007 何も芽生えないわけがなくて
笹川菜乃子がこの世界に転移されたのは、最初のクラスメイトが転移してきた七日後のことだった。つまり、イツキが転移する三日前である。その頃にはもう、学校を拠点としたクラスメイトたちの中で、殺伐とした雰囲気が広がっていたという。
「こんな状況ですから、クラスメイトたちの間でも疑心暗鬼に陥っていたようです。私や大崎くんよりも前に、学校から追放された人がいるらしくて……食料を独占しようとしたり、女子に襲いかかったり……それはもう、血で血を洗う争いだったようです」
「……頭がおかしくなって、凶行に走るやつがいてもおかしくはない」
極限状態では、人間の本質が試される。浅ましい欲望に突き進むことすら、平気でありえるのだ。
「――彼の名前は、志田裕介。序列28位、天職は『狂戦士』でした」
「狂戦士……」
なんとも、過激な能力を与えられたものである。カースト順位によって天職が決められているとはいうものの、イツキの予想通り、最下層に与えられる能力が弱いとは限らないらしい。
「このあたりのお話は、保護された他の女子から聞いた話です。実際に、私が転移した頃には、志田裕介は学校から逃げるように立ち去ったらしく……生死も定かではありません。梅木くんが彼を斬り捨てたとは聞いていますが……」
「あいつ、俺を殺すことに躊躇いがなかった」
普通、同じ釜の飯を食ってきたクラスメイトを簡単に斬り捨てられるわけがない。つまりは、一度はクラスメイトを斬ったことがあるから、抵抗が薄かった。正義の味方のような口ぶりをしているが、梅木壮哉もまた常軌を逸している。
「志田裕介が学校を追放された後も、クラスメイトたちは揉めに揉めました。梅木くんを中心とするカースト上位グループと、細谷くんを中心とするカースト中位以下のグループです」
細谷爽星。普段はあまり口数が多いタイプではなく、授業もサボりがちだが、その本質は合理的かつ冷徹に思考するリアリストである。素行の悪さが目立つものの、不良というわけではなく、彼の漂わせるカリスマ性に惹きつけられ、慕うものも多い。
「……確かに、細谷爽星と梅木は性格が合わないよな」
いい子ちゃんとちょいワルくん。ロマンチストとリアリスト。水と油のような関係だ。
「結局、細谷くんのグループは、学校から自主的に離れていきました。梅木くんの言う通りにしていたら、生きていけるわけがないと言い放っていましたね。細谷くんのグループは六名程度の小規模なものですが、優秀な職業が多かったと記憶しています。これは、梅木くんたちにとってもかなりの痛手だったでしょう」
先に追放された志田裕介を含めると、その時点で七名ものクラスメイトが学校を後にした。集団生活というのは、本当に難しい。
「……それで? その流れで、どうして笹川が追放される流れになったんだ?」
「食糧問題が、深刻だからですね」
短く、菜乃子は答えてくれた。
「志田裕介の暴走以外にも、私が転移する前の七日間では、様々な事件が起きていたらしくて……残された二十名弱のグループは、仲間意識が芽生えていました。ある意味、彼らは共犯ですからね」
「……苦難を乗り越えた仲間と、後から転移してきた笹川や俺は、もう対等な立場じゃなかったわけだ」
「その通りです」
淡々と、彼女は続ける。
「彼らからしてみれば、今更のように転移してきた私のことが、許せなかったようです。後からやってきて、苦労もしていない奴に渡す食料はないと……それほどまでに、食料事情は厳しかったようです」
「『鑑定士』の能力を伝えても?」
「そうですね。直接的に役立つ能力だとは思ってくれなかったようです。カースト下位に向ける視線は、驚くほど冷たいものでした」
故に彼女は、追放か服従かを突きつけられたわけである。追い詰められたかつてのクラスメイトは、後発の者たちを仲間だとは認めてくれなかった。
「梅木くんはロマンチストですが……その博愛精神は、仲間にしか向けられないみたいですね。だから、大崎くんも斬り捨てられたのでしょう。仲間の食料を奪う無能は、いらないというわけです」
以上が、彼女が転移してから今にいたる物語である。
「……笹川も、なかなか苦労してるんだな」
「大崎くんほどではありませんよ。身包み剥がされて追放されただけですし」
「いや、女の子に向ける仕打ちとしては、なかなかに物凄いけど」
「慰み者にされなかっただけマシです。事実、志田くんのように欲望に突っ走ったものもいますから……『勇者』の天職である梅木くんの庇護に頼るのも、生き抜く方策の一つです。特に、生産職の女子にとっては死活問題ですから」
言葉を濁しているが、菜乃子もまた誰かの庇護がなければ生きていくことが出来なかった。大崎イツキに見限られてしまえば、野垂れ死ぬだけである。
「…………」
故に彼女は、自分の天職を売り込んで、役に立つと証明する。身を賭して信頼を得るためにイツキを救出した。もし、イツキが望むのなら、男女の関係を拒むこともないだろう。
「……俺に媚びる必要はないからな」
だが、改めてイツキは言う。
「笹川の能力は、俺にとっても必要なものだ。梅木たちのグループに戻られても困る。死ぬまで、俺の元を離れて欲しくない」
互いが互いを必要だからこそ、求めている。それこそが、もっともあるべき姿とイツキは信じていた。対する菜乃子は、少し驚いたような顔をして、何かを誤魔化すように表情を崩す。
「まるで、愛の告白みたいですね」
くすりと笑いながら、笹川は言う。
「自分のために必死なだけだよ」
つられてイツキも、笑っていた。
「……まぁ、私たちは裸のお付き合いも済ませましたし? 信頼する相手とみなしても、問題ないのではないでしょうか」
「誤解を招く言い方だな」
互いに、身包みを剥がされた関係なだけだ。
「だけどこのような状況下ですから、確かな言葉が欲しいんです。ねえ、大崎くん……私は、あなたを信頼しても、いいですか?」
「……何を、今更」
そんなわけないだろ、と。イツキは、躊躇うことなくそう口にしようとしていたが。
「…………」
「…………」
彼女の瞳が、深い悲しみをたたえていた。同時、イツキは彼女がまだ大いなる不安に飲み込まれていることを察する。笹川菜乃子は、軽口が上手な少女だが――やはり、年齢相応の幼さがある。一度、クラスメイトに見捨てられ、身包みを剥がされたことを、簡単に割り切れるはずがない。
――またいつ、裏切られて、見放されるか。
裸も同然の状態で、異世界の森に置き去りにされて――心が、保つはずがなかった。
思い出せ、転移する前の日常の彼女を。笹川菜乃子という女子生徒は、どんな子だった? 控えめで、大人しくて、こんな風に堂々と男子と会話できるような性格ではなかったはずだ。声を出さなければ、言葉を続けなければ、また見捨てられるかもしれない。そんな彼女の本能が、イツキを繋ぎ止めるために必死で行動している。
「お願いがあります、大崎くん」
菜乃子には、大崎イツキしか、頼れる相手がいない。
「――私のことを、好きになってください」
そう言って彼女は、躊躇うことなく唇を重ねた。
「っ!?」
「……本命じゃなくても構いません。妾でも、浮気相手でも、一夜限りの……ただ、私に愛着を持って、捨てるには惜しい存在にしてください。私はまだ、生きていたいのです」
媚びなくていい、と言われて。
彼女の胸中には、不安が芽吹いていた。
「可愛いペットのような扱いで結構です。ご自分の身のその次くらいに、私を大切にしてください」
「……笹川」
これが、打算による求愛であることは、明白だった。冴えない男子生徒がこうまでされれば、少女のことを守ってあげたくなるのも必然である。無論、誰でもいいわけではない。相手を選びつつも、確かな打算と寄り添うように、狙いすましている。
「ああ、お断りの言葉とか、そういうものはいりません。これはただの、宣戦布告ですから」
にっ、と。少し意地悪な笑みを浮かべて。
「――これから、もっともっと、私のことを好きになって頂きます。愛情で大崎くんの心を縛り付ければ、私を見捨てるという手段も取れなくなるでしょうから」
衣服を用意する時に、可愛い格好を望んだのもそういう意味合いが含まれていた。相手に好かれるような自分になることが、生存確率を上げると彼女は理解している。
「……だとしても、笹川」
ぐっと、彼女の身体を押し退けて。
「何故、わざわざそれを伝える必要がある。もし、俺を惚れさせて守ってほしいのなら、それとなく進めるべきだろ。あえて嫌われそうな言葉を口にする意味がわからない」
「それは」
虚を突かれた表情が、一瞬。
「それは……ですね」
理性が、打算による求愛を求めても。
年齢相応の少女が、初志貫徹できるわけがない。
「……はっきりと所信表明をしないと……恥ずかしくて、出来そうにないからです。わ、私は……別に、そういうことが得意なわけではありません……だから、自分に言い聞かせるために……」
ごにょごにょと、言葉尻が弱くなっていく。先程までの魔性っぷりが、どこかに消えていた。
「笹川は、面白いなぁ」
「何がですか!」
「生きるために必死で、よく考えている。だけどちょっと、正直すぎるな。普通の男は、そういうやりとりを嫌うぞ」
「……それは、困ります」
まっすぐと、大崎を見つめる菜乃子。
――生きるために、好きになってもらいたい。
打算的な感情だと宣言して、態度を表明する意味。
――彼女の言葉は、本当に生きるためだけなのだろうか?
あやふやな感情に揺られることが、怖かった。だから彼女は、今ある感情に打算という名前をつけたのである。生きるためだと自分に言い聞かせることが、余計な混乱を産まないたった一つの冴えたやり方だ。
「馬鹿ですね、私は」
目を閉じると思い出される、イツキとのやりとりの時間。それは、一日にも満たない僅かな時間だというのに、菜乃子にとって尊いものとなっていた。
揺れ動く乙女心に、気が付かないふりをする。
「……さすがに、ちょろすぎでは?」
身包みを剥がされ、見捨てられた状況下。
頼りになる異性を相手に、特別な感情が芽生えないはずがなかった。
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