閑話
崩壊の始まり ある使用人の独り言①
──お嬢様が消えた。
私たちの大事な、メリーアン様が。
*
「坊っちゃんは一体、何を考えているのかしらね」
「こんなのってないわ。辛い時も苦しい時もずっと支えてくれたのは、メリーアン様じゃない!」
「屋敷もうまく回っていないし……。結局誰が責任を取るのかしら?」
侍女頭であるエイダは、不満を漏らす侍女たちの気を引くために、手を何度も打ち鳴らさなければならなかった。
「ほらあなたたち、おしゃべりばかりしていないで、早くやるべきことをやってちょうだい」
調理場もランドリールームも、どこもかしこも下働きたちの不満で溢れている。ララがこの家に来てからというもの、ずっとこの調子だ。エイダはもう何度手を打ち鳴らしたか分からない。
「だってエイダ。
「その点については問題ないわ。各仕事場の予算も人員も、全て組まれていますから」
侍女たちは顔を合わせた。
それから、そばかすの浮いた赤毛の少女がおずおずと手を挙げた。
「あの……それは
「あの人、というのは?」
「坊っちゃんの
エイダは呆れてしまって、ため息をついた。
全く。いくらメリーアンが大事とはいえ、この国を救った救世主をそんな風に呼ぶなんて。
(とはいえ、私だって同じ気持ちなんだけどね)
それでもこの下働きたちの管理をするのが、エイダの仕事だ。
たとえ屋敷の主人の浮気相手に対してだろうが、給金をもらっている以上はやるべきことはやる。
「いいえ、この予算管理表を作ったのはメリーアン様ですよ」
「!」
そう告げれば、侍女たちは顔を見合わせてパッと顔を輝かせた。
メリーアン様の指示ならば、とようやく動き始める。
皆がメリーアンがいないと不安になる気持ちは、エイダもよくわかった。
クロムウェル伯爵家で働くものたちにとって、メリーアンは女主人であり、自分たちの大切な娘、あるいは姉だった。
屋敷の使用人たちは、ほとんどがメリーアンが雇用の機会を生み出したことによって救われた者たちだ。
だから一般的な貴族家とは違う。
騎士が忠誠を誓うように、皆がメリーアンを慕っていた。
(お嬢様がこの屋敷にいらっしゃってから、もう十年近く経つものね)
エイダはため息をついて、ふり始めた雨を眺めた。
*
メリーアンがこの伯爵家にやってきたのは、彼女が十才の頃だった。
ユリウスとメリーアンの婚約は、彼らが生まれた時に、親友であった先代同士が決めたのだという。
ところがメリーアンの両親は早くに魔物に襲われ亡くなってしまった。
そこへやってきた義父母と、どうもうまくいっていなかったようだ。
見かねた当時のクロムウェル夫妻が、花嫁修行と称して、メリーアンを引き取った。と言っても、メリーアンもユリウスも全寮制のスクールに通っていたので、帰ってくるのは夏季休暇や、冬季休暇だけだったのだが。
エイダもその時は入ったばかりの下女であったから、よく事情はわかっていなかったのだけど、とにかく当時のメリーアンは笑顔も見せず、声も出せずで、ひどい有様だった。
そんな彼女を変えたのは、先代夫婦やユリウスや、そして領民たちなのだろう。
ミアズマランドと化したこの地は人が多く死ぬ。だからこそ、人々は強靭な精神と底抜けな明るさを持ち、団結力が強かった。
男爵令嬢だろうがなんだろうが関係ない。
領民たちは落ち込むメリーアンを励まし続けた。もちろんエイダも屋敷の使用人たちもだ。塞ぎ込んでいたメリーアンは、そうして少しずつ元気を取り戻していったのだった。
月日は流れ、ユリウスが十六歳、メリーアンが十五歳の頃に二人はスクールを辞めた。伯爵夫妻が病に倒れ亡くなってしまったのだ。
ユリウスはメリーアンがスクールを辞めることを止めようとしていた。エイダには詳しくは分からないが、メリーアンは相当優秀だったらしい。
けれどメリーアンは、自身の学歴にはちっとも興味がないようだった。
『学んだ知識を役立てるのは、今でしょう?』
それから二人は、両親から継承した土地とわずかばかりの財産をなんとか守りながら、慎ましい生活を送った。
毎年多くの人々が死に、魔物対策に金を回すため、ドレスも新調できないほどの貧乏さだった。それでもメリーアンは、今が一番幸せだと文句一つこぼさなかった。
そしてやっと、ミアズマが浄化され、かつての栄光を取り戻す時が来たというのに。
……それなのに、ユリウスの隣にメリーアンはいない。
成功した男性が、それまで支えてくれた伴侶を捨てて、新しい若い女性に走ることなど多々ある。
しかしこれは、よくある、という一言でまとめ切れることではない。メリーアンはこの土地にとって、あまりにも重要な人物なのだから。
*
「だから、早くメリーアンを探さないと……!」
エイダが掃除のために執務室に入ろうとすると、ユリウスと執事のマルトーが、言い争いをしていた。と言っても、ユリウスが一方的に感情を昂らせているようだ。
エイダは部屋から出ると、そっと聞き耳をたてた。
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