005 針と糸の真の能力
「採集してきました」
笹川は目を輝かせて、ワタのようなものを両手いっぱいに抱えて帰ってきた。相変わらず恥じらいはないようで、白い肌が見えても気にする素振りが見えない。
「こちらは羊毛とそっくりの――」
戦利品を広げ、これらがどういう繊維で、現代の何々に似ているだとか、丁寧に解説してくれるが、さっぱり理解できなかった。
「――というわけで、羊毛に近いこの素材が良いと思います。さぁ、早速衣装を作っていただけますか」
手を広げて、はいどうぞを微笑む笹川。だが、そういわれても何をしていいかわからなかった。
「……どうしました?」
「えと、何をすればいいの?」
「あちゃー、そこからでしたか」
そう言って彼女は、羊毛に近いと説明した、綿花のようなものを手に取った。
「いいですか、生産職はイメージが大切です。大崎くんの作りたいものを、まずは思い浮かべてください。この場合は、私の服装です。いいですか?」
「ああ」
目を閉じて、彼女の言葉に素直に従う。
「大崎くんは、仕立て屋を与えられたくらいですから、ある程度、服飾に詳しいのではありませんか? それならば、多少はイメージしやすいでしょう」
彼女の言う通りだった。俺の母親は、アパレル関係の会社でファッションデザイナーを生業としている。そのため、幼い頃から家には服飾に関するものが集まっていて、自然と興味が湧いていた。思えば針と糸と接する機会は、人よりも多かった。
「なるべく詳細をイメージするです。材質や色彩、細部の装飾! 着心地やサイズ感など、なるべく具体的に! 強く、強く、思い浮かべた衣装を念じるのです!」
彼女の言葉に従って、意志を統一した。
『針仕事』の能力が、願いに呼応する。細部まで固められたイメージを再現しようと、半自動的に手が動いていた。気が付けば、眼前にあった素材を取り込んで、繊維のようなものを生み出していた。針と糸が、綺羅びやかに輝いている。
「――『瞬間縫合』」
頭の中で、大崎菜乃子の身体を思い浮かべた。先ほど見えた裸体が、一瞬にして寸法を測定する。彼女のための衣装を、彼女に似合うサイズを、頭の中で構築した。
「見えた」
出来上がりが脳内で完成した途端、それを追いかけるように針を動かす手が加速する。それは、人間の領域を超えた技術ではない――針と糸を経由して紡がれる、魔法の裁縫術だ。
「――出来た」
ものの数秒で完成した衣装が、目の前に現れた。瞬間の衣装製作術は、確かに制作というよりは変換であった。
「おぉ……これは、凄いです……!」
小洒落たお店でしか変えないような、作り込まれた衣装。手にとった笹川は、目を丸くさせて驚いている。
「し、信じられません……! こ、これは、さすがに、チート過ぎるです……!! 針と糸で縫いました! の次元じゃないですよこれは!」
笹川が集めてくれた素材は、一つも残すことなく消えていた。失った素材と、出来上がった衣装。とてもじゃないが、質量保存の法則が成立しているとはいえない。必要な素材の量も、相当少なくてもいいらしい。
「着てみてくれるか? サイズを確かめたい」
「……いいですけど、あっちを向いていてください」
顔を赤らめながら、笹川は口を尖らせる。今更? とイツキは思ったが、素直に従うことにした。後ろを向いて、彼女の着替えを静かに待つ。
「うわっ、サイズ……ぴったり……どうして……?」
「『針仕事』を発動すると、着せたい相手のサイズがミリ単位で分かるらしい」
「えっ」
慌てるような声が、イツキの耳に届く。
「……さっきまで惜しげもなく肌を見せていたのに、今更恥ずかしいの?」
「あ、当たり前でしょう! 見せているのと、見られるのでは違います!」
「ふぅん」
そういうもんか、と。特に気にすることなく、イツキは流した。
「……まるで、私のために用意された衣装みたいです……今だけは、大崎くんが恐ろしい……」
「そりゃ、笹川のために用意したんだからな」
「逆の立場を想像してください……触れられたこともないのに、体型がミリ単位で把握されているんですよ? ちょっとした恐怖ですよ、これは」
「魔法の力なんだから、納得しておけ」
「……そうですね」
少し、声を落として。
「それに、私専用に調整されているのは……悪くはないかもです」
ぶつぶつと呟きながら、ようやく着替えが終わったようだ。
「もう、振り返ってもいいですよ」
「おう」
やっとか、と思いながら、イツキが振り返ると。
「……おぉ」
つむじから爪先まで、完成されたゴシック調の少女が舞い降りていた。ふりふりのブラウスを身にまといながらも、あまりファンシーさを感じさせないデザイン。シックな色合いが、彼女の幼さとかけ合わせて不思議な魅力を放っていた。真っ黒なニーソックスは彼女の細身を更に際立たせ、長い髪が存在感を際立たせる。
「というか、こだわり過ぎじゃないですか? ニーソと、靴まで……さっきの素材からは、絶対に作れないものまで……いえ、それをいったら、そもそも衣装だって作れませんが……」
「最初は、ワンピース的なものを作ろうとしたんだけど、笹川に似合いそうなものをイメージしていたら、どんどん変わっていっちゃって、途中からは素材のことを全く考えずに進めていたら、なんかいけちゃったんだよな」
「……なるほど、これは大崎くんが私に着て欲しい衣装ということですか。ふぅん、こういうゴシック系の衣装がお好きなんですね」
「どちらかと言えば、笹川が好きそうかなって」
「ど、どうしてですか! 私は、こんな衣装なんて――」
「ほら、昔から中二病みたいなイメージが強いから、やっぱ黒と白かなって」
「うわあああん、それは君の勝手な妄想だ!」
感情がぶれると、丁寧語が抜ける。笹川菜乃子という少女の中身が暴かれ始めていた。
「そういや、服だけじゃなくて髪まで綺麗になってないか? デート前のコーデみたいな決め具合に見えるけど」
「生活魔法を使っただけですよ。せっかく新しい服を着るのですから、綺麗にしたいじゃないですか」
「生活魔法?」
「生産職の方々は、汚れたものを綺麗にする生活用の魔法が使えるのです。正直、魔力の消費と割に合わないので、気軽に使えるようなものではありませんが……」
「へえ、そんなもんまであるのか」
「戦闘職の方々は、自己治癒力だとか、打たれ強くなるとか、そういう魔法が与えられているようです。そのため、生産職と戦闘職では、明確に立場が違います」
「……なるほどね」
カースト上位は、戦闘職。カースト下位は、生産職。本来、そこに優劣などあるはずもないが、今のような非常事態では話が異なってくる。暴力こそが、唯一の絶対原理だ。
「それよりも、大崎くんの能力は規格外ですね。他にも仕立て屋の方はいましたけど、ここまでではありませんでした。お裁縫が上手な人が限界まで努力して作り出せるくらいの完成度でしたよ。素材もあり合わせのものしかなかったのに……これじゃ、創造に近いです」
「笹川が素材のことを教えてくれたからかもしれない。おかげで、具体的なイメージを持てた。一人だったら、出来なかったと思う」
これがあれば作れますよ、という言葉が、自身を与えてくれた。
それよりも、と。
「生産能力も凄いが、たぶん、俺の能力の真価はそっちじゃない」
「……え?」
笹川菜乃子が採集に出かけている間に試していたことを披露する。
「どうやら生成できる糸は――俺の想像できる範囲なら、何でも可能らしい」
洞窟内に張り巡らされた糸が、僅かに光を放つ。
「……これは?」
「蜘蛛の糸をイメージした、『アリアドネ』だ。俺と笹川を激流から救ってくれたのもこいつだ」
いわゆる糸使いとは違って、イツキは指先で糸を操るわけではない。あくまで針を通して、糸を張り巡らせることに特化している。漫画に出てくるような、鋼糸を使って人を切り裂くといったような真似は現状では難しい。
「触っても、大丈夫ですか?」
「ああ」
「……えい!」
そう言って、彼女は蜘蛛の巣状に広がるアリアドネに身を投げだした。食人鬼に引き裂かれた糸とは違って、アリアドネの糸は耐久性と伸縮性に特化している。彼女の身体を受け止めて尚、破られる気配は一切なかった。
「こ、これは凄いですね……! ハンモックみたいです……!」
「本物の蜘蛛の巣のように、粘着性も付け加えることも出来るよ」
「他の糸は生成できないんですか?」
「あとは、鋼糸くらいかな。今の俺にイメージできるのは、それくらいだ」
通常の糸と、アリアドネの糸、鋼糸……いわゆる、ワイヤーだ。そのどれもが、針を通して操作可能。罠を張り巡らせるには、最高の能力である。
「拠点を構えて糸を張り巡らせれば、生半可な敵なら完封できるはずだ」
「…………」
「……ん? どうした?」
「チート過ぎて、ドン引きしているのです。大崎さんの能力を知っていれば、彼らは追放なんてしなかったでしょうね。運が悪いのか、間が悪いのか……もし、大崎くんが望むのであれば、戻ることも可能だと思いますよ」
「……え?」
それは、イツキが考えもしないことだった。
「もはや、追放される理由なんてないということです。特に女子は、大崎さんを歓迎するでしょうね。こんな殺伐とした世界に放り込まれても、やっぱり女の子は可愛くありたいものですから」
儚げな笑みの意味が、イツキにはわからなかった。
「……笹川は、あいつらのもとに戻りたいのか?」
「いえ、別に。私には、居場所はありませんから。でも、大崎くんは……」
「俺だって、同じだよ」
迷いなく、イツキは続ける。
「裏切って、殺されそうになったんだ。今更、梅木たちのもとに戻れるかよ。終末世界で生き延びるのなら、能力云々よりも信頼できる仲間が重要だ。その点、笹川なら問題ない」
イツキは、ちゃんと覚えていた。
深手を負って、激流に呑まれる中――彼女だけが、命を賭して助けようとしてくれたことを。そこに、打算的な感情があったとしても、関係ない。他人のために命を賭けられるのなら、十分だ。
「追放された者同士、協力してやっていこうぜ」
「……まったく、まったくもうですよ」
視線を逸しながら、笹川は言う。
「その気にさせるのが、お上手ですね。元々、私には選択権はありません。もし、大崎くんが一緒にいてくれるのなら、こちらとしても嬉しい限りです」
「素直じゃないなぁ」
「うるさいぞ、君は!!」
――当然。
イツキは、100%善意でその言葉を口にしたわけではなかった。彼女がイツキを助けたときのように、一握りの打算が組み込まれている。
――『鑑定眼』
あらゆるものの真実を見抜くその瞳は、イツキの能力に匹敵するほどのチートである。絶対に、彼女を敵に回したくはなかった。
「……カースト下位が、必ずしもハズレの天職を与えられているわけじゃないんだな」
最下位の自分と、下から二番目の少女。
少なくとも両名の能力は、他のクラスメイトのものとは比較にならなかった。
「あの、大崎くん」
「ん?」
考え込んでいたイツキに、彼女は容赦なく指摘する。
「……そろそろ、ご自分の衣装を制作されてはいかがでしょうか。これでも私、女の子ですので……いつまでも半裸でいられると困るのですが」
「あ」
忘れていたと、我に返るイツキは。
「ごめん、ありあわせの服でも作るよ。次は笹川にどんな衣装を作ろうか、そんな事ばかり考えてた」
「わ、私は着せ替え人形ではありませんよ!?」
「女の子は可愛くありたいって言ったのは、笹川の方だよな! こちとらスリーサイズもミリ単位で把握してんだ! 逃げられると思うなよ!」
「い、一体何を着せるつもりですか!? それよりも、早くご自分の服装を用意するですよ!」
和気藹々と、軽口を叩き合う。
この二人が口を開けば、狭い穴蔵も教室のような雰囲気に変わってしまう。非日常の中にひっそりと揺らめく日常の花が、儚げに咲き誇っていた。
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