君と道が交わった 中


 星衣の声を無視した俺は、屋根を跳ぶ。俺はこの選択が正解だと思ったからだ。見えるのは夕暮れの濃くなる世界。こちらに存在してはいけない俺は、フードを被ることで隠れたつもりになった。

 

 鼻に残した匂いを頼りに屋根を跳べ。きっとこの道はミオの元へ帰る最短になる。勝手な神頼みも悪魔頼みもどうでもいい。俺は、ミオの所に帰りたいんだ。

 

 置いて行っていいよ。俺を探してなくていいよ。それでも、もし俺を待ってて、俺を探してくれてたら、なんて期待する。

 

 俺は弱虫だからさ、一人だとどっちに行ったらいいかも分からないんだ。


 なぁ、ミオ。

 

「……こっちか?」

 

 色々な匂いの中から鼻に残したものを探す。美味そうな匂い、甘い匂い、苦い匂い。嗅ぎ分けることが得意ではないので時間がかかる。

 向こうだろうか、逆だろうかと何度も立ち止まって、影に隠れて、首を捻る。道に迷った気分になったが、少しずつ匂いが鮮明になってるから大丈夫だろう。遠回りでも近づいてる。俺の足はちゃんとミオの所へ戻る過程を進んでる。

 

 言い聞かせて、やっと見つけたのは長方形の大きな建物。その四階。開いた小さな窓から星衣と近い匂いがする。俺は柵を掴み、誰もいない屋上に着地した。鼻を動かして匂いを辿る。すぐ下だ。

 

 傷つけて戻るんだ。ミオの所に。

 

 俺は屋上の扉を開けようとする。しかし鍵がかかっていたので、殴って破壊した。閉まらなくなった扉を引いて建物に入ると、嫌な空気に背中を撫でられる。

 

 ここ、違う奴がいるな。星衣とか、アイツの姉ちゃんとは違う奴。

 

 拳を握って階段の下を見る。


 俺は弱いからな、姉ちゃんの不意を突かないと痛めつけられないと思う。そこに別の奴が混ざると余計に厄介だ。しかも、この感覚は既に気づかれてる。星衣の姉ちゃんの近くにいる、何かに。

 

 階段をおりるにつれて姉ちゃんの匂いが薄まった。隠されていった。間に入り込んだ奴によって。

 

 廊下で俺を待っていたのは、黒い髪の女だった。印象が酷く薄い。喉を隠す服装をしているのが、体感温度的には適していない気がした。

 

「やぁ、こんにちは」

 

「こんにちは」

 

 微笑まれたが肌が痛い。これは凄く嫌な笑顔だ。ご主人様が俺達を殴る前、殴る瞬間にしていた笑顔だ。

 

 あ、コイツ、怖い、嫌いだ。

 

 俺は両手を握り締めて虚勢を押し留める。これはデカすぎる障害だ。俺が帰りたい道には邪魔すぎる。俺では勝てない。俺はコイツに、絶対勝てない。

 

「君、誰かな」

 

「ニゴ。あんたは?」

 

「私は檜。子どもを守る大人だよ」

 

「……」

 

 子どもを守る、おとな……大人?

 

 俺の脳裏にご主人様が浮かぶ。俺の腕を引っ張って、ご主人様に売りつけた親が浮かぶ。貧しかった。金がなかった。俺を育てる環境ではなくて、俺がいなくなって金になるなら一石二鳥。

 

 一気に頭が熱くなる。指の関節が勝手に鳴り、俺は吐き気を覚えたんだ。

 

「そんな大人、いるわけない」

 

 気づけば俺は床を蹴り、檜との距離を詰めていた。

鋭く跳躍し、これ以上ないほど拳を握る。檜の顔と俺の拳が同じ高さになった瞬間には、迷いなく腕をしならせた。


 しかし殴った感覚はない。揺れる枝のように、檜の重心が動いたから。

 

 鼻が匂いを拾う。俺が傷つけようと思った相手の匂いだ。別に檜を倒すという選択はしなくていいのだから、真正面から向かうのは馬鹿だったな。

 

 考えたのは瞬きの間。たったそれだけの隙だった。だが、その時間だけで攻守は逆転した。


 視界が振り切れる勢いの蹴りが腹部に入る。骨が軋むのも内臓が痛むのも怖くて、痛くて、大嫌いなのに、衝撃が叩きつけられる。

 

 喉を上った酸っぱい感覚を堪え、俺は床を転がった。頭の白さが薄れた時、自分が激しく噎せていると気づかされる。

 

 右足を床に着いた檜を見た。かと思えば個性の薄い相手は俺の前に迫っており、細い手が伸びてくる。

 

 全身で悪寒を感じた。弾かれるように後ろへ距離を取れば、檜の目には哀れみと微かな驚きの色が浮かんでいた。

 

「これは……しまった。あぁごめん、ごめんよ。君は、迷子だったんだね」

 

「……別に。帰る場所は分かってる」

 

「でも、そこに帰っていいか自信がないんだろう?」

 

 鳩尾が針で刺されたような痛みを覚える。俺の何かを見ている檜は喉を隠す襟を引いた。眉間に皺を寄せて、声には嫌悪の色を乗せて。

 

「嫌なツルだ。あまりにも重たい。あまりにも血なまぐさい。嫌いだな」

 

「なに、」

 

「ニゴ、君は奴隷なんだね」

 

 顔が、火を噴きそうになる。

 

 全身が沸騰するように熱を帯びる。

 

 檜に掴みかかった俺は反対に引きずり倒されたが、すぐさま相手の鳩尾に蹴りを入れた。檜は全くと言っていいほど反応を見せない。それでも俺は檜の体を蹴り続けた。相手はまるで根でも張ったように動かなかったけど。

 

 俺は奥歯を噛み締めて、腹の底から湧き出る言葉を口にした。

 

「取り消せ」

 

「ニゴ」

 

「取り消せよ!」

 

「ニゴ、」

 

「俺はもう奴隷じゃない。奴隷なんだね、じぇねぇ! 奴隷だったんだねって言えよ! 今の俺に鎖はねぇんだから、俺は、もう、奴隷じゃねぇんだからッ、過去にしろよ!!」

 

 握り締めた拳で檜を殴ろうとする。しかし相手は的確に顔を動かし、哀れむ瞳をやめないのだ。

 

「私は、言葉を間違えたのか」

 

 寂しそうな呟きをやめろ。俺のことなんか何も知らないくせに、勝手に哀れんで、勝手に感傷して、勝手に下に見る目をやめろ。

 

 歯ぎしりする俺の拳を檜が握る。嫌悪を込めて腕を振り払った俺は、檜の下から跳ね退いた。

 

 頭の奥が煮え立っている。揺れる視界が熱くて堪らない。呼吸が整わなくて、胃が痛くて吐き気がした。俺はまだ殴られてないのに、罵倒されたわけでもないのに。

 

「……帰るんだ」

 

 呟きは自分に言い聞かせる。震える指を握り込んで、鼓舞するために太腿を叩いた。

 

 フードの下から檜を睨んだ俺は、再び構えを固める。

 

 檜の目は変わらない。哀れな者を見る色だ。落ち着かせようと柔らかく動く両手が憎らしい。

 

 俺は奥歯を噛み締めて、階段を駆け上がる音を拾った。

 

「ニゴ!」

 

 息を切らせた星衣の声がする。俺は無意識に後ろへ距離を取り、肩を大きく上下させる星衣を見た。

 

「なん、」

 

「やめて」

 

 星衣の声が震えている。歪んだ顔は横に振られ、檜は俺と星衣を見比べた。

 

 薄く汗をかいた星衣は胸を掻き、また、泣き出しそうな顔をするんだ。

 

「やめてニゴ、やめて」

 

「なんで。お前が望んだんだろ。姉ちゃんが不幸になればいいって」

 

「そうだけど!」

 

「はっきりしろよ、星衣」

 

 目尻が痙攣した自覚がある。俺は星衣に近づいて、思い切り襟を掴んだ。星衣の足は軽く浮き、顔から血の気が引いている。

 

「お前が、望んだんだ。悪魔を呼ぼうとしたってことはそう言うことだ。悪魔が本当に来てたら今のお前の言葉だって聞いてないに決まってる」

 

 星衣は俺の手首を掴んで抵抗しようとする。頭が熱くなるばかりの俺は、星衣を壁に叩きつけた。背中を打った星衣の目尻には涙が浮かんでいる。だが、その雫が流れることはなかった。

 

「気づけよ星衣。お前は、本当は何がしたいんだ。どうしたいんだ。お前が本当にしたかったのは、姉ちゃんを呪いたいとは違うんじゃねぇのか」

 

 苛立ちが募っていく。自分の気持ちも分からない勝手な奴。幸せなのにそれを捨てようとしていた馬鹿な奴。姉ちゃんを不幸にしてくれって言ったくせに、傷つけるのはやめてくれなんて矛盾もいいところだ。

 

 お前は何がしたい。本当は何を願ってた。俺をミオの所から引き剥がして、俺ができることを否定して、お前は結局なにをしたかった。

 

「おれ、は、」

 

「餓鬼が」

 

 星衣を力いっぱい床へ引き倒す。そうすれば、暴力を知らない餓鬼が背中を丸めて咳き込んだ。体を丸めて痛みに耐える姿は、初めて殴られた時の俺を思い出す。

 

 痛くて堪らないのに、俺を傷つけた相手は俺を心配しない。その現実に心まで殴られた気がして、全てを恐怖に支配された、あの日。

 

 星衣の目が俺に向く。不安を宿して、大きく揺れる茶色い目。

 

 あれ、俺、何してんだっけ。

 

 俺は握り締めてた拳を見下ろして、自分の背中にご主人様が重なった気がした。

 

 吐き気が体の底から湧き上がる。全身に冷や汗が浮かんで、気づいた俺は両手で顔を覆っていた。

 

「にご、」

 

「俺は違う、違う、違う、違う違う違うッ」

 

 言い聞かせて、言い聞かせて、それでも関節が震えてしまう。俺がしているのはご主人様と同じことである気がして、俺はそんなやり方しか知らないのかって、愕然とした。

 

 こんな俺が、ミオの所に戻っていいのか?

 

 どんどん分からなくなる。足元が不安定になっていく。一気に体温が引いて、俺と星衣の間に檜が入っていることにも気づかなかったのだ。

 

「ニゴ、子どもだろうと大人だろうと、矛盾するのが人間なんだよ。自分の気持ちに気づかない鈍感さを持っているのが彼らなんだ。君や私とは違う。酷く絡まって、面倒くさいものなのさ」

 

「……だから、」

 

「だから、許してあげてくれないか。間違えてしまったこの子を。そして、この子に応えようとして、自分の首を絞めたニゴ自身のことも、どうか」

 

 どこまでも、見透かされている気分になる。俺と星衣の間にしゃがんだ檜は、慈悲のある目でこちらを見ていた。

 

 許すとはどうすればいいのだ。許すってなんだ。その方法を俺は知らない。学んだことがない。俺は許されたことがないんだ。

 

 体の中で感情が色々な方へ向く。一貫性のない思いが迷ってしまい、俺は奥歯を噛み締めた。

 

 俺は賢くない。不安ばかりの弱虫だ。だから、小難しいことは考えたくない。考えられない。

 

 俺は星衣の姉ちゃんを傷つける。そうすれば召喚の法が解けるかもしれない。呼び出した者の願いを聞き届ければ、俺はミオの元へ戻れるかもしれない。

 

 だから傷つけるんだ。星衣の姉ちゃんを。どこにいる。どこに隠れてる。いや、先に黙らせるのはこの我儘な餓鬼と人間のふりをした何かだ。

 

 奥歯を砕けそうな音がする。その音が自分の口からしていると分かった時、既に俺は拳を振り上げていた。

 

 檜の指が関節に力を入れる。しかし、前に出たのは星衣なのだ。

 

 震える体で、泣き出しそうな顔で、歪んだ俺の視界一杯に餓鬼が映る。

 

「ニゴ、やめて!」

 

 広げられた両手はなんだ。怯えた体はなんだ。そんな体でどうするんだよ、吹き飛ばすぞ。

 

 俺の拳が落下の動きに入った時、扉を開く大きな音がした。

 

 思わず片手で拳を止める。俺の制止の動きと同時に廊下を駆ける音がして、視界には探していた香りが舞い込んだ。

 

 そいつは星衣の頭を抱え込む。飛びつくような勢いで床に転がった二人の姿を視線で追えば、星衣と同じ髪色をした女が俺を睨んでいた。

 

「私の弟に、なに、してるの!」

 

 廊下に反響する声が俺の肌を刺す。肩を過ぎた女の髪が星衣の顔を隠し、俺の体が固まった。

 

 震える茶色い瞳が俺を睨んでいる。女は虚勢を隠しきれていない、現状だって飲み込んでない。彼女が探していた星衣の姉ちゃんだと、すぐに分かった。

 

「姉、ちゃ……」

 

「大丈夫、大丈夫だから」

 

 震えを抑えながら俺を凝視する星衣の姉。俺は黙って二人を見下ろし、姉の目元に溜まった恐怖も見つけていた。

 

 腕を下ろした俺は半歩だけ二人に近づいてみる。姉ちゃんは星衣を抱き締めたまま下がり、一生懸命に床を蹴っていた。

 

「お前の弟に用はない。俺はお前を傷つけにきた」

 

 姉の目を見て素直に告げる。そうすれば姉は目を丸くし、泣き出しそうな顔で弟を隠し続けたのだ。

 

「私に用があるなら、星衣は、関係ないでしょ!」

 

「そうだな」

 

「なんで、ここにこの子がいるのよ。あんたが連れて来たの!? 星衣に何しようとしたの!?」

 

 切羽詰まった声でまくし立てられる。口を挟むタイミングのない星衣は腕の中から姉を見ていた。信じられない者を見るような目に、俺の鳩尾が痛んでしまう。

 

「別に。邪魔しに来たから。てか逃げないんだ。自分が狙われてるって分かったのに」

 

「逃げ、たら、星衣は見逃してくれるの?」

 

「殴りはする」

 

「ッ、だったら、逃げないよ!」

 

「姉ちゃん!」

 

「星衣は、黙る!」

 

 揺れる星衣の声を姉が黙らせる。口を結んだ星衣の手は姉の腕を弱く掴み、気づいた姉は強く握り返していた。

 

 嫌になるな。震えてる二人の足も、強がりでしかない目も、逃げ出したい気持ちを必死に我慢した態度も。

 

 俺は胸の中心に寒さを抱きながら、フードの裾を引いた。

 

「怖いくせに」

 

「怖く、ても、この子が危ないなら、逃げないよッ」

 

 何も知らない姉は俺を睨み続ける。俺がここにいるのは、元はと言えばお前の弟が呼んだせいなのに。知らないって得だな。お前が抱き締めてる弟、お前のことムカつくって言ってたぞ。

 

 星衣が再び口を開きかける。それに気づかない姉は、弟を隠し続けるのだ。

 

「あっち、行ってよ! 化け物!」

 

 あぁ、俺は……化け物か。

 

 指の関節が疼いてしまう。体の中心を風が過ぎる。

 

 目を少しだけ伏せた俺は、空気のように動いた黒の声を聞いた。

 

「落葉さん」

 

「ひ、檜、せんせ、」

 

 姉の言葉が途中で止まる。目の前で姉ちゃんの意識が途切れ、檜は生徒を抱き留めた。

 

「ね、姉ちゃん!」

 

「少し眠ってもらっただけだよ。問題ない」

 

 顔色を悪くした星衣が姉に縋る。後ろ姿しか見えないが、檜は微笑んでいる気がした。姉を檜から任された星衣は、またみっともなく泣いている。その涙はどんな感情だよ。お前の感情に振り回される俺は、どうしたらいいんだよ。

 

「……ニゴ」

 

「なんだよ」

 

 苛立ちが俺の中に降り積もる。優柔不断で情けない、不幸を求めた餓鬼のせいだ。愚かなコイツは俺の心なんて知らないくせに、勝手に願って、勝手に愚痴を吐いて、勝手に止めにきた。

 

 星衣は涙の止まらない目を向け、弱々しく声を震わせた。

 

「ニゴに嫌な思いさせて……ごめん」

 

 頭を下げられる。姉をきつく抱き締めて、嗚咽を必死に抑えた餓鬼が謝罪する。

 

 なんだよ、謝るなよ。鬱陶しいな、嫌だな、ムカつくな、ふざけんなよ。

 

 俺は額を押さえて、頭を深く下げ続ける星衣から目を逸らした。

 

「どうしたい、星衣」

 

 腕を脱力させて、気だるく星衣に近づいていく。星衣はゆっくり顔を上げ、力なく首を横に振った。

 

「姉ちゃんを、傷つけないで」

 

「なんで。お前は姉ちゃんの不幸を望んだろ。見ててムカつくからって、幸せそうなのが嫌だからって」

 

「我儘だって分かってる。ごめん、ごめんなさい」

 

「答えになってねえ」

 

「俺、まだ、姉ちゃんと話してないから!」


 歩みが星衣の声に止められる。幼くて、自分勝手な人間は、決して姉を離そうとはしないのだ。

 

「俺、姉ちゃんに面と向かって怒ったことない。喧嘩したことない。俺が避けたから、勝手にムカついたから。学校の奴より、父さんや母さんより、俺は誰よりも姉ちゃんと話してない!」

 

「だから何だよ」

 

「だから、だから、」

 

 星衣の涙が姉の頬に落ちる。化け物が弟の前にいると分かりながら、飛び出してきた馬鹿な姉だ。

 

 なんとなく、この姉の馬鹿さ加減は似ている気がした。鏡の向こうから俺の手を引いた、あの少女に。

 

 視線を星衣で固定した俺はもう、拳を握れなかった。

 

「俺は、姉ちゃんと話して、喧嘩したい。俺から見た姉ちゃんがどんな風で、どう思ってるか、聞いて欲しい。俺の気持ちを、知って欲しい」

 

「それで?」

 

「……ニゴ、姉ちゃんを傷つけるの、やめてください。お願いします」

 

 また、星衣が頭を下げる。深く深く俺に願う。

 

 フードの裾を引いた俺は、肺の底からため息を吐いた。

 

「気づくのが遅ぇ。俺じゃなくて、本当に悪魔が来てたら止めてくれなかったぞ」

 

「……はい」

 

「軽率な星衣。切羽詰まってから気づくなよ。二度とねぇぞ」

 

「……はぃ」

 

「でも、お前が苦しかったのはちゃんと分かった。優しいのも、ちゃんと分かった」

 

 息を呑んだ星衣が目を見開く。俺は濃くなる夕焼けの影に顔を隠し、姉弟から距離を取った。

 

「苦しいとか嫌だって、言っていい。怒っていいし、泣いていい。誰も聞いてくれないって決めつけるなよ。少なくともお前の姉ちゃんは、星衣の声を聞いてくれると俺は思うぞ」

 

 また喉が立てた音を聞く。先程よりも勢いよく泣き出した星衣は、固く唇を噛んでいた。嗚咽を殺して姉を抱き締めている。その姿を見て、俺は堪らなくミオの元へ帰りたくなった。

 

「ありがとう、ニゴ」

 

 情けないお礼を貰う。俺は沈む夕日を横目に、仕方なく力を抜いた。

 

「俺はお前に振り回されただけだ。もう用がねぇなら帰り方探す」

 

「そう行き急がないことだよ、ニゴ」

 

 落ち着かせるような檜の声を久しぶりに聞く。襟を触っている女は目元を和らげており、階段を駆けてくる足音にも気が付いた。

 

 なんだ、面倒だな。隠れた方がいいのか。

 

 動きかけた俺の腕を檜が掴む。一息の間に詰められた距離に俺は軽い寒気を感じた。

 

「ありがとう、ニゴ。この子達を許してくれて。君のお陰で興味深い行動も見ることができた。不快であり、痛い思いをさせた件は本当にすまない。ごめんね」

 

「いや、もうどうでもいいから。離せよ、誰か来る」

 

「それに関しては問題ないだろうよ。面白い匂いがするからね」

 

「はぁ?」

 

 屈託なく笑った檜に俺も星衣も疑問符しか出てこない。足音はどんどん近くなっており、俺は離されない腕を諦めた。

 

 廊下の角から出てきたのは、黒い髪を纏めた少女。その姿に俺は目を丸くし、少女と一緒にいる男のせいで余計に言葉をなくすのだ。

 

「ニゴくん」

 

「……澪」

 

 息を切らせて現れたミオの片割れ、こちらの澪。澪の後ろには黒髪の一部だけが灰色の男がいて、その顔は鏡を越えた時の俺と一緒だった。

 

 澪の手の中で光が反射する。息を整えた彼女は、酷く安心したように笑ってくれた。

 

「久しぶり。迎えに、来たよ」

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