009 三種の神器『大鋏』

 

 傷を負った菜乃子を抱き抱えたイツキは、警戒針を張り巡らせた泉まで運ぶ。痛みのせいか、意識が朦朧とする菜乃子の汗を拭いながら、優しく寝かせた。


「痛むが、我慢してくれよ」


 効果があるかは分からないが、まずは生活魔法をかけて除菌を試みる。異世界の未知なる植物には、多種多様な雑菌がこびりついていることが予想される。真っ先に優先すべきは、これ以上体内に雑菌を送り込まないことだ。


「うっ……!!」


 澄み切った泉の水を、優しく傷口に垂らすと、菜乃子は痛そうに表情を歪める。抉られた傷口からは今も尚、血液が流れ出していた。止血と縫合が、速やかに必要だと判断したイツキは、迷うことなく糸と針を展開した。


「――『針仕事』」


 イメージするは、医療用の人体に適した糸。必要に迫られたことで、思考が研ぎ澄まされたおかげか、イツキの願いに応えて縫合糸が生成される。魔法に必要なのは強い願いとイメージである。菜乃子を救いたいというイツキの想いが、現代の素材や技術なしに、最先端の糸を生み出すことに成功した。


「ううううっ……」


 必要以上に歯を食いしばらないよう、柔らかな布を口元にかませる。痛みに堪える衝動で、歯を欠けさせるわけにはいかなかった。


「『瞬間縫合』」


 意識の先に進む両腕が、菜乃子の傷口を瞬時に縫合する。本人が気付かないほどの速度と優しさによって、速やかに傷口が塞がれた。出血も徐々に弱くなっていき、縫合が上手くいったことを確認したあとは、予め用意しておいた包帯で患部を覆う。


「……よし」


 応急処置としては、それなりに上手くいったはずだ。あとは、しっかりとした食事と体温の維持に努めるだけである。こんなときのために、泉の脇には衣類を隠しておいた。布団代わりに菜乃子の身体に巻き付けつつ、ライターで焚き火をおこし、薬草を煮立てた簡易スープを調理する。石を削っただけの無骨な鍋ではあるが、石器とは長年使われた文明の基礎である。イツキの糸では支えられない役目を果たしてくれる。


「……寒い」


 数時間もすると、菜乃子は寒気と倦怠感を口にし始める。慌てて額に手を伸ばしてみると、驚くほど熱かった。


「まさか……感染症か?」


 それとも、傷口から毒が入り込んだのか。原因不明の風邪のような症状が、菜乃子の身に襲いかかっていた。


(傷口の手当てはした! 体温の保持も問題ない! だけど……栄養が、足りていないんだ……!!)


 体内に入り込んだ雑菌と、彼女の身体が闘いを繰り広げている。その結果、熱という症状に表れているのだ。なるべく余計なエネルギーを使用しないように、安静に寝てもらう。だが、栄養源の確保だけは絶望的だった。


 ――キヒヒヒッ。


 その上で。


「……泣きっ面に蜂だな」


 茂みの奥から覗き込む、ギフトアプフェルの瞳。新たなる襲撃者が、弱った菜乃子を喰らいにやってきた。罠に気が付いているのか、糸にふれるギリギリ前のところで立ち止まり、気味の悪い笑い声を上げていた。獲物が死ぬのを待ちわびているようである。


 彼らの瞳が、イツキに訴えかける。


 ――獲物を差し出せば、見逃してやる、と。


「……ふざけんなって」


 今すぐにでも栄養になるものを探さなければいけないというのに、手強い化物に目をつけられてしまった。しかも、どうやら一匹だけではないらしい。背後から、二人目、三人目が容赦なく姿を表す。


 ――キヒヒヒヒヒヒヒヒヒ。


 笑い声が三重になって、辺り一帯に広がっていた。絶対的な優位を確信したギフトアプフェルたちは、じりじりとイツキを追い詰めていく。このままでは共倒れは避けられない。菜乃子を抱えた状態では、逃げることは不可能だ。だからと言って、彼女を守りながら撃退できるのか? 見捨てることが、正解だと――


 ――違う。


 ぐっと、歯を食いしばる。


 イツキは、彼女を見捨てることは出来ない。それは何も、彼女に心を奪われたとか、唇の感触が忘れられないとか、そういうわけではない。自分が生きるために彼女を切り捨てることが、己の誇りを損なうと理解しているからだ。もし、出会ったのが一日目だったら、彼女を見捨てられたかもしれない。だが、イツキと菜乃子は、今日までサバイバル生活を共にした仲間だ。不便さも、苦しみも、分かち合ってきた。


「――来いよ、馬鹿野郎が」


 無言で、『針仕事』を展開するイツキ。鋼糸を展開しながら、幾重にも防御の構えを取る。当然、ギフトアプフェルたちも糸の存在に気が付いている。先程首を撥ね飛ばしたときのようにはいかないだろう。


(限界を超えろ。チートでもなんでもいい、俺に彼女を守る力をよこせ)


 『限界突破』の文字を、脳に刻みつける。その名に恥じない力をと、心が声高に叫んでいた――そのときだった。


「――っ!」


 イツキの不穏なオーラを感知したギフトアプフェルは、本能的に後ずさりをしていた。何か、とてつもなく恐ろしいものが、牙を剥こうとしているのを感じたのだ。


 『針』と『糸』は便利な能力だが、相手を殺すための道具ではない。自らの能力の本質を理解したイツキは、強く、強く、殺意を脹らませた。イメージしろ、願いを込めろ、複合糸を生成できたのなら、出来るはずだ。『針仕事』が実現する、不要な糸屑の処理方法。余計なものを断ち切るための道具を呼びかける。


 ――白銀の大鋏が、宙に顕現した。


 光を反射する刃が、ギフトアプフェルたちの首筋を捕らえていた。


「――『断裁』」


 ばちん、と。

 弾けるような、力強い音だった。


 ――エ?


 あらゆる塵芥を切り捨てる、必殺の切断。イツキの位置を中心として、大鋏が容赦なく切り落とす。周囲にあった大木ごと、ギフトアプフェルの首が宙を舞った。あまりにも理不尽な大規模攻撃に、ギフトアプフェルたちは絶命するその時まで理解すら出来なかった。


 白銀の大鋏による、広範囲の断裁。それこそが、イツキの『針仕事』が導き出した、能動的な攻撃手段だった。


「……もはや、仕立て屋じゃなくて、殺し屋だな」


 針も、糸も、鋏も、本来は他人を害すためにあるものではない。だが、誰がどう見てもこれは、戦闘職。いや、生産職にも通じている、万能職だ。


「…………」


 気が付けば、宙に浮かんでいた白銀の大鋏は消えていた。


「……そうだ、笹川……!!」


 手応えを噛み締めている場合ではなかった。今すぐにでも、彼女に体力のつく食べ物を用意してやらなきゃならない。


「……!」


 警戒針の一つが、反応していた。どうやら、獲物が罠にかかっているらしい。だが、同時に別の存在を糸が教えてくれていた。どうやらそれは獲物を横取りしようと、罠の仕掛けられた場所に近付いているようだ。


「……させるかよ」


 追加のギフトアプフェルか? それとも別種の魔物か? 


 どちらにせよ、恐れるものは何もない。能動的な攻撃手段を得たイツキは、白銀の大鋏をもう一度顕現させ、不届き者の背後を狙い撃つ。


「――動くな。それは、俺の獲物だ」


 首筋に、大鋏の刃が当てられた。


 冷や汗を流しながら、動きを硬直させた侵入者は、白旗を上げながら口を開く。


「……て、敵じゃ、ないっす……よ?」


 獲物を横取りしようとしていたのは、クラスメイトの女子二人。顔を見て、名前を思い出して、その後、菜乃子から聞かされていた情報を脳内で確認する。


 小野寺瑠海、序列14位、天職『狩人』


 そして。


 堀青葉、序列11位、天職『雷術士』


 どちらも非常に優秀そうな、恵まれた天職である。


「……青葉」


 そして。


「あ、イツキ?」


 彼女は、町で偶然であったような気軽さで、屈託のない笑顔を浮かべた。


「生きてたんだ、よかった。イツキだけ見当たらないから、こっちに来ていないのかと思ってた」


「…………」


 イツキにとって、堀青葉は数少ない交流のあったクラスメイトである。小野寺瑠海が、ちらちらと罠にかかったノウサギを見つめていた。彼女たちの狙いが肉であることは、確かめるまでもないことだ。


「悪いが、それは譲れない。笹川に食べさせなきゃいけないんだ」


 旧知の仲だろうと、関係なかった。


「笹川さんが、どうかしたの?」


 今度は、小野寺瑠海が反応する。彼女はいつも青葉とともに行動する、昔からの幼馴染同士である。


「深手を負って、正体不明の感染症にかかった。手当てはしたけど、栄養が足りていない。それは、久しぶりの肉なんだ。お前たちには、譲れない」


 ――食糧事情が厳しい、と。


 梅木グループの情報は、菜乃子から聞いていた。だからこそ小野寺瑠海も、先程からノウサギの様子を気にかけている。あわよくば持って帰りたいと思っているのだろう。


「……笹川さんが、怪我?」


「ああ、薬もない異世界で怪我をしたら、ヤバいってわかるだろ? だから、大人しく――」


「――あるよ、薬」


 青葉が、なんてことのないように呟いた。


「はい、あげる」


「……え?」


 小さな瓶を手渡す青葉。それは、異世界で言うところのポーションである。


「あ、青ちゃん……それ、あげちゃうの?」


「うん。笹川さん、心配だし……助けられるのなら助けたいって思うのが、人ってもんじゃない?」


「……青ちゃんはぶれないなぁ」


 思わず吹き出す、小野寺瑠海。二人の様子を見て、イツキは面を食らっていた。


(なんだよ、これ。罠? 毒でも入っているのか? さっきまで、しきりに獲物を気にしていたのに、今はもう気にしていないし……え? 何なんだ、こいつら?)


 異世界に転移してきてから、イツキの価値観が狂っていた。梅木壮哉に追放されたときから、ここは殺し合い、騙し合いの世界なのだと認識していた。だが、彼女らは違っていた。


 ――助けられるのなら、助けたい。


 普通なのだ。

 あまりにも、普通の感性をしている。


 異世界に転移した、女子高生。

 青葉にとって、クラスメイトの身を案じることは、とても普通のことなのである。


「看病、手伝うよ。ね、ルミちゃん」


「もう、仕方がないなぁ~~~」


 だが、彼女たちのそんな普通さが、イツキの心を解してくれる。

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