リルレナとレジェ

 アストリアは多神教国家だ。

 神の数だけ神殿があり、信仰がある。

 メリーアンが世話になっている〝時とアルストロメリアのクロノア〟もその神々の一柱だ。神は良き信仰者には自分の力を分け与える。神聖術と言われるそれは、信仰の厚いプリースト以上の階級の者でしか、発現させることができない。神が分け与えた最上級の力を持つのが「聖女・聖人」だ。


「レジェはリルレナに仕える神よね?」


「そうだ」


〝純真とコスモスのリルレナ〟は聖女ララを排出した神の名だ。

 ララはリルレナに仕える聖女だった。

 リルレナは美しく純粋無垢な少女神で、疑うことを知らない。そんな彼女を守るために生まれたのがレジェだと言われている。


「私、正直なところ、リルレナもレジェも、どういった教えがあるのか、よく知らないのよ」


「だろうな。あのあたりの神は実際に信仰を持たないとその教義がわからないそうだ」


 例えばクロノアの教えの中には、〝時は道。心は色〟と言われる有名な教えがある。

 人は時間という道を歩く中、悲しみや怒りと言った感情を抱く。けれどそれらは道の途中の風景でしかない。だからこそ悲しみは乗り越えるのではなく、時間に任せる……というものだ。

 クロノアの神殿には、悲しみを抱えた人が多くやってくる。

 メリーアンも意図せず神殿に足を踏み入れた一人だが、悲しみに押しつぶされそうになった時、その教えには何度も助けられていた。


「リルレナの神殿を統括しているのは、わずか十四才の少女らしい。俺も会ったことはないが、世間もよく知らない、本当に無垢な子どもだと聞く」


「……」


 メリーアンはララのことを思った。


(彼女……もしかして、本当に悪意がなかったのかしら)


 メリーアンの前で腹を撫で、ユリウスに甘えるあの姿。

 側から見れば嫌味としか思えない行為だが、彼女の仕える神のことを考えると、あれは本当に悪意も何もなく、純粋に自分のやりたいことをやっていただけなのかもしれない。


「で、レジェっつーのはそんな無垢なリルレナ教徒を守るためにいるような存在だ。こっちは分かりやすい。その名の通り、報われなかろうが、忠誠を貫くことこそがこの世で最も尊い行いだという教義を持っているらしい」


「……」


 メリーアンはエドワードが言いたいことに気づいて、顔を歪めてしまった。


「アリスの、ララへのあの狂信的な態度は……」


「ああ。アリスはレジェに信仰を持ったんだろうな」


 アリスだけじゃない。

 ララのそばにいるローザとかいう侍女もそうだ。

 ララはリルレナの聖女であるから、彼女の周りには必然的にレジェの信徒が多くなるのだろう。


(ん? ちょっと待って……)


 メリーアンの中に、わずかな違和感が生まれた。


(レジェは忠誠、リルレナは純真。それって、ララは……)


 考えたいのに、頭がだんだんクラクラしてきて、思考がなかなかうまく働かない。


「ただ、今回のことに王家は関係していない。アリスの独断という線が濃いだろう。だからこそ、今後も気をつけたほうがいい。レジェの信徒なら、ララのためならなんでもやろうとするだろうからな」


「私はある意味では安全だし、ある意味では安全ではないってこと?」


「……王家はお前に手を出さない。レジェの信徒は知らん。そういう意味なら、その通りだ」


「冗談じゃないわ!」


 メリーアンは顔を真っ赤にして叫んだ。


「つまりあらし、最低最悪の状況ってことらない!」


「お、おい、メリーアン、どうした……ってあんた、いつの間にこんなに飲んだんだ!?」


 空っぽになったワイングラスを見つけて、エドワードはギョッとした。


「ユリウス! あらたなんて女と浮気してくれたの!? あらし、レジェの信徒にぶっ殺されるかもしれらいじゃらいの!」


「落ち着けよ。ほら、グラスを置いて」


「嘘つき。嘘つき。結婚しようって言ったくせに!」


 メリーアンはすっかり酔っ払っていて、自分が泣いていることに気づかなかった。


「絶対絶対許さらいんだから! ヒック」


 どこか遠くで、慌てて駆け寄ってくる音が聞こえてきた。

 騒ぎを聞きつけたエイダが、部屋に飛び込んできたのだ。


「メリーアン様にお酒、飲ませたんですか!?」


「あ、ああ。落ち着くかと思って」


「ダメですよ飲ませちゃ! メリーアン様はひどい酔っ払い方をするのが大概なので……うひゃ!」


「うあああ! なぁにが聖女よ! このっ、泥棒猫ーーー!!!!」


 メリーアンの絶叫とめちゃくちゃに暴れ回る騒音が公爵邸に響き渡ったのだった。


     *


「ううう……気持ち悪い……」


 次の日。

 メリーアンは二日酔いですっかりダウンしていた。

 本来ならオリエスタに戻る予定だったが、この様子では無理だろうと、もう一泊公爵邸に泊まることになった。


「ごめんなさい、エドワード……」


 そばにいたエドワードに、弱々しく声をかける。


「もう私、この家に二度と足を踏み入れることはできないわね……」


「そんなわけあるか。俺の方がもっと酷いことをやってるさ」


 エドワードは濡らしたタオルを絞ると、メリーアンの額に置いてくれた。

 昨日はそれこそ「最低最悪」な行いをしてしまった。

 酔っ払っていたとはいえ、暴言を吐きながら暴れ回るなんて、もう二度と淑女だとは名乗れないだろう。……名乗ったこともないが。


 メリーアンは夢うつつの状態で、エドワードに尋ねた。


「ねえ、私のこと、嫌いになった?」


「全然。面白かったぜ。『この泥棒猫!』って、まさかそんなセリフ聞くとは……おっと」


 力なくメリーアンがエドワードを叩くと、クスクスと彼は笑う。


「安心しろよ。あんたの事情は知ってるから。アンバーたちもなんか察したのか、心配してたぞ」


「……」


(この人たちって、なんでこんなにいい人なんだろう)


 メリーアンはぐるぐる回る視界の中、そんなことを思う。


「……エドワードは、どうしてこんなに私によくしてくれるの?」


「それは……」


 エドワードは一瞬、言葉をつまらせる。


「私をあなたの恋人みたいにして、困るのはあなたなのに。ちょっとやりすぎじゃない?」


「……」


 エドワードは、なぜか口籠もった。

 けれどメリーアンは、微笑む。


「わかっているわ」


「え?」


「エドワードってば、博物館が大事なのよね」


「は」


 メリーアンは一人で勝手に納得していた。


「従業員が減っちゃうのは、痛いものね。大丈夫よ、私、やれるだけやるわ。あなたに借りた恩は、絶対返すから……」


「お、おう」


 エドワードは、なぜかガクッとなっていたのだった。


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