ!」
「ぱくっとね、ぱくっと! ああははは」
「……ぱく」
う、
「あつっ――!!」
べーっと、舌を突き出して、過敏に反応する菜乃子。
「もしかして、猫舌?」
「かも、です」
「ふーふーして食べなよ。逃げないし」
「……じ、じろじろ見ないで下さい……恥ずかしいです……」
「いいじゃん、可愛いんだし」
青葉が、にっこりと笑いかける。
「笹川さんって、ちっこくて小動物みたいだもん」
「アオちゃんが餌付けしているみたいにならない?」
「えー、笹川さんに失礼だよー?」
何でもない会話が、止まる気配なく続いていく。ほとんど中身がないのに、どうしてこうも心を打つのだろうかと、菜乃子は疑問で仕方がなかった。彼女たちの醸し出す普通さが、今はとても尊いものに見えて。
――ああ、本当に異世界に来てしまったのだ。
と、今更のように思い知らされるのだ。
「はい、これ雑煮のスープ! 身体、しっかりと温めてね」
「ありがと……です……」
笹川菜乃子は、クラスでは誰かと喋ることは殆どなかった。あまり積極的ではない性格なのはもちろん、女の子特有の会話についていくのが苦手だった。だが、いざこうして二人の会話に混ぜてもらっていると、不思議と悪い気はしなかった。屈託のない二人の笑顔が、菜乃子の心を落ち着かせてくれる。
「やー、なんかいいですな。ここにいると、教室にいる気分になるね」
「うんうん、時間の流れがのんびりしているよね」
「……お二人は……梅木くんのところに?」
「うん」
笑顔に、影があることを菜乃子は見逃さなかった。
「もしよかったら、笹川さんもこっちに帰らない? 学校の方が安全だし……仲良くやれそう! もちろん、大崎くんもだよ」
瑠海が二人を誘い出そうとするも。
「……それは出来ません。私も大崎くんも、梅木くんたちの手によって追放されてしまいましたから」
「え」
二人の表情が、固まった。
「嘘? 笹川さんって、自分の意志で出ていったんじゃないの……?」
「梅木くんは、みんなにそうやって説明していたのに……」
「役立たずは切り捨てているようですよ。そんなところに、今更戻れません」
「……そっか」
悲しげに、瑠海は俯く。
「役立たずは、追放かぁ……酷いなぁ……」
まるで、自分のことのように彼女は憂いていた。
「そういえば、大崎くんはどこにいるです?」
「イツキ? それなら――」
「――目覚めたのか!」
噂としていれば、本人がノウサギの死体を抱えて戻ってきた。
「青葉、土産だ。持って帰れ」
「え? まじ?」
数匹のノウサギを捕獲したイツキは、そのまま戦果を二人に贈る。
「ポーション代と、手料理代。お前らだって、梅木に命じられて狩りしてんだろ? だったら手ぶらはまずいだろ」
「本当に貰っていいの?」
「気にするな。これでも足りないくらいだ」
「んじゃ、ありがたく貰っとこっかな。やったね、ルミちゃん!」
「う、うん……!」
梅木らは食糧難と耳にしていた。梅木本人が餓死しようがどうでもいいが、命の恩人である二人は違う。こうして救われた以上は、お返しが必要だろう。
「堀さん、小野寺さん……わたしのために、ありがとうございます。本当に、助かりました」
「水臭いの、やめよ? うちら、友達なんだし」
「そうそう、かしこまられると、笑っちゃうって!」
「そ、そうですか……? む、難しいですね……」
菜乃子は、同世代の女子との距離の詰め方がさっぱりわからなかった。イツキ相手ですら、あの有様だ。とてもじゃないが、普通とは言えない。
「あと、小野寺さんてのもやめよ? ルミでいいよ! わたしも下の名前で呼ぶからさ! 菜乃子ちゃん……うん、ナノちゃんにしよう!」
「あー、ルミちゃんは強引だなぁ。……わたしは青葉でよろしく」
「る、ルミさんと……青葉さん……」
「ナノちゃん」
「……むず痒いですね」
「照れちゃってまぁ」
「ちょろいですなぁ」
といいながら、今度はイツキを見つめる青葉と瑠海。
「……俺も?」
「もち」
少しだけ迷ったイツキは、場の雰囲気を察して大人しく従うことにした。意外と空気の読める男である。
「菜乃子」
「い、イツキ……くん」
頬を真っ赤にさせていた。思わず、イツキは顔を覗き込む。
「……まだ、体調が悪いみたいだ。あんま無理させんなって」
「ち、近いですってば……!」
慌てて、イツキから距離を取る菜乃子。
「イツキのせいだ」
「うるせえ」
たくさん笑って、たくさん喋った。
普通さがもたらすパワーの片鱗を、イツキと菜乃子は思い知らされてしまった。
「仲良くなるの、上手だな」
「そりゃ、前職では女子高生やらせてもらってたので」
青葉は、ドヤ顔で胸を張る。
「そりゃつえーわ」
「でしょ? くふふ!」
自分にはないものを持っている彼女たちが、今は少しだけ羨ましいと思ってしまった。
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