『ひつじがしつじのじしつでじさつまえのじしんそうをするか』

やましん(テンパー)

『ひつじがしつじのじしつでじさつまえのじしんそうをするか』

 そもそも、名もないひつじくんが、家族や他人さまに、お葬式をしてもらおうなんて、大それたことを期待して良いのだろうか。


 やましんは、両親のお葬式を、それなりに、立派にやったが、百万円ではとうてい足りないような費用がかかった。


 やましんの給料ではかなり苦しかったが、父の時は、母が財布を握っていたし、どうやったのか、あまり覚えていない。援助してもらったかもしれないし、メンツもあり、なんとかしたかもしれない。


 いずれ、お葬式をあげるというのは、一般には、たいへんなことである。


 サラリーマンは、自分の葬式のために働くようなものだ。


 最近は、家族葬、というのもよく聞くし、奥さまの母上は、そうしたのだが、費用は変わらなかったみたいだ。


 お葬式も、一種の、パック料金のようになっている。


 結婚式も、やはり、大変である。


 有名人の方は、最近はあまりわからないが、昔は、ものすごい式をあげていたような。


 いまは、バブル時代とは違うのかもしれない。


 式典というものは、なにかとお金がかかる。


 先の東京オリンピックは、まさに、紆余曲折の経過をたどった。


 結局、当初の話とは、なんとなく違ってきてしまったような気もしたが、ころなさんの被害は、ちょっと予想外だったかもしれない。


 あんなに、直接はからまない周囲の国民までが、気分的にも、くたくたになったオリンピックも、希だったのではないかしら。


 やましんは、そもそも、式典というものは、苦手である。


 非常に疲れるからだ。


 職場の宴会などのあいさつと、乾杯、をやらされたこともあるが、いつも、『みなさん、けんこうでありますように、乾杯!』だけにしていた。ご不満だった向きもあったらしい。役割にそった、それなりのあいさつを、一切削除したからね。


 小学生時代から、入学式や卒業式、さらに、自治体独自の、なんとか式もある。


 式典に参加する心がけを学ぶわけだ。


 学ぶわけだが、なぜか、成人式は、いつのころからか、荒れることが多くなった。


 少数の人が、一種の反乱をしたわけだが、自治体も多少反省したのか、やり方をいろいろ工夫しだしたようだ。


 たしかに、市長さまなどの、長い長い演説は、苦しいに違いない。


 現在進行している戦争では、音楽家の分断もあった。残念ではあったが、責める気にはならない。これは、下手したら命に関わる問題だからね。


 しかし、いつ、終戦するかわからないが、その後は、かなりの困難が伴うに違いない。


 立場の違いより、天才が放つ音楽は、ほかに代えがたいものがある。


 いささか、常識はずれな行動があっても、天才が、一般人以上に大切にされてきたのは、他のひとには、絶対に作れないものを作るからであり、それは、人類の宝に成るからだと思う。



 それでも、危ない事態はたくさんあった。


 ペートーヴェン先生も、共和主義者として、当時当局から、かなり睨まれていたらしいが、あまりに有名すぎで、うっかり、逮捕はできなかったらしい。有力貴族階級にも、支持者があり、海外の反応も懸念されたかららしい。べー先生の周囲には、いつも、政府のスパイさんが張り付いていたと言われる。それでも、亡くなった特は、大きな葬儀が行われた。


 しかし、シューベルト先生は、一回、自由主義者の友人に連座して、拘束されている。幸い、すぐに、釈放されたようだ。

  

 フィンランドのシベリウス先生は、フィンランド独立戦争時に、親ソビエトの赤軍派から、保守派、体制派とみなされ(実際に保守派だったが。)、1918年、家宅捜索されたことが2回ある。なんとか、周囲の配慮もあり、やっとこさ難は逃れた。


 1957年、亡くなったときは、盛大な国葬が行われた。


 まったく同じ日に、フィンランドの作曲家、ヘイノ・カスキ先生が亡くなった。新聞に小さな記事は出た。じっさい、それでも大したものではあるが。シベリウス先生とは違い、静かに去っていったようだ。


 しかし、後輩の、若手の天才、トイヴォ・クーラ先生は、内戦末期、その1918年に、ホテルで、口論の末、兵士に射殺されている。詳しい内容は、やましんはわからないが。


 スペインの大作曲家、グラナドス先生は、1916年、アメリカからの帰路、乗っていたおふねが、Uボートに攻撃され、奥さまと共に亡くなった。


 ポーランドの大作曲家、シマノフスキ先生は、裕福な階層だったため、シベリウス先生が赤軍の捜索をうけた前年、やはりポリシェヴィキ(レーニンさまが率いた左派一派)の襲撃を受け、大切なピアノを池に投げ込まれたりし、経済的にもメンタルにも大打撃を受け、創作活動が一時止まったりした。


 音楽家が逮捕されたり、拘束された例は、さらに、世界に、たくさんあるに違いない。


 ナチスドイツでは、存在自体を消され、あたまから居なかったことにされたユダヤ系音楽家などが多数あったようだ。(退廃音楽と呼ばれた。メンデルスゾーン先生や、マーラー先生も含まれる。)



 ソビエトでも、たくさんの迫害があった。


 シダーノフ批判という、粛清が名高い。


 批判の最大の相手は、ショスタコーヴィチ先生だったともいわれるが、彼は、しかし、負けずに生き残った。


 日本関係でもあった。


 アメリカ籍の、名高いヴァイオリニストの、シモン・ゴールドベルクさまは、1942年からアジア演奏旅行にでたが、日本軍に拘束され、ジャワ島で1945年まで抑留された。


 しかし、晩年は日本で活躍し、日本で亡くなった。日本人の奥さまもあった。



 さて、ひつじくんが、自宅の自室で、生きてるうちに、自分のお葬式を自分で行い、やったことにしても、違法にはならないだろう。


 どうなるのかしら。


 ちょっと、寂しい、め〰️〰️〰️〰️ 🐏



        


 

 

 

 


 


 


 


 


 


 


 

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