あやふやな約束と寝過ごし
「予定?」
聞き返すと、当然とでも言いたげに死神(ほぼ確定)は答える。
「予定は、予定だよ。
明日何かしようとしているとか、外せないものはあるかい?」
「病院暮らしに外せない用事なんてあるとでも思ってるのかあんたは」
「検査とか、回診とかは無いの?」
「それなら、無いな」
自分の場合、そういうのは大抵、午前中のうちに終わってしまうのだ。
「なら、昼過ぎ」
「……へ?」
「中庭に、来て」
それは、さも適当な、事務報告みたいな口調だったけれど。
それを口にした時、ほんの一瞬だけ、目元が緩んだように見えた。
「連れてくるから。君の、恋の相手を」
「え……は?」
いや、ちょっと待て。
〝願い〟を言ったの、ついさっきのことだけど?
そんな簡単に、というか一晩で用意できたりするものなのか?
「じゃあ、今晩はこれで」
「あ、ちょっ、まだ話は終わってな」
「君の最期が、幸いであることを願うよ」
ぷかぷかと、泡みたいに浮かんできた疑問は、しかし口にする間もなく、ただ言うことだけを言った死神はさっさと引き戸を開けて出ていった。
追って戸を開け、見回した先に、彼女の姿は既に無い。肩を落として戻ると、最初に彼女が言った通り、空調の駆動音、大気の流動する音、隣のベッドのじいさんのいびきの音なんかが木霊する、見慣れた場所になっていた。
何も、何事もなく、自分がよくわからない"何か"に遭っていた分を埋めようとするように。
● ●
――そんなワケで。
そんなよく分からない理由で。
ぼくは、ここにいる。
未だに根拠と呼べるモノも、曖昧なままで、
「結局、何だったんだろうな……」
ぼくは、中庭のベンチに腰かけている。
昨日もそうしていたように、だらりと背もたれに身を預け、四方を囲むのっぺりとした白の建物に区切られた空を、眺めている。
この病院の敷地はそれなりに広く、上から見ると細長い□(四角形)に見える感じに造られている。
そして、中庭は直線に囲まれた空白部分にあり、人工芝とひょろひょろした樹や丁寧に剪定された藪、中央に据えられた噴水と各建物の入り口とを繋いでぐるっと回るようにアスファルトで舗装された道、あとはベンチが点在するくらいで、特にみるべきものはなく、内に籠るのに飽きた病人やら関係者が息抜きをするのに使っている。
その中で、ぼくが基本的に定位置にしているのは、噴水から少し外れた場所、樹木や茂みで回りの建物の窓からは見えづらい位置にあるベンチで、晴れた日には昼寝や本を読んで過ごしていた。
――よく考えなくても、ぼくって結構なヒマ人だよなぁ。
食っちゃ寝読書、たまに散歩や検査みたいな生活だから、必然そうなるのだろうが。
少し話がずれたけれど、結局のところ、昨夜の夢か現実か判断に困るイベントやら情報やらを一晩で丸呑みして訪れているのも、余裕、というか刺激に飢えた退屈さが大きい。
何かあればそれでいいし、無ければ無いで、帰って寝るだけだし。
そんな、とっ散らかった思考や初夏の陽気によるものか、。
気づかないうちに、ぼくの意識は夢か現実かどっちつかずなうたた寝に入っていたようで、
「ん……うおっ!?」
ぷつりと糸が途切れるような唐突さで微睡みから覚め、同時に飛び起きる。
今は何時だ? どれくらい眠っていた?
時計を持ち歩く習慣はない。特に時間を気にする用事なんてないからだ。
携帯電話は病室に置いてきたから手元には無い。
日はまだ高く、呆けていた時間はそう長くはないだろう。だが、その間に〝相手〟が来て、誰もいないからと去って行ってしまった可能性は拭えない。
じわり、と焦りで背に冷や汗が滲む。
無理やり叩き起こした脳の鈍痛を堪えながら立ち上がって見回しても、辺りにはぼく以外に誰かがいる様子もない。噴水の傍にいたはずの子供もいなくなっている。
しくじったか、と唇を噛む。
自称死神の言葉が嘘だったのか、待っても来ないぼくに呆れたお相手とやらが帰ったのか。
そのどちらにせよ、今のぼくには事の真偽を確かめようがないのだ。
「……仕方ないか」
機会を逃した悔しさもあったし、お相手に対する申し訳なさもある。
だけど。前者なら愉快犯の思惑が外れた程度、後者ならお相手さんには申し訳ないけど、機会が無かったということにしてもらおう。そうでなくても、ただ恋がしたいがために誰かと付き合うなんて目的と手段を取り違えたかのような願いは、よく考えればどこか間違っているような気がしなくもない。
そう思い、病室に戻ろうとした時だった。
「――にゃぁ」
声が、した。
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