第3章 妖精騎士とアリスのお茶会

神の力を借りる時

「全く、図書館では静かにするのがルールなのに」


 メリーアンは腕に本を抱えてため息をついた。

 今日も妖精のことを知るため、大学の図書館にこもっていたのだが、そこで学生らの乱闘騒ぎが起こったのだ。

 どうも意見の食い違いで殴り合いの喧嘩にまで発展したらしい。

 エネルギッシュな若者が集まるこの街では珍しいことではないが、まさか自分のすぐ隣でそれをやられるとは思わなかった。


「まあいいわ。必要な本は借りてきたし……ん?」


 クロノアの神殿近くまで戻ってきた時。


(あれ、何かしら。神殿に人が集まっているわ)

 

 ざわざわと、何やら神殿の周りが騒がしくなっていた。

 今日は何も催しものなどはなかった気がするのだが……。


「失礼。ごめんなさい、ちょっと通して」


 人混みをかき分け、神殿の前に出ると、メリーアンはようやく人々が何を見ているのか分かった。


 道の向こうから、一人の男性が必死に、荷車を引いてこちらに向かってきていた。その荷台にあったものを見て、メリーアンは息を呑んだ。


(あれは……)


 ──女性の死体だった。

 それも死後数日経過した。

 強い日差しの中運ばれてきたのか、遺体は腐り、辺りに腐臭を漂わせている。


 あたりに悲鳴が響いていた。

 数名のプリーストとハイプリーストが、急いで外へやってくるのが見えた。

 その中には顔を青くしたミルテアもいる。

 荷車を引く男は神殿の前で止まると、ハイプリーストの前で膝をついた。


「どうか、どうかお助けくださいハイプリースト。妻がお産で命を落としたのです。私は、ノーグ村から来ました」


 そんなに遠くから……。

 近くに立っていた学生が、悲痛そうに呟いた。


(ノーグ村って……クロムウェル領のすぐ近くじゃない!)


 メリーアンは青くなった。

 確かクロムウェル領の領館からオリエスタまで、馬車で三日はかかった。駿馬を走らせても一日はかかるだろう。それをあの荷車を引いて、この暑さの中、ここまでやってきたというのだ。


「妻は、たった一人の家族なのです。子どもの頃からずっと一緒だった。私には、他にもう家族はいない。どうか、どうかクロノア神の時の奇跡で、妻を生き返らせてください」


(無理だわ……)


 神殿の関係者でなくとも、わかる。

 死後数日たち、夏の日差しを浴び続けた死体は腐っている。

 そこに魂がないことは、誰が見ても一目瞭然だった。

 けれどハイプリーストは男性の手を握り、深く頷いた。


「ここまでよく頑張りましたね。もちろん、出来るだけのことをしましょう。さあ、中へお入りなさい」


「あ、あ……」


 その言葉で、がくりと男性から力が抜けた。

 糸が切れたかのように、地面にへたりこむ。

 ハイプリーストがその背を撫で、修練者と一緒に、男性を中へ運ぶ。


「ごめんなさい、ちょっとこの本持っていてくれる?」


 メリーアンは近くにいた学生に持っていた本を渡すと、プリーストたちに駆け寄り、荷車を中へ入れるのを手伝った。

 死体は空気を汚す。伝染病のもとだ。

 一刻も早く、民衆から死体を遠ざけなければならなかった。


(かわいそうに……)


 遺体はまだ若い女性だった。メリーアンより、いくつか上くらいの。毛布は血と腐った体液に紛れ、ひどい匂いがしている。

 そのすぐ横にはおくるみが置かれ、丁寧に包まれた赤子の姿があった。

 けれど女性も赤子も、もうすでにその魂はこの地にはない。


(死産だったのね……)


 メリーアンはその魂が安らかに天に登れるよう、祈るしかなかった。


     *


「お手伝いいただきありがとうございました。ご遺体のそばにいた方はこちらへ。祈りで浄化します」


 そう言って、複数人のプリーストたちが祝詞を唱える。

 会衆席に座っていると、あたたかく優しい風が、体の内側を吹き抜けていくような気がした。


 プリーストによる祈り。

 アストリア人にとって、これはなくてはならないものだった。

 ミアズマをはじめ、あらゆる伝染病の元から体を守る。

 だから必ずどこの地域にも神殿はあるし、なかったとしてもプリーストがどこかしらには常駐して、人々の身を清めていた。


 ミアズマはじわじわと体を蝕んでいく。

 蓄積されていくと、体に害がで始めるので、その前に消し去っておかねばならないのだ。


「メリーアンさん、大丈夫ですか……?」


 会衆席でぼうっとしていると、隣にミルテアがやってきた。


「遺体を見るのは慣れているわ。ミルテア、あなたこそ大丈夫?」


「はい。ショックでしたけど……」


 ミルテアはメリーアンの隣に腰を下ろすと、ステンドグラスを見上げて言った。


「出産で亡くなった女性を何人も見てきましたから、慣れてるんです」


「……」


 この国では、出産時に女性の七人に一人が死ぬ。

 産後の肥立が悪く、亡くなってしまう女性も多い。

 これは戦争によって死ぬ人々の数よりも圧倒的に多く、そのせいで現在アストリアは少子化の一途を辿っていた。子どもの産み手である女性の数が、圧倒的に少ないのだ。


 それもこれも、全てはミアズマのせいだ。

 ミアズマは母体を弱らせ、胎児にまでもその影響を及ぼす。


 だからこの国では、十分に肉体が成熟するまで、出産の推奨をしておらず、避妊の文化が発展していた。


「そう、よね。珍しいことではないわ」


「でも、今はミアズマがもうありませんから。もう少し、改善すると信じています」


 メリーアンとミルテアは、しんみりと頷き合った。

 けれどふと、ユリウスとララのことを思い出す。


 女性にとって、性行為は死へ直結する行為も等しい。

 もし子どもを孕れば、七分の一の確率で死ぬのだから。

 けれど男性にリスクはない。


 それなのに、ユリウスは避妊もせずに、ララとそういう行為をしたのだ。

 ララは確か、メリーアンと同じ十七歳だったはず。

 出産に適しているのは二十代以降と言われているので、まだ十代で体が成熟しきっていないララの、出産時死亡リスクはかなり上がってしまうことになる。

 今はミアズマがないとはいえ、ララの妊娠期間を考えると、どう考えてもミアズマが全て払拭しきれていない時期に行為に及んだはずだ。


 死ぬ可能性があるのに、避妊もしない。


 なんで今まで気づかなかったんだろう。

 メリーアンの頬に冷や汗が伝った。


(ねえユリウス。あなた、本当にララを愛しているの……?)


 











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