私の英雄


「ねえ、聞いてもいい?」


「なんだ?」


 天球儀をいじりながら、エドワードが頷いた。


「エドワードは、どうしてあの博物館で働いているの?」


「……」


 みんな、フェアリークイーンに選ばれたから、ただあの場所にいるのだと最初はそう思っていた。

 けれどメリーアンは、次第にあの博物館での仕事を通して、別の気持ちも芽生えてきた。もっと妖精のことを知りたいと思うようになったのだ。クイーンに選ばれたからではない。メリーアンがやりたいと思ったから、この仕事を続けている。

 

 エドワードは机に腰をかけてしばらく黙っていたが、自嘲気味に微笑んだ。


「……ここに来る前、俺は戦争の最前線にいた」


 アストリアの英雄と呼ばれる彼のことは、メリーアンだってよく知っている。

 大怪我をして引退したということも。


「魔導士たちが戦場に立つのは宿命だ。王子である俺が、戦場に立たないわけにはいかなかった」


「エドワード……」


 話すのが辛ければやめてもらって構わない。

 そう言ったが、エドワードは肩をすくめて大丈夫だと言った。


「こんな性格だけどよ、あんまり向いてなかったみてぇだ」


 ──俺は人を、殺しすぎた。


 エドワードはそう言って、自嘲気味に笑った。


(……でも誰かがやらないと、アストリア人が殺されていたわ)


 これは防衛戦争だ。

 守るための戦争なのだ。

 だから正義はアストリアにある。


 けれどエドワードは、人を殺すことと正義に、次第に矛盾を感じるようになっていったという。


「同じ人間なのに、どうしてこんなことをしなくちゃいけないんだって思ってたら、思いっきり攻撃をくらって死にかけた」


「……怪我は、大丈夫だったの?」


 メリーアンはてっきり、管理人に選ばれたから、大怪我をして魔導士を引退するという嘘をついていたのだと思っていた。

 出会ってから今まで、こんな風に動き回っているのだ。大きな怪我はないはずだが、メリーアンは思わず身を乗り出して聞いていた。


「体にはもうそんなに問題はない。が、マナを制御する器官がぶっ壊れた」


「それって……」


「魔法は使えるが、もう細かいコントロールが効かねぇ。人を殺すような大掛かりな魔法しか、もう使えないってこったな」


 エドワードはそう言って、メリーアンの持っていたカップを手に取った。


「氷炎の魔導士なんて呼ばれていたが、そうじゃない。俺は温度を操ることが得意な魔導士だった」


 カップに手を向ける。

 が、次の瞬間カップは弾け飛んでしまった。


「きゃっ!?」


 カップの破片と、凍ったコーヒーの欠片がバラバラとエドワードの前に落ちる。


「……もうだめだ。うまく冷やせない。過冷却でこうなっちまう」


「びっくりした……」


 俺におあつらえ向きの体になったってことさ。

 とエドワードは笑った。メリーアンは笑わなかった。


「……怪我の療養中、たまたま訪れたあの博物館で、クイーンに管理者になるように言われた。色々参っていたから、飛び付いちまったよ」


「……クイーンは、なんて言っていたの?」


「素質があると。ただそれだけだ」


 エドワードは肩をすくめた。

 

「あんたに偉そうに説教垂れたが、俺にはそれを言う資格はなかったのかもしれないな。戦争から逃げるために、この博物館に来たんだから」


「……」


 職員室に沈黙が落ちた。

 静かな部屋の中。夕日が二人を包み込む。

 メリーアンは気付くと、エドワードのそばに立って、彼の手に触れていた。

 エドワードは驚いたように、少し目を見開く。


「少し切れてるわ。私のために、わざわざ実演なんてしなくてよかったのに」


「……そっちの方が分かりやすいだろ?」


「だめよ。自分を傷つけるようなことをしちゃダメ」


 メリーアンは持っていたハンカチで、その血を拭った。


「あなたは英雄よ。自分を大切にしなきゃ」


「……バカ言うなよ。そんなんじゃない」


「違うわ。私の英雄なの」


 そう言うと、エドワードは首を傾げた。

 その姿がどこか子供っぽくて、メリーアンはくすりと笑ってしまった。


「だってエドワードは、いつも私を助けてくれたからね」


「そんなことで? えらくちっぽけな英雄だな」


「ちっぽけなんかじゃないわよ」


 メリーアンはエドワードを見上げた。

 ふと、彼はこんなに背が高かったのかと、今になって気づいた。


「あなたは自分の役割をよくわかっている。私だって、辛いことから逃げるために最初は仕事を引き受けた。でも次第に変わっていった。エドワード、あなただってそうでしょう。あなたは一番、この仕事のことを理解しているのだもの」


 この博物館を守ることは、歴史を守ることだ。

 エドワードはそれを一番よく理解している。


「私なんかの言葉じゃ、あなたの心の奥底までは届かないかもしれないけど……それでも、覚えていて欲しい。私は、あなたを肯定すると」


「……」


 エドワードの泣き笑いのような顔に、メリーアンは胸が締め付けられた。

 彼を抱きしめたいと、そう思ってしまう。


(私は……彼を……)


 ……分からない。まだ。

 芽生えかけているその感情に、メリーアンは気づいていなかった。


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