006 水浴びをする少女のために
サバイバル生活において強力な天職を手にするイツキと菜乃子だったが、それでも文明の発達していない終末世界においては、快適な暮らしをおくるには足りないものが多すぎていた。『便利で複数の性質を持つ糸』と『多少の素材があればあらゆる衣類を創想像できる』、菜乃子の『あらゆる対象を鑑定する』能力だけでは、まだ足りない。
「まずは、安全な拠点を作ろうか」
二人がねぐらとしている洞窟を調べ上げた。虫やコウモリ、蛇のような生き物が散見されたが、まずはこれらの対策として大規模な生活魔法で洞窟内を清潔にする。イツキたちはいまいち生活魔法の効力を理解していなかったが、指定されたエリアに虫たちが近づかないところを見るに、人間にとって害を与えるものを遠ざけてくれる性能だと暫定的に認識した。
「……これも十分チートだな」
「異世界の森の中なんて、どんな危険な生物がいるか恐ろしくて仕方がありませんからね。他のどんな能力よりも、凄いかもしれません」
洞窟の出入り口は二つあって、焚き火を起こしても煙が充満することなく通り抜けるようになっていた。アリアドネで作り上げたハンモックからもっとも近い出入り口に、草木や枝を糸で縛り付け、外から見てもわからないようにしておいた。反対方向の出入り口も同じように偽装しておく。
「おおー、やはり糸は本当に便利ですね」
寝床の作成はもちろん、偽装した出入り口の骨組みや、外敵が現れたとき用の罠。不自由なく生成できる糸というのは、あまりにも便利であり、イツキと菜乃子の拠点は、外敵から身を守るには十分すぎる機能を備えていた。
「そういえば、焚き火の火はどうやって起こしたんだ?」
「これです」
ドヤ顔で、菜乃子はライターを取り出した。
「追放される前に、くすねてきました。ほぼ裸みたいなものだったので、これくらいしか盗めませんでした」
「……どこに隠していたんだ?」
「乙女の秘密に決まっているじゃないですか!」
「あ、そう……」
特に興味もなかったので、掘り下げることはしなかった。
「だけど、良い着眼点だな。やっぱり、サバイバル生活には火が必要だもんな」
「天職が『料理人』や『炎術士』なら、自由に炎を出せるんですけどね」
両手いっぱいに抱えた木の実を、菜乃子が運んできた。彼女の鑑定眼によって、食用可能だと判断されたものたちだ。
「これらは全て、火を通さなくても大丈夫です。毒性も特にありませんし、栄養価も高いです」
「……すげえな」
過酷な状況下では、口に含むものすら神経を尖らせなければならない。毒がないかを確認するには、パッチテストを行わなければいけないが、そういう手間を排除し、安全を約束してくれることがどれほどありがたいか。
「この大きいのは……ココナッツみたいな感じですね。外郭は硬いですが……」
「任せろ」
ひょいと手にとって、イツキは鋼糸を生成する。くるりとココナッツモドキに巻き付けてから、鋼糸の両端を引っ張るように操作する。圧力のかけられた外郭は、鋼糸の切れ味に屈して、両断された。同時に、瑞々しい液体が、菜乃子の顔面にぶっかかる。
「わっ、ちょ、ちょっと……!」
べとべとしつつも、クリーミーな肌触り。恐る恐る舐め取ってみると、ほのかな甘さが口の中に広がった。
「ごめん、大丈夫?」
苦笑いを浮かべながら、イツキはタオルを手渡した。ご自慢の瞬間縫合によって生み出された、吸水性の高いアイテムである。
「大丈夫じゃありません!!」
ぷりぷりと怒って見せるが、少し楽しそうだ。
「……汚れを落とすついでに、水浴びをしてきます。見張りの方、お願いしても?」
「もちろん」
誰のせいで、と言いたげなジト目を向ける菜乃子。イツキは当然のように頷いた。
◆
洞窟から少し離れたところに、とてもきれいな泉があった。生活魔法で浄化する必要がないほど澄み渡っていて、水浴びにはうってつけの場所だった。泉を取り囲むように、アリアドネの糸を大量に張り巡らせ、その先端を針に繋げておく。もし、誰かが泉に近寄ろうものなら、アリアドネの糸が対象を拘束し、その振動が針に伝わるようになっていた。
「タオル、置いておくぞ」
「どもです」
生活魔法を使えば身体を清潔に保つことは可能だが、使わないで済むのなら使わない方がいいらしい。洗い流す行為そのものは、心の汚れを落としてくれる。魔素の節約はもちろん、行動そのものに意味がある場合もあるだろう。栄養が取れるからといって、サプリメントだけに頼るのは良くないという話に似ている。
「…………」
ぱちゃぱちゃと、水の叩く音が聞こえる。菜乃子が水浴びをしている間、イツキは常に周囲を警戒していた。警戒針が獲物の到来を察知した時に、すぐに動けるようにしている。
すぐ近くでは、同級生の女の子が水浴びをしている。その状況に、どぎまぎしているのは、お年頃故に仕方がないことだろう。細かい感情の機微を察した菜乃子は、愉快そうに声を上げる。
「一緒に水浴びをしますか?」
「喜んで」
「……そこは普通、断るところでは?」
「据え膳食わぬは男の恥と」
「欲望に忠実すぎるだけでじゃないですか」
「誘ったのは笹川の方だし」
もちろん、冗談だ。
イツキにそんな度胸はないし、菜乃子もそのつもりで口にしている。小気味いい言葉の応酬が楽しくて、ついつい軽口を叩いてしまう。非日常に叩き落された二人は、そうすることで一時の苦難を忘れ去る。
「…………」
ぴくりと、針が反応した。繋がれている糸が、襲撃者を捕らえたようだ。菜乃子の方ではなく、イツキのすぐ近くだ。振り返ると、食人鬼が糸に絡まって磔にされていた。
「……どうしました?」
「いや、なんでもないよ」
殺意と憎悪に満ちた、歪な化物。手足を拘束されながらも、溶けた殺意がじわじわとイツキを包み込む。楽しかった会話のテンションが、急速に冷えていく。こんな化物が襲いかかってくるのだから、やはりこの世界は洒落にならない。
「急に黙らないでくれますか。いなくなったのかと思いました」
「ああ、ごめんごめん」
食人鬼の口には、声を上げられないよう、糸を束ねて作った猿ぐつわのようなものを噛ませてある。叫び声を上げて仲間を呼ばれても困るからだ。
「……それに、水浴びの邪魔をさせるわけにはいかないからな」
異変があったら、報告する約束だった。だが、こんなものは異変でもなんでもない。捕らえた食人鬼は興奮が収まらないのか、ぐいぐいと殺意をむき出しにしていた。
「――『鋼糸』」
食人鬼の首と身体に、鋼糸――要はワイヤーを巻きつける。それから、何の躊躇いもなく、ぎゅっと結んだ。
「……本当に、一緒に入らなくていいの?」
食人鬼の首が飛んで、穢れがぶちまけられる。
「変な意味じゃなくて、そっちの方が効率的かもですよ?」
「いや、大丈夫。今は、そんな気分じゃないし」
「……そうですか」
殺すことに躊躇いはなかった。生き残るためなら、手段を選んでいられないのだ。殺さねば、殺される。信じれば、裏切られる。皮肉なことに、イツキにそれを
教えてくれたのは、他ならぬ同級生、梅木壮哉である。
「イツキ……?」
「どうかしたか?」
「……いえ」
菜乃子が水浴びを終えたようだ。警戒網を緩めることなく、その場から立ち去る。
「もう、そっち行っても大丈夫か?」
「いいですよ」
泉の方に顔を出すと、素っ裸にタオルを巻いた状態の菜乃子が髪の毛を丁寧に拭いていた。
「……おい」
「なんです?」
「少しは、恥じらいを知れ」
肝心なところが見えてなければそれでいいのか? と呆れるイツキ。だが、菜乃子は逆に問いかける。
「……私だって、恥ずかしくないわけではありません。でも、そういう感情は今のうちに捨てておくべきかなと」
「え?」
「サバイバル生活を送るんですよ? 恥じらいなんて、あって邪魔なだけです。ここはもう、現代世界とは違うのですから、割り切らなければなりません」
「……それでも、割り切り過ぎだって」
よくよく見てみれば、僅かに頬が赤く染まっていた。恥ずかしいわけではないというのは、本当なのだろう。菜乃子は、今の環境に適用しようと必死だった。その結果、ちょっと無防備な姿を晒すことが、適切だと判断している。
「……あんま、気負いすぎるなよ。俺は、裏切らねえから」
そう口にしながら、100%信用されているわけではないのだろうとも思っていた。賢い彼女のことだ、どこかで必ず天秤にかけるときが訪れる。
「飲水も確保しましたし、最低限の食べ物もあります。安全なねぐらも用意できました。そろそろ……腰を据えて、情報交換といきましょうか」
「……そうだな」
目先の生活を優先して、俺たちはまだこれまでのことを話してはいなかった。
「あ、でも、その前に」
にっこりと、笑って。
「髪の毛、乾かすのを手伝ってくれませんか?」
いつの間にか、召使いみたいになったなと笑いながら、イツキはタオルを手に取った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます