水と緑の魔法
「お嬢様、どうかお体にお気をつけて」
「ええ、大丈夫よエイダ。体だけは昔から強かったじゃない」
半泣きになるエイダの背を撫でて、メリーアンは微笑んだ。
「それより、私のせいでごめんなさい。こんなことに巻き込んでしまって」
「いいえ、いいえ! 私は自分の信念のもと、行動しました。後悔などちっともありません」
エイダは胸を張った。
「それにこんなにいい働き口を紹介してもらったんです。今よりも腕を磨いて、いつかお嬢様の侍女として戻ってきますから……!」
すっかり二日酔いから覚めたメリーアンは、オリエスタに帰ることになった。エイダを今クロムウェル領に帰すのは危険だと判断したメリーアンは、彼女を一緒にオリエスタに連れて帰るつもりだった。しかしエドワードが、安全で素晴らしい働き口を紹介してくれた。
なんと、公爵邸で雇ってくれることになったのだ。ど田舎のオンボロ屋敷の侍女からの、大出世である。
「このアンバーがしっかり教育しますからご安心ください。将来
おほほ、とアンバーは笑う。
メリーアンは頬を引き攣らせて、適当に誤魔化した。
違うと何度も言っているのに、この世話焼きな人は、全く話を聞いてくれないのだ。
屋敷のものたちに挨拶したところで、ちょうど準備を終えたエドワードがやってきた。最後の挨拶をと、馬車に乗ったメリーアンにエイダが声をかける。
「領地の方はガイたちがしっかり守ってくれていますので、ご心配なく」
「ええ、きっとそうだと思ったわ」
「ただ……」
ふと、エイダは表情を濁らせる。
「? どうしたの?」
「いえ、少し気になることが」
エイダは少し悩むような顔をして言った。
「……クロムウェル領を出る前、魔獣を見たのです」
「えっ?」
「クロムウェル領はミアズマランドでしたので、最もミアズマの影響が強い土地です。だから魔獣の生き残りがまだいるんだと思います」
「そうだったの……」
(本当に、それって生き残りなの……?)
メリーアンの心に、一抹の不安が芽生えた。
「ですが、レオンたちが頑張ってくれています。騎士団がいるなら、きっと大丈夫ですよね?」
「……ありがとう。そうね、彼らなら絶対に大丈夫」
メリーアンは自分に言い聞かせた。
そうこうしているうちに、馬車が出発する。
「メリーアン様! 手紙を書いてもいいですか!」
「もちろん! またすぐに会いましょう!」
メリーアンはお世話になった公爵邸の人々とエイダに大きく手を振った。
小さな不安を抱えながらも、馬車はオリエスタへと進む。
*
「そりゃおかしな話だな」
馬車でエイダから聞いたことをエドワードに話せば、彼は首を捻った。
「過去の資料によれば、ミアズマランドが消え去ったと同時に、魔物も消滅したとあったが……」
しかしもう数十年前の資料だ。
確実性はないかもしれない。
「……でも、ララは全てのミアズマランドを浄化したわ。それなら魔物が消えてないとおかしいんじゃ……」
エドワードは頭をガシガシと書いた。
「浄化しそびれた魔獣もいたのかもしれねぇ。何しろかなり前の資料だからな。もう少し調べさせてみるか。それと、他のミアズマランドの状況も確認しよう」
「……ありがとう、エドワード」
(ただの生き残りだったらいいけど……)
エドワードにお礼を言いつつ、メリーアンは何事もありませんように、と心の中で祈ったのだった。
*
馬車は順調にオリエスタまでの道を辿っていた。
エドワードは少し疲れたのか、船を漕いでいる。
(本当、この人が王子だなんて、信じられないわよね)
口が悪いエドワード。
礼儀正しいエドワード。
夜間警備員で、大学職員のエドワード。
(……でも、優しくて、面白い人だわ)
そう思って微笑んだところで、ポケットに入れていた鍵が熱を帯びた。
妖精たちがこちらへ来たがっているのだ。
メリーアンは扉を開けて、妖精たちを馬車の中へ呼んだ。
フェーブルとリリーベリーが、興味深そうに馬車を見回す。
その様子を見て、メリーアンは重要なことを思い出した。
「しまった! リチャードの失禁は勘違いなんだって、エドワードに説明するのを忘れてたわ!」
何か忘れていると思っていたのだ。
『黙っとけばいいじゃない、そんなの。もともとあいつらが悪いんだからさ』
リリーベリーが鼻を鳴らしてそう言った。
「でもリチャードの尊厳が……」
『メリーってほんと、お人好しね!』
「流石にあの勘違いは酷すぎるわよ」
メリーアンはそう言いつつ、二人に礼を言った。
「二人とも、あの時は一緒についてきてくれて、ありがとう。二人がいなかったら私、きっと冷静ではいられなかったわ」
『……君が無事でよかった。私はまだあの二人を許していないがね』
「フェーブル。でもダメよ。もうあんな、水をぶっかけるようなことはやめてね。みんなびっくりしちゃうから」
『ああ。もうしないよ。君が自分でやればいい』
「私が?」
『ああ。君はもう、水を自由に操れるのだから』
「……?」
メリーアンはフェーブルの言葉が理解できなくて、首を傾げた。
(そういえばあの時、水の玉が揺れたのよね)
リチャードの股間に水の玉が直撃した時のことを思い出す。
『君にも魔法が使える。どうやら私と君は相性がいいようだ。私の力を、君と共有できるようになった』
「へっ?」
魔法が使える?
どういうことだとメリーアンが首を傾げると、フェーブルが微笑んで言った。
『水の玉を作ってごらん。空中にある見えないほど小さな水滴を、手のひらに集めるイメージだ』
「……まさか」
メリーアンは苦笑いしつつ、フェーブルの言葉に従った。
(あれ? なんだろう、この感覚……)
奇妙な感覚がメリーアンの体に宿った。
うまく言えないが、メリーアンは何か、大きな力のようなものを体の中に感じた。……いや違う。メリーアンの体の中にあるわけではない。どこか別の場所にある湖のように大きな力を、自分の元へ引いてきているような、そんな感覚だ。
フェーブルがメリーアンの手に触れた。
(なんだか、フェーブルが力の使い方をガイドしてくれているみたい……)
そう感じた瞬間、メリーアンの掌に、ふわりと小さな水の玉が浮かんだ。
「! これ、は……」
『私は何もしていないよ。君がやったんだ』
フェーブルがそう言って微笑む。
キラキラと輝く水の玉を見ながら、メリーアンはだんだん夢から覚めるようにして、目の前で起こっている現象を理解し始めた。
(え? 待って、これ私がやったの? は?)
どう見ても水の玉はメリーアンの手の上に浮かんでいる。
メリーアンの動揺に共鳴するようにして、その大きさを不安定に変えていた。
『メリー、私の魔法もきっと使えるわよ! いろんなイチゴを育てられる、緑の魔法よ!』
リリーベリーが嬉しそうにそう言った。
『マグノリアもそうだった。まさか連続して、ここまで相性がいいものが現れるとは』
なぜか嬉しそうな二人をよそに、メリーアンは冷や汗をかいていた。
(そんな……私にも魔法が使える……?)
貴重な魔法が?
幼い頃からこれっぽっちもマナがなかったメリーアンが?
メリーアンの元に、遅れて驚愕がやってきた。
「ええええーっ!?」
メリーアンの叫びで、船を漕いでいたエドワードが、ビクッと目を覚ましたのだった。
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