君は知らなくていいこと 前編


 学校とは不思議だ。感情の起伏が激しい年代を集めて、到底ストレスにしかならない校則を提示し、知識を与えた彼らに小さな社会を経験させるのだから。

 

 社会に出たら考えの合わない人とも上手く付き合っていかなければならない。基礎的な知識がないと生きていけない。ここは生き方を学ぶための場所である。

 なんてことをまだ十年とそこらしか生きていない子どもに説いたところで、反発しか返ってこないだろ。

 

 社会に出たら学生のように制服をきちんと着ている職種なんて限られる。働きだしたらそれこそ自分の自由なんて制限されるのに、学校にいる間も制限するなんてあんまりだ。自分達ができないことを子どもには強要するなんて、大人はズルい。

 

 などと、どこか大人びた、悪く言えばませた子どもは言うのだ。だから自分達だって勝手をやる。先生の目の届かない場所ではルールなんて守らない。しかしそうなってくれば、いつでもどこでもルールを守っている子が馬鹿みたいではないか?

 

 大人も子どもも総じて勝手である。自分のいいようにルールを解釈して捻じ曲げるのだから。捻じ曲がった理論からこじれた嫉妬が芽吹いているとも知らないで。

 

「先生、本返しに来た」

 

「ありがとう。貰うよ」

 

 去年の秋頃、一つの絵に見惚れていた子がやってくる。半年ほど経った今では美術部に所属し、いつも美術に関する本を期限いっぱい借りていく子だ。

 彼を射止めた絵を描いた少女は三年生になったのだが、今でも第二理科室で絵を描いているらしい。

 

「今度の絵はどんな様子なのかな」

 

「まだイマイチ。前よりも描けてるって先輩は言ってくれるけど……」

 

「あの先輩に言われると説得力がないって?」

 

 言い淀んだ生徒に笑みを零す。目線を逸らす少年は「そうだよ」と顔を歪め、新しい美術の本はないかと話題を変えた。繊細だな。まぁ生徒の関係に口を出すような無粋な性格はしていない。

 

 私は分類七の棚に向かい、先日返却された本を数冊おすすめした。ページを捲る少年は真剣な顔つきであり、私の視線は彼の体に向かう。

 

 半年前よりはみたいだな。

 

「これ借りる」

 

「じゃあ手続きしよう」

 

 本を差し出す少年の手首から腕を伝い、首に巻きつき、体に絡んだ植物のツル。

 

 私は無害がごとく微笑み、少年が咲かせている花の香りで口内は潤った。

 

***

 

 私が人間ではないと言って、信じる奴などいないだろう。

 

 私の見た目はとても平凡だ。平凡なようにした。黒い髪と平均的な身長、平均的な顔つき。私の顔を思い出してみろと言っても、ぼんやりとしか浮かばない程度の顔を選んで作ったのだ。平凡以外であって堪るかという話だ。

 

 故郷の一品で人間の皮を被っている私は、少々違う所からこちらへ迷い込んだ異端である。


 元より自分がいた場所に飽き飽きしていた口なので、迷い込んだこちらで「人間」を見た時は面白かった。それはそれはいい玩具を見つけたと思ったほどに。

 

 私の根本はこちらで言う「植物」だ。だがそこら辺の雑草や花壇のものと同じにされては困る。私は自立し、思考し、食する植物であり、私の食欲を刺激するのは人体に絡みついた花なのだ。

 

 人間とは兎にも角にもややこしい。背中側、心臓の裏からツルを生やしたかと思えば、その各所に花を咲かせている。どれもこれも秀逸な形をした花は、当人の感情や興味を象徴している。


 今しがた図書室から出て行った彼は蝶とネコと、絵筆を彷彿とさせる花弁を咲かせていた。以前は自分のツルで首を絞めていたと言うのに。

 

 かの植物は決して人間に無害ではない。そのツルで時には首を締め、時には関節へ絡まり、時には視界を覆ってしまう。それが続く人間は大抵壊れるので、生徒の中で絡まっている奴がいれば一声二声かけるようにはしている。手に負えそうなのだけ。

 こりゃ無理だと思われる奴は担任に「あの子大丈夫です?」と聞いてみるが、対応されるのはごく一部なのだから骨折り損だ。大人の性根はやはり捻じ曲がっている。

 

 私がこちらに迷い込んで幾十年。初めて私を見つけた奴から色々な物事を教わって何十年。何度か実家から「帰ってこーい」と迎えを寄越されたが、帰るよりもこちらにいる方が面白いのだ。まだあと数十年は帰らないだろう。


 小さな集落から始まり、人間を覚えて擬態した。学がいるそうなので多くを捏造して紛れ込んだことも数えきれない。ガクはあるのに学がないとダメらしい。そこはちょっと面倒だった。

 しかしそれ以上に、町人におかしい奴として認識された時は面倒を越えて腹立たしかったな。そいつらはもういないのだが。

 

 今の司書という職も「面白そうだから資格とるか」という感覚で取得した。学校という場に勤めるのは初めてであるが、この場所はやはり不思議だ。こうも社会を濃密に圧縮した場所があろうとは、唾液が溢れるばかりではないか。

 

ひのき先生、次の授業で図書室を使ってもいいですかね?」

 

「あぁ、構いませんよ」

 

 休み時間にやってきて、図書室の使用を願い出たのは三十代前半の教師だ。名前は忘れた。名札を下げろ。そして図書室を使う時はもっと事前に許可を取れ。

 

 人間は面白いが、それと同じくらい鬱陶しい。特に捻じ曲がった大人は面倒くさい。この教師も体をツルで巻かれているが、咲かせた花の中に他人を攻撃する刺々しいものがうかがえる。しかもツルに隠れるように咲いているので、やはり子どもより面倒くさい。

 

 私は図書室の利用許可書を記入する教師の背後に回り込む。目を細めたまま、指の関節を小さく鳴らして。タートルネックを引っ張り、上がった口角をより上げた。

 

 じゃんけんのチョキの形にした手で、隠れるトゲの花に触れる。指で挟んで力を込めれば、容易く花は手折れるのだ。

 

 受け皿にした手で花を受け止め、首を傾げた教師の後頭部を凝視する。花と両手を後ろに組んだ私は、にこやかに問いかけた。

 

「書けました?」

 

「あぁ、はい。それじゃあ次の時間、生徒を連れてきますね」

 

「はい。お待ちしています」

 

 去っていく教師は無意味に肩を回して退室する。私は利用許可書とボールペンを回収し、扉を閉めた司書室の奥で目を弧にした。

 

「この前も摘んだのに、性根が曲がってんなぁ」

 

 花の香りに唾を飲み、大きく大きく口を開ける。口の端が裂けるほどに。それも花を呑む為ならば仕方がない。刺々しく他者を攻撃する身勝手な花。それはどうして美しく、香りが私を刺激する。

 

 掌一杯の花を口に詰め込み、丸呑みにした。拡張した喉を通る花は炭酸水のように刺激を残し、私の胃に収納される。

 

 ふむ、やはり美味。

 

「これだから、ここは面白い」

 

 人間が咲かせる多様な花々。込められた感情や興味は刺激的な調味料として花を味付けし、私の鼻孔を刺激する。

 

 歪んだ花も、曲がった花も、こじれた花も、総じて私の好物だ。

 

 裂けた頬を直した私は、チャイムと同時に司書室を出た。

 

***

 

 さて、日々なにかしら教師陣から花を手折って「いただきます」している私だが、生徒には手を出したことがない。ここは約束しよう。子どもには手を出さないのが信条だ。

 だが別に子どもが好きということではない。ただただ子どもには手を出さないと決めて、誓っただけのこと。

 

 だから私は、流れ流れて学校という不思議な場所に辿り着いたのだろう。

 

 学校で行き場を失いかけている生徒を、見つめてしまうんだろう。

 

「先生、来た」

 

「やぁ、こんにちは」

 

「こんにちは、おやすみ」

 

「はい、おやすみ」

 

 毎日毎日飽きもせず、放課後に顔を見せる一人の女子生徒。名前は落葉おちば日向ひなた


 今年度三年生に進級した彼女の顔を、私はこの三年間見たことがない。

 

 落葉の顔は見えないのだ。あまりにも多くのツルが巻きついて、こんがらがってしまっているから。


 しかも特異なことに、巻きついているのは彼女の顔と両手足の関節だけ。限定的に密集したツルは不気味なものがある。口元だけは微かに見えるのがまた不気味だ。

 恐らく髪の毛は明るい茶髪なのだろうし、毛先は巻かれているのだろうが、そんなものはツルに閉じ込められてしまっている。

 

 規定より少々短いスカート丈に、第一ボタンの開いた制服。しかしそれは服装点検の日以外なら大概の女子生徒が行っている範囲であり、落葉も所謂「よくいる子」なのだ。

 

 ならば何が彼女をがんじがらめにしているのか。約三年間、放課後にだけ現れる生徒に関して、私は最低限の情報しか集められずに過ごしたのである。

 

 落葉日向は決まって放課後、部活をしていない生徒の最終下校時刻まで図書室で寝て帰る。本を持たず、スマホも触らず、ただ机に突っ伏して糸が切れたように眠るのだ。

 

 私は黙って観察する。元より利用者の少ない図書室だ。放課後は落葉だけのことが大概であり、テスト前に少し勉強して帰る生徒がいるかいないかと言ったところ。

 読書離れもここまでくると笑えてくるが、改善も司書の仕事の一つ。生徒に少しでも図書室を利用してもらえるよう、私は広報活動など云々と考えた。朝から夕方まで、生徒が授業を受けている時に考えた。毎度いい案なんぞ浮かばないんだけどな。

 

 さて、今はそんなことどうでもいいのだ。私は日中に散々唸ったので、今は気がかりな落葉について考える。毎日のルーティン的に。

 

『先生、図書室って寝てもいい場所?』

 

『本来は本を読む場所だけど、まぁいいよ』

 

 そんな会話をしたのは落葉が一年生の頃。半袖から覗く肌にツルが固く巻きついていたのが印象的だった。そのツルは日を追うごとに彼女の関節を拘束し、何重にも顔を覆っていく。

 

『ねぇ先生』

 

『なにかな、落葉さん』

 

『なんかね、』

 

『うん』

 

『……うーん』

 

『うん』

 

『……テスト、点、やばかった。おやすみ』

 

『はい、おやすみ』

 

 彼女はあまり成績がよくない。それはなんとなく知った。言葉の蓄積が少なめで、言いたいことを言うのも得意ではないと分かった。

 

『日向この前の休みちょー楽しかったねー!』

 

『楽しかったー! 誘ってくれてありがとね!』

 

『ね、ね、次は三人でここ行こうよ』

 

『うわヤッバめっちゃ可愛い、行こ行こー!』

 

 休み時間はクラスメイトと大きい声で喋る子だとも知った。たまたま職員室から図書室へ帰る時、移動する彼女達を見かけたのだ。


 そこから私は時間を見計らって図書室外でも落葉を観察した。学校職員という立場が危ぶまれない程度に。

 

 校内でも、もちろん落葉のツルが外れることはない。手を叩いて笑う時も、クラスメイトと体を近づける時も、彼女のツルがそう動くように関節を誘導していた。

 

 ツルに指示される操り人形。ならばその操り手は誰か。それは間違いなく、落葉日向自身だ。

 

 彼女は自分で自分を操る子。明るい子。声がよく通る子。友達と休みの日に遊べる子。しかし放課後は電池が切れたように眠ってしまう子。

 

「分からないねぇ」

 

 椅子の背凭れに体重をかけて、タートルネックの襟を伸ばす。分からない、分からないんだよなぁ。分からないんだよ。どうして自分の首を締めるように動くのか。

 

『先生って年中タートルネックだけど、暑くないの?』

 

『落ち着くんだなぁ、これが』

 

『ふぅん』

 

 人のことは聞くくせに、自分のことは喋らない。生徒の中では大変珍しく、それもまた言葉が足りないせいではないかと考えた。私が質問しないというのも原因のひとつかもしれないけどな。聞き方が分からないと思うあたり、私の人間への擬態も完全ではないらしい。

 

 音を立てないよう椅子を離れ、昼間に返却された本の残りを棚へと戻す。落葉からは繊細な花の香りがし、私は口を曲げた。

 

 落葉の花は酷く脆い。一見すれば服や装飾、流行りの物を象徴した煌びやかな花なのだが、近づけば分かる。あれは輝かしい宝石ではなく、ステンドグラスで出来た花だ。その薄さもまた個性的であり、花弁が欠けたものも見受けられる。

 

 少女が帰った後、時々ではあるが花が落ちていることもある。私はそれを食べることなく、誰も近づかない書庫に飾るのだ。夕日を浴びると綺麗だぞ。今日も落として帰るかな。

 

 本を戻しながら観察していると、廊下から生きのいい足音が聞こえてきた。耳障りだな。

 

「あぁ落葉さん、またここにいたのね」

 

「ぅぇ……あ、しば先生」

 

 私がため息を飲み込んだ時、美しい女性教師が早足で図書室にやってきた。お洒落な膝丈スカートとネックレスが特徴的な柴先生である。

 開いた襟から肌がけっこう見える。今日も爪がお洒落だな。全身からいい女という雰囲気が溢れている。お前の方が服装指導受けた方がよくないか? 人間楽しんでんな。

 

 彼女の香水が生理的に無理な私は、微笑みながら落葉とのやりとりを観察し続けた。

 

「補習のプリント、間違えてる箇所が多いから追加よ」

 

「えー、分かんないんだもん」

 

「教えてあげるから、ほらおいで」

 

「……明日じゃダメ?」

 

「ダメです。ほら立って。すみません檜先生、お邪魔しました」

 

「いいえ」

 

 焦げ茶の髪が忙しなく揺れる。何度も会釈する柴先生は落葉を連れて行ってしまった。去り際に少女が私に手を振ったのは見逃さない。私が手を振り返した姿は見えたかな。

 

 一瞬だけ音を響かせた図書室に静寂が戻る。私は深く息を吐き、時計を確認した。


 最近、落葉の滞在時間は短くなりがちだ。理由はあの柴先生。今年度から異動してきた人だが、どうやら落葉に目を付けているらしい。補習、進路相談、服装などなど、色々な理由で図書室へ迎えに来ることが多いのだ。

 

 私は落葉がいた席付近で、ステンドグラスの花を見つけた。花弁も何枚か落ちており、最近は頻度が上がっている。

 

「はて、さて、」

 

 拾った花を指先で弾く。そうすれば簡単に亀裂が入るから、私は口角を歪めておくのだ。

 

***

 

「檜先生?」

 

「こんにちは、東雲さん。少しいいかな?」

 

 職員室で待ち伏せたのは、三年生になった東雲雪という美術の天才。という肩書きに縛られた、ただの女子生徒。


 彼女のツルは美しく、咲いた花は凛とした蝶を象徴していた。蝶を纏った後ろ姿があまりにも綺麗で観察したのは内緒にしている。

 

 東雲は第二理科室の鍵を持ち、私は蝶の中に混ざったネコの花に口角を上げた。

 

「聞きたいことがあってね。歩きながら話せるかな」

 

「はい、大丈夫です」

 

 不思議そうな少女は上履きに蝶の模様をつけている。それだけでも価値を生みそうな逸品だからか生徒指導の先生も黙認しているんだな。才能とは罪深い。


 しかし少女に罪はない。魅了した蝶の罪だろう。

 

 東雲の花が微かに翅を揺らす。まるで今にも飛び立てそうなくせに、一向に東雲のツルから離れないのだ。彼女も性悪な蝶に魅入られて不憫だろうに。綺麗な薔薇には棘があるとは、人間は上手いこと言ったもんだ。

 

「それで、先生。何のお話を?」

 

「あぁ、ちょっとね。君は確か落葉日向さんと同じクラスだっただろう? 彼女は君から見てどんな子なのかと思ってね」

 

「落葉さんですか……」

 

 東雲はクラスメイトの様子を思い出す仕草を見せ、私と共に階段を上る。第二理科室の前には図書室常連の少年が立っており、今日も蝶とネコと画材の花を咲かせていた。

 

「こんにちは、先輩。と、司書の先生……?」

 

「こんにちは、水望くん。遅れてごめんなさい」

 

「いや、俺が借りられればいいのに……すみません」

 

 見るからに肩を落とした水望少年。人望というのは教師と生徒の間でも大きな意味を持っているよね。放課後に第二理科室の鍵を借りられる生徒なんて、教師から雑用を頼まれた生徒か東雲くらいだろう。

 

 苦笑する東雲は理科室の鍵を開け、落葉について教えてくれた。

 

「私から見た落葉さん、でいいんでしょうか?」

 

「構わないよ」

 

「なら、そう、そうですね。落葉さんって、空気を読むのが上手い人なんだろうなって、思います」

 

「と、言うと?」

 

 興味深い回答に口角が上がる。理科準備室からカンバスや絵の具を持ち出している水望は疑問符を飛ばしているようだが、学年の違う彼に用はない。黙って絵を描いてなさい。そして東雲はもっと色々話しておくれ。

 

 東雲は上履きを見て、微かに表情を緩めた。

 

「落葉さん、すごく快活な人なんです。でも、なんでしょう、騒がしいとは違って……クラスの話し合いの時とか、みんなの空気を察して、話をまとめてくれる感じの人、です。視野が広い、とも言えるでしょうか」

 

「もう少し聞きたいな」

 

「もう少し……えっと、休んでた子には、登校した時に必ず声をかけてる、とか。あと、私の上履き、すぐに気づいて褒めてくれたりしました」

 

 東雲が口を押さえる。彼女は何やら考える素振りを見せ、はにかみは消えていた。

 

「……時々、心配になることもあります」

 

「心配?」

 

「私の勘違いかもしれません、けど……席が近い時、急に落葉さんが静かな雰囲気になった気がしたんです。ほんとに、時々ですけど」

 

「声はかけた?」

 

「一応。でも、どうかしたのって聞いたら、落葉さんは絶対に笑うんです。何回かそういうことがあって、だから、心配した方がダメなのかなって思ったり、しました」

 

 東雲の眉が下がる。この子はこの子で周りをよく見られる子だ。声をかけて正解だった。流石は蝶に気に入られるだけの気質があるというべきが、蝶に触れる体験をしたからこそ周りをよく見られるようになったのか。どちらでもいいか。

 

「そうか」

 

「普段はそんな、話さないので。落葉さんも驚いたんだと思います」

 

 苦笑した東雲は跳ねた毛先に触れている。私はタートルネックに指をかけ、ツルに絡めとられた生徒を思い起こした。

 

「普段の会話量は関係ないさ。相手が気になるかどうか。相手を気にしているか、どうか。重要なのはそこさ」

 

「気にしているかどうか、ですか」

 

「あぁ。私の急な質問にもきちんと答えられるほど、東雲さんは落葉さんを気にしてくれていた。普段は話さないのに、だ。それだけで私は安心できたよ」

 

 人懐っこく笑って見せる。私の笑みに東雲も肩の力が抜けたようだ。笑顔とはいいものだな。相手の緊張をほぐす作用を持っているのだから。落葉の笑顔は東雲を不安にさせていたようだけど。なんだよ人間、難しいな。

 

「ありがとう、東雲さん。これからも落葉さんを気にしてあげてね。よい創作活動を」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 そろそろ一人でスケッチブックに向かう二年生が不憫な気もしてきたので、私は話題を切り上げる。微笑む東雲に軽く手を振れば、少女はふと、最後の付け足しをくれた。

 

「先生、気になることで、あと一つ……」

 

「うん?」

 

「落葉さん、最近目に見えて、元気がなさそうなんです」

 

 東雲の視線が下を向く。自分の声掛けではダメなんだと呟いた少女に、私は満面の笑みを浮かべた。

 

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