崩壊の始まり ある使用人の独り言②

「貴族の女性が一人で飛び出すなんて、危険すぎる! なぜ分からないんだ!?」


 ユリウスの顔に混じっているのは、純粋な焦りと不安だった。


「ではなぜ、聖女様を連れてこの家に戻ってきたのですか? あなたが浮気相手を連れて家に現れ、離縁を申し出るなど、メリーアン様にどれだけ負担がかかるか、少し考えればわかることでしょう」


「それは……。でも、直接話し合わないといけないと思ったんだ」


「他に方法はいくらでもありました。メリーアン様のショックを、少しでも和らげる方法が。まあそもそもの話、あなたの緩い下半身さえなければ、こんなことにはなりませんでしたがね」


「……っ!」


 マルトーの言う通りだ。

 愛おしそうに腹を撫でる浮気相手を連れてきて婚約解消して欲しいと言うなど、悪意があるとしか思えない。しかしユリウスに悪意はないのだから、これがまた厄介だった。


 ユリウスは真っ直ぐな性格だ。隠し事をよしとしない。

 が、少々頭が足りないところがあった。

 それをメリーアンが補うという形だったから、今までこの伯爵家は存続していたのだ。


「メリーアン様にあんな負担をかけておいて、今更追いかけてどうすると言うのですか」


「ことが落ち着くまでは、伯爵家で暮らせばいいじゃないか! 女性が一人で歩き回ることがどんなに危険か、メリーアンだってよくわかっているはずなのに」


「それでもなおこの家を出たと言うことは、メリーアン様にとってそれほど、あなたとララ様のことはショックだったんですよ」


 子供に言い聞かせるようなマルトーに、ユリウスはぐ、と言葉を詰まらせた。

 マルトーは先代からクロムウェル伯爵領に仕える老年の執事だ。

 今回の件では誰よりも落ち着いていたが、その顔に悲しみと疲労がうかがえることは確かだった。マルトーにとって、メリーアンは孫娘も同然の存在だったのだから。


「しかし、メリーアン様は正しいことをしたと、私めは思っております」


「え?」


「……領内でメリーアン様のことを尋ねる、不審な人物がいたとの情報が騎士団から上がりました」


「それは一体……」


 マルトーは理解していた。

 白銀の大地を持つユリウスとララの婚姻が、どれほど重要な意味を持つのか。

 だからこそ、邪魔者・・・はさっさと排除される可能性がある。

 しかしユリウスはそれを理解していないようだった。


「メリーアン様は今、危険な立場に置かれています」


「……」


「……取り返しのつかないことなどないと、諦めない限り希望はあるのだと、私はユリウス様とメリーアン様にお伝えしてきました。しかし、こうなってしまった以上、もう後戻りはできませんな」


 マルトーの声に混じっていたのは、呆らかな失望だった。

 いつも穏やかなマルトーでも、今回ばかりはユリウスを庇うことなどできないようだった。ユリウスは、それだけのことをしでかしたのだ。


「……自分がどれほどひどいことをしているのか、わかっている」


「いいえ、ちっともわかっていません」


「……」


 マルトーははっきりと言い切った。


「あなたは、メリーアン様の命を脅かすことをしてしまったのですよ」


 そうしてマルトーは、訥々と現状を説明した。

 ユリウスの顔は次第に青くなっていく。


「騎士たちの報告の意味がわかったでしょう。誰が、とまではわかりませんが。国王派の何者かが、すでに動き始めています。ユリウス様に出来ることは、さっさとメリーアン様と離縁されることだけです」


 さもなければ、とマルトーは言う。


「メリーアン様が亡き者にされるのも時間の問題でしょう」


「……っ」


 ユリウスは勢いよくマルトーを見た。

 マルトーはため息をつく。


「屋敷の方は、メリーアン様の指示書があればしばらくは大丈夫でしょう。ですが、何も分からないような方に、ここの管理を長く任せるのは、非常に難しいでしょうな……」


 マルトーが窓の外に視線をやると、雨足は先ほどよりも強くなっていた。

 しばらくは雨が続くらしい。


 聖女ララを讃える祭も、そろそろ終わりを迎えそうだ。



 

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