クロムウェル領へ

「やられた……」


 唸るようなエドワードの声に、夜間警備員たちは冷や汗を流した。エドワードがここまで苛立った声を出すのは、非常に珍しい。

人形がなくなったことで大騒ぎになっていた博物館だったが、ひとまずできることはやって、閉館した。


 ──オリエスタ魔法史博物館では、何があっても夜は夜間警備員に任せること。


 そんな奇妙な掟のおかげで、リリーベリーの人形が盗み出されたと言うのに、夜の博物館はいつも通り静謐な雰囲気を湛えていた。しかしいつもと違うのは、夜間警備員たちの緊迫した雰囲気だろう。


 到着してすぐ、エドワードにことの次第を伝えた。エドワードは昼間からのこともあり、すでに怒りは限界に近そうだった。


「ここから直接移動するとなると、クロムウェル領まで駿馬でも一日はかかる。今から王宮に伝令を出してララを押さえるつもりだが、それにしても時間はかかるな」


 本当であれば、今すぐにでもここを飛び出してリリーベリーを取り返しにいきたいところだ。


しかし夜間警備員たちには、魔法史博物館を守るという役目がある。加えて、ララのバックにいる人物の目的が分からない以上、メリーアンたちが直接出向くのは、かなりの危険が伴う。ここは全て王宮に対応を任せるのが、一番良い方法なのかもしれない。


(ララはやっぱり、この博物館の秘密に、気づいてないんだわ。だって気づいているのなら、国王陛下を敵に回すなんてこと、しないはずだもの)


 フェアリークイーンをこの地に取り戻すことが、代々の国王の悲願だ。リリーベリーを盗んだだけでなく、盗まれてしまったことでも、人間に対するクイーンの信頼は落ちただろう。

 ミルテアが真っ青になってつぶやいた。


「……この博物館は、昼間の警備員でさえ、身分のはっきりした、実力のある人たちを採用しているはずです。その目を掻い潜って、人形を盗むなんてこと、できるのでしょうか……」


フェーブルも他の妖精たちも知らない間に、リリーベリーの人形は盗み出されてしまった。見た目からして非常に高価な人形なので、単純に盗難の対象になることは大いにあり得る。だからこそ、博物館は昼間でも厳重に警備が敷かれているのだ。


(ミルテアの言う通り、それを掻い潜ってあの人形を盗むなんてこと、難しいはずなのよね。加えてフェーブルもいつすり替わったか、分からないって言うんだもの)


 それに偽物とはいえ、あの人形は本物そっくりに作られていた。あれほどの出来の人形を制作するとなると、明確に実物を知っており、かつ一定の制作時間が必要になる。突然ふらりとやってきて盗み出すことができる代物ではない。

 エドワードも同じことを考えていたのか、苦々しい顔でぽつりと呟いた。


「……こんなことは言いたくねぇが。内部犯の可能性が高そうだ」


「……」


 皆、深いため息をつく。内部で犯人探しをしなければいけないというのは、気が重い。

 メリーアンは犯人について、思考を巡らせてみる。


(そうだ。一番初めにこの展示室に違和感を感じたのは……パブの人形を展示している最中だったわ)


 あの日は設置の場所などを含めて打ち合わせが必要だったため、外部の業者を入れていた。すり替えるなら、その時が一番成功する可能性が高いかもしれない。


「待って、エドワード。外部の人の可能性だってあるわ」


「心当たりがあるのかい、メリーアン」


 トニにそう言われ、メリーアンは頷こうとした。そこでふと、奇妙な違和感を覚える。


(……あの時、あの場所で、現場の立ち会いをしてたのって……)


「メリーアン?」


 先を促されたところで、深夜0時を告げる鐘の音が鳴った。

 メリーアンの試用期間最終日は、トラブル続きで開幕することになった。

      *

 いつもなら、メリーアンから開ける第一展示室の扉。

 しかし今日は、扉の方からゆっくりと開いた。


「……フェーブル」


 扉の向こうから現れたのは、フェーブルだった。憂いを帯びた表情で、メリーアンの前に立つ。


「どうやら君の、最後の試練の時がきたようだね」


「最後の試練……」


「クイーンより、伝令を預かっている」


「!」


 夜間警備員たち全員が息を呑んだ。フェーブルは真剣な眼差しをメリーアンに向けた。


「今、リリーベリーの魂が消えようとしている」


「嘘! そんな……!」


 メリーアンは思わず口を押さえた。


「どうして!? ララは一体何をしようとしているの!?」


 せいぜい外に持ち出して、メリーアンを誘き出そうとしているのだと思っていた。しかしリリーベリーの命に関わるような何かが、今起こっていると言う。


「私にも具体的に何が起こっているのかはわからない。しかし事態は急を要する。このままだと、リリーベリーだけではない、他の人間たちにも被害が出てしまう」


「……リリーベリーを使って、誰かが何かを仕掛けようとしてるってことか?」


 エドワードがそう問いかけると、フェーブルは頷いた。


「いや! そんな、リリーベリーが、クロムウェル領のみんなが、危険な目にあうなんて! 全部私のせいだ……!」


 ララに土下座して謝ればよかった?

 奴隷みたいに、二人のそばでずっと働いて、領地を守ればよかった?

 どうすれば、どうすればこんなことにならなかったの……!

 メリーアンがパニックに陥っていると、突然肩を掴まれた。見れば、エドワードが鋭い目でメリーアンを見つめていた。


「落ち着けよ。まだそうなるって決まったわけじゃねぇだろ。リリーベリーも、まだ生きてんだろ?」


「ああ。今ならきっと、まだ間に合う」


 フェーブルが頷く。


「もしクロムウェル領地で何かが起こってんなら、ボンクラとはいえ、あの領主が何も気づかないとも思えない。私兵たちも優秀だと聞いている。とにかくあんたは、あんたが信じる領民を信じろよ。後悔なら後で死ぬほどすればいい」


「!」


 その言葉で、メリーアンの脳裏にユリウスや、クロムウェル騎士団の団員たち、そして何よりあの土地に住む領民たちの顔がよぎった。


(……そうだった。あの土地は、普通の土地じゃない。そしてそこに住む人たちも)


 長年、ミアズマランドとして、魔物や疾病と戦ってきた。クロムウェル領民の根性たるや、と言われるほどに、彼らの生命力は強い。ちょっとやそっとのことでは、死んだりはしないはずだ。


「そうだよメリーアン。とにかく今何ができるか、考えないと。落ち込んでる暇なんかないよ」


「そのララとかいう女をギッタギタのボコボコにして、人形を取り戻せばいいんだろ!」


 トニとネクターの言葉に、メリーアンの心が少し浮上する。


「メリーアン」


 フェーブルが静かな声で言った。


「これが最後の試練だ。クイーンからの言伝がある。よく聞きなさい」


 メリーアンが頷くと、フェーブルの青い目に不思議な光が宿った。


「自分のすべきことを全うせよ」


 ──メリーアンはその目の中に、クイーンの姿を見たような気がした。


(全うする……。そうよ、決めたじゃない。何があっても、最後までこの博物館を守るって)


 メリーアンは何度も頷いて、涙を拭った。

 泣いている場合ではない。今やるべきことをやるのだ。


「でも、どうしましょう。今からすぐに出発しても、一日はかかるわ」


「空でも飛ばないと、厳しそうじゃない?」


 ドロシーのその言葉で、一行ははっとした顔になった。

 それと同時に、ずしん、と慣れ親しんだ振動を感じる。

 フェーブルがゆっくりと振り返る。メリーアンたちもフェーブルと同じ場所に視線を移した。


「やあマロウブルー。今宵のご機嫌はいかがかな?」


 フェーブルのその問いに、マロウブルー──太古の昔、大空を駆けたというブルードラゴンは、グルル、と喉を鳴らした。


     *


「いやぁああ! 落ちる! 死んじゃう! 無理無理無理!」


 メリーアンはエドワードにしがみつきながら、絶叫していた。

 十数年生きてきて、初めて感じるとてつもない浮遊間に、絶望すら感じる。


「うるせーな。意外と快適じゃねぇか。もっと寒くて死ぬかと思ってたぜ」


 能天気にそんなことを言うのは、マロウブルーの手綱を握るエドワードだ。手綱といっても、マロウブルーを吊るしていたワイヤーで作った急拵えのもので、とてもマロウブルーを制御できるような代物ではない。


「ドラゴンは非常に賢い。風を操る魔法を本能で知っている。通常ここまでの高度、飛行速度だと、冷気で凍えて死んでしまうが、マロウブルーの魔法のおかげでそうはならないのだ」


 マロウブルーを制御できているのは、メリーアンの後ろに座っているフェーブルのおかげだろう。

 普段は人間の言うことを聞かないマロウブルーだが、仲のいいフェーブルの言うことは聞く。本来博物館の展示品は外に出してはいけない決まりだが、今夜だけは特別の特別だ。急いでクロムウェル領へ向かうため、地上の道ではなく、空路を使用することになった。

 メリーアンたちは今、ドラゴンの背に乗って、満天の星の下を駆けているのだ。


「こいつ、結構賢かったんだな。いつもミルテアのことを食おうとしているか

ら、馬鹿なんだと思ってたぜ」


「ドラゴンは清浄なものが好きなのだ。きっとミルテアの持つ清廉な雰囲気に引き寄せられているのだと思う」


「清廉? 俺にはそんな空気は感じられないが」


「きっと鈍感なのだろう」


(この人たちどうなってるの!? こんな状況で、気が狂ってるとしか思えないんだけど!)


 気の抜けるような会話をするフェーブルとエドワードに、メリーアンはそんなことを思った。落ちたら死ぬような場所でする会話ではない。

 メリーアンは涙目になって、下を向かないように、必死に星に目を向けた。幸いなことに、今夜は快晴、満月と星あかりのおかげであたりは明るい。


(領地のことも心配だけど、博物館の方も大丈夫かしら)


 博物館の警備を怠るわけにはいかない為、メリーアン、エドワード、フェーブルの三名のみが、クロムウェル領に向かうことになった。


(でも、みんななら大丈夫よね)


 いってらっしゃい! と博物館の中庭で手を振ってくれた面々の姿を思い出す。


(見送ってくれたみんなのためにも、はやくリリーベリーを助けなきゃ……!)


 メリーアンは決意を新たにする。しかしガクンとマロウブルーが下降すると、その決意もどこかへ吹っ飛ぶほどの絶叫をあげてしまった。


「やっぱり無理かもぉおおおお!」

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