008 変異種『毒林檎』


「肉が食いたい」


 ふと口にした欲望は、意識してしまえば強くなっていく。


「……肉、ですか」


 木の実や薬草、毒のない茸ばかりを口にしていたイツキは、体力が低下しているのを感じていた。やはり、人間は肉を食らって糧にする生き物である。サバイバル生活を続けていくのなら、栄養面も気にしなければならないだろう。


「シカやノウサギ系統の生き物は見かけましたが、肝心の狩猟手段がありません。……いや、大崎くんの糸を活用すれば、何とかなりますか……?」


「試してみよう」


 イツキの仕立て屋の能力は、蜘蛛のように待つことに長けている。そのため、工夫すれば狩猟を行うことも可能なのかもしれない。


「というわけで、鑑定眼の出番だ」


「うむ」


 狩猟用の衣装に着替えた二人は、さながらハンターのように音を殺して動物の痕跡を探す。(このためにわざわざ衣装を制作した)足跡、糞、爪痕、ヒントになるものは何でも良かった。痕跡さえあれば、菜乃子の鑑定眼が本領を発揮する。


「……ありましたね」


 小さな足跡を発見した菜乃子は、嬉しそうに呟いた。


「ウィンドラビットの足跡です」


「名前までわかるの?」


「チートですので」


 足跡を見つけたら、糸で制作した罠をあちこちに展開する。野生動物は危険に対して敏感なため、アリアドネの糸や鋼糸のような、力強い糸は看破される恐れがある。よって、耐久性には劣るものの、視界に見えにくい極細の糸を生成し、それをトリガーにして罠を仕掛けることにした。小動物が糸にかかると発動し、身体を拘束する。


「……まぁ、こんなものかな」


 狩猟用の罠など制作したことがないため、果たしてこれが効果的かどうかわからなかった。仕立て屋の補正のおかげで出来栄えは良かったが、罠の仕掛け方そのものは自分の判断で行うしかなかった。素人のイツキにとって、それがまず難しい。


 罠を設置したあとは、洞窟周りの警戒針を強化しつつ、より快適に住みやすいよう沢山の衣類や布類の数を増やすことにした。特にタオルはいくらあっても困ることはなく、汚れを拭いたり、傷を負った際にガーゼ代わりにしたりと、いくらでも用途がある。


「相変わらず、素晴らしい能力ですね」


 素材を収集するのは、菜乃子に一任していた。安全のため共に行動しつつ、周囲を探索する菜乃子の背後で、『針仕事』を駆使して制作物を増やしていく。後にわかったことなのだが、制作時間に反比例して、魔力を消費するような仕様であることが判明した。すなわち、初めて菜乃子の衣装を制作したときのように、瞬時に衣装を作り上げようとすると、相当量の魔力を失ってしまう。


「なるべく節約して制作してください」


 現状、イツキの能力が、二人の生活の生命線であった。警戒針がなければ外敵の襲来に気付くことも出来ず、展開した罠がなければ落ち着いて休むことも出来ない。かなりの安全マージンを取りながら、あまり無理をせずに衣類や布類を作ることにした。


「おぉ! 少しずつ、人間の生活する場所になってきましたね!」


 ただの洞窟だったねぐらには、簡易的な絨毯が敷かれ、手作りの木製机にはテーブルクロスがかけられる。岩の上にはクッションが用意され、椅子代わりにしてもお尻に負荷がかからないよう配慮された。ハンモックは豪華な寝台へと進化を遂げつつあり、簡単な掛け布団が備え付けられている。


「……この能力がなかったら、サバイバルなんて絶対に無理だったなぁ」


 糸を生成し、縫い付ける『仕立て屋』の天職は、サバイバル生活を驚くほど簡単にさせてくれる。もちろん、手の届かないことはいくらでもあるが、それは贅沢だ。


「もし、クラスメイトが互いに協力し合うことが出来たのなら、たぶん、とんでもない発展速度で暮らしの充実度は上がったんだろうな」


 イツキに出来るのは、糸が絡むものだけである。菜乃子の報告を聞くには、『料理人』『狩人』『鍛冶師』『農家』などの生産職が存在しているらしく、イツキほどの圧倒的な性能はしていないものの、現代では考えられないほど魔法的な効果を発揮するという。


「……仕方がありません。学生が手にするには、過ぎたる能力でした。大崎くんの天職にしたって、もし心の貧しい人が手にしていたら、とんでもないことになっていましたから」


「確かに、悪用するにはうってつけの能力だもんな」


「女の子の身体を糸で縛り上げたりだとかです?」


「……いや、それは……」


 あえて口に出さなかったのに、とイツキは苦笑いを浮かべる。


「いつか私も、縛られてしまうのです?」


 にしし、といたずらっぽく笑って見せる。潤いを帯びる唇を見つめたイツキは、少し罰が悪そうに視線をそらした。あの日、唇を交わしてから、特に何も起きることはなかった。そういう雰囲気になることもなく、なかったことのように過ごしていたが。


「たまに、ドキっとすることを言うんだよな」


 それもまた、彼女なりの打算的な感情か。それとも、自分の心があっけなく揺れ動いているのか。


「……そろそろ、罠の様子を見に行ってみようか」


「はいです!」


 四六時中、彼女とこの異世界で生きている。手を取り合って、協力して、仲良く笑い合いながら明日を迎えて。この先、自分たちはどうなるのだろうか。ずっとずっと、このまま二人で暮らしていくことになるのも、悪いことではないと、イツキは思い始めていた。



 ◆


「…………」


「…………」


 仕掛けた罠を確認しに向かったら、予想もしていない光景が二人を待ち受けていた。


 ――ギィイイイイ。


 獲物は、確かに捕獲できていた。小さなノウサギのような生き物が、糸に縛られて宙吊りになっていた。


「……おいおい」


 だが、そのノウサギは身体を切断され、血を吹き出して絶命していた。傍らで屍肉を平らげる食人鬼が、イツキたちには目もくらずに牙を剥き出しに喰らい続けている。


「そっか、獲物を横取りされる可能性もあるんだ」


「勉强になりましたね……」


 動物がかかりやすいよう、この辺りには警戒糸を仕掛けてはいなかった。そのせいで、食人鬼の好き勝手な捕食を許してしまった。


「……とりあえず、殺しておくか」


 獲物に集中している今なら、簡単に鋼糸で結んでしまえる。獲物を横取りした罰を、甘んじて喰らって欲しい。


 と、イツキが糸を動かそうとした、そのときだった。


「――!?」


 二人同時に、悪寒に襲われた。命を脅かす危険を、本能が感じ取ったのだ。


 狙われたのは、二人ではなかった。


 ――ぐらり、と。


 獲物を横取りした食人鬼が、ぐったりと横たわる。


「笹川!」


 逃げろ、と。

 イツキが言葉を発しようとした、その瞬間。


 ――ぬっ、と。音もなく、それは姿を表した。


「ギフトアプフェル」


 鑑定眼によって知った、襲来した化物の名前を零す。


 通称、毒リンゴとも呼ばれる、食人鬼の変異種である。痩せこけた身体は一見して弱そうに見えるが、脚力や膂力、知性にいたるあらゆる部分で、食人鬼を大きく上回る。変異種でありながら、食人鬼すらも捕食対象とする悪食っぷりは、あらゆる生き物から忌み嫌われていた。剥ぎ取った死体の皮をローブのように身に纏っていることから、その見た目は腐った魔女のようにも見える。もちろん、それは見た目のみの特徴で――ギフトアプフェルの獲物の仕留め方は、伸び切った鉤爪による斬殺だ。


 ――キヒヒッ。


 笑い声のような声とともに、ギフトアプフェルは襲撃を開始した。仕留めた食人鬼には目もくれず、より新鮮な獲物に目をつけたのだ。


「『針仕事』」


 ありったけの鋼糸を生成し、前方に張り巡らせる。鋼糸を束ねて作った、即席の防御壁だ。鉤爪から滴り落ちる液体が、地面に落ちる度に異臭を放っている。掠り傷すら許されないと、本能が教えてくれていた。


「走れ!」


「はいっ!」


(笹川を守りながらでは戦えない! そもそもこいつに勝てるのか? どうやって、罠にかける? 速度も力も相手の方が上! 逃げるにも、限界がある!)


「――殺るしか、ない!」


 強力な個体が現れることは、想定していた。戦闘のイメージは、毎日繰り返していた。己の『針仕事』を、いかにして戦闘に用いるか。それこそが、異世界で生き抜くために必要な要素だった。


 ――キヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!!!!!


 嬉しそうな声は、獲物を怯えさせるためのもの。これまでギフトアプフェルが狩り殺してきた経験から学んだ、威嚇のような行為だ。笑顔で迫る殺戮者ほど恐ろしいものはない。学習し、実践するほどに、彼らは知性を有していた。


 だからこそ、ギフトアプフェルは理解していた。


 ――


「なっ!?」


 立ち止まったイツキの方ではなく、逃げ出した笹川に狙いをつけたギフトアプフェル。焦るイツキを嘲笑うかのように、彼女の背中目掛けて襲いかかった。今更のようにイツキが追いかけても、ギフトアプフェルの速度には追いつけない。無防備な背中に向けて、悍ましい鉤爪が届きそうになった、その瞬間。


「――


 すぱっ、と。

 ギフトアプフェルの首が、胴体から切り離された。


 中を舞うギフトアプフェルの首は、何が起きたかを理解できず、己の胴体を見つめていた。コントロールを失った身体は崩れ落ちていく。


「大崎くん……!」


「まだだ、振り返るな! 死んでいないぞ、そいつは――!!」


 崩れ落ちた身体が、急速に建て直された。頭部を失ったまま、再度、菜乃子に襲い掛かる。即死級の攻撃だが、それでも敵は死物狂いで暴れまわる。完全に絶命するそのときまで、油断は許されない。


「きゃああっ――!!」


 振り下ろされた鉤爪を、身を投げ出して回避した。受け身も取れないまま転がった菜乃子は、必死に立ち上がろうとする。


「――っ!」


 だが、不運なことに――転がった場所が、悪かった。剥き出しになっていた枝が、彼女の脇腹を貫いて、壮絶な痛みを刻みつける。


「い、痛ぁっ――!!」


 涙目を浮かべながら、傷口を目にする菜乃子。だが、悩むことなく、貫いた枝を強引に引き抜いた。このままじっとしていたら、殺されると確信している。痛みに屈している場合ではなかったのだ。


「早く、逃げないと……!!」


 アドレナリンが分泌しているせいか、あまり痛みは感じなかった。それよりも、傷口が焼けるように熱い。菜乃子は、必死だった。生きるため――というよりは、むしろ、戦闘において役に立たない自分が、イツキの足を引っ張りたくなかった。菜乃子が狙われることを、二人は理解していた。だからこそ菜乃子は、自ら囮役として全力で逃げていたのである。


「……まだ、止まれません……」


 泣きそうだった。


 やっぱり、熱いよりも痛いのだ。現実世界で味わったことのない痛みが、絶えず波のように襲い掛かる。


 死にたくない。


 じゃなくて。


 生きて欲しい、と。そう思っていることが、自分でも驚きだった。


「――笹川」


 虚ろな意識が、安らぎの声を耳にする。必死で逃げていたはずなのに、何故かイツキが前にいた。彼女の後方では、頭部を失ったギフトアプフェルが限界を迎えてうつ伏せに倒れていた。どうやら、活動限界が訪れたようだ。イツキが彼女を受け止めたのは、単に菜乃子がまともに歩けていないだけだった。逃げているつもりでも、足はほとんど動いていなかった。


「痛い、です」


「大丈夫」


 震える唇が、勇気を与えようと言葉を繰り返す。


「必ず、助けるから」


 脇腹に負った傷は、致命傷ではない。


 致命傷ではないが――こと、サバイバル環境では、生存率が著しく低下する。適切な治療を施すことが出来ないのなら、やはり致命傷と呼んでも、差支えがないのかもしれない。


「大丈夫だ」


 何度も、イツキは繰り返す。


「――このくらいの傷、必ず治る」


 彼女を抱えて、走り出した。


 ここからは、時間との勝負である。

 


 

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