貧乏貴族なものですから
その日は泥のように眠って、目が覚めたらお昼を少し過ぎていた。
ぐっすり眠ったおかげか、頭はすっきりしている。
「ふあ……」
あくびをしながら遅い午餐をとりに食堂へ向かうと、どこかで見かけたような少女が、椅子に座ってパンをかじっていた。
(ん? あれって……)
見間違いかと思い、目をゴシゴシと擦る。
(そ、そうだわ。プリースティスなんだもの。在家なんかじゃないかぎり、神殿で修行しているはずよね……)
食堂でポツンと一人座っていた少女は、博物館の夜間警備員の一人、ミルテアだった。メリーアンに気づいたのか、眠そうな目をパシパシさせてにっこり微笑む。
「おはようございます」
「……おはよう」
*
この時間だと、もう食堂の昼食は片付けられている。
直接厨房にあまりものを貰いに行くらしい。
ミルテアに教えてもらって、メリーアンは厨房に残り物をもらいに行った。
戻ってきたメリーアンのトレイに乗っていたのは、豆のパンとチーズ、くず野菜と鶏肉を煮込んだスープにミルクだった。
「質素なものしかありませんが、大丈夫ですか?」
ミルテアは気遣わしそうな顔になった。
「え? 全然大丈夫よ。こういうものしか食べてこなかったし」
そう言うと、ミルテアは意外そうな顔をする。
「そうだったんですか? メリーアンさんはてっきり、貴族の方だったのかと思ったんですけど……」
やはりミルテアも、メリーアンが貴族の娘だと分かっていたらしい。
どこにそんな様子が見受けられるのかとメリーアンは疑問に思ったが、首を横に振って苦笑した。
「うちはとても貧乏だったから」
来客がある時以外は、基本的には神殿暮らしのような食事をしていた。
飢えた領民たちに少しでも食べ物が行き渡るようにと各コストを削減していった結果だった。食費を削るところまで行くと、いよいよ限界が近いのだなと思ったものだ。
「気にならないのなら良かったです。ここにいらっしゃる方は食事が合わなくて出て行く方も多いですからね」
「……贅沢ね。パンとチーズがあれば十分だわ」
そう言いつつ、ふとララは大丈夫なのかと気になってしまった。
彼女は王宮でかなりいい暮らしをしていたようだから、クロムウェル領の質素な食事は口に合わないかもしれない。
そんなことを考えていると、ミルテアはにっこりと笑った。
「実はこの神殿にいらっしゃった時からお声をかけようかと思っていたのですが……疲れているようでしたので、やめておきました」
「そ、そうだったのね」
ここに来た時のメリーアンは、今よりももっとげっそりしていたはずだ。
それを思い出すと少し恥ずかしくなってしまった。
「もう体調は大丈夫そうですか?」
「……ええ、ありがとう。治療してもらったおかげで、すっかりよくなったわ」
「それなら良かったです! 元気が一番ですからね!」
ミルテアはうんうんと頷いた。
夜間警備員たちは恐ろしい人々だと勝手に思っていたが、目の前でニコニコしている少女は、全くそんなことはないようだった。少し肩の力が抜ける。
「昨日の妖精の展示室の様子はどうでした?」
「……フェーブルという妖精にあったけど……特に何も進展はなかったわ。彼、なんだかとても落ち込んでいたみたい」
肩をすくめてそう言うと、ミルテアは頷いた。
「フェーブルさん、すっごくマグノリアさんのことが大好きでしたからね」
「フェーブルと話したことがあるの?」
「ええ。今は管理人がいませんから、媒介になる人もいなくて話せませんが、いつも面白い話を聞かせてくれましたよ。仲良しです」
メリーアンは素直に驚いた。
(やっぱりマグノリアが生きていた頃は、フェーブルはちゃんと話してくれたんだ)
「マグノリアさんは、いつもバスケットにお菓子を入れて、私が落ち込んだ時も励ましてくれました。優しいマグノリアさんとフェーブルさんは、気があったんでしょうね」
ミルテアはため息をつく。
「マロウブルーも、フェーブルさんさえいれば、落ち着いてくれると思うんですけど……」
「マロウブルー?」
「あのドラゴンの名前です。本当は、とってもいい子なんですよ」
メリーアンは顔を顰めてしまった。
「えっ本当に?」
「ええ……ちょっと甘噛みで頭を噛みちぎろうとしたり、嬉しさのあまりしっぽを振り回して博物館を破壊したりするのが玉に瑕ですけど……」
ミルテアは死んだ目で遠くを見ていた。
(苦手なのね)
メリーアンは頬を引き攣らせる。
「……フェーブルは悲しいって言ってた。それはマグノリアがいなくなったからなのかしら」
「ええ、そうだと思います。フェーブルさんはとても人間に友好的な妖精ですから、長い間ずっと一緒だったマグノリアさんを失って、悲しいのでしょう」
「妖精は……人間とは違う生き物だと思っていたわ。でも意外に、同じようなものなのね」
メリーアンは勝手に、伝説に聞く妖精たちを神様や精霊に近い、人とは交わらないものだと思っていた。でもどうやらそれは違うようだ。
「そうですね。確かに妖精たちは浮世離れしたものもいれば、私たちの理解の範疇にはいないもの、そして人間と同じような心を持つものもいるでしょう」
ミルテアは頷いた。
「他の展示物も同じです。だからこそ、私たちはその一つ一つに敬意を持って接するんです。お互いに理解し合えるように」
(敬意……)
メリーアンはマグノリアの手記の表紙を思い出した。
〝敬意を忘れずに〟
(私は……どうだったかしら?)
敬意を払ってあの妖精たちに接していたか。
メリーアンがぼうっとしていると、ミルテアが拳を握って力説した。
「クイーンに選ばれる人には、みんな素質があります。メリーアンさんなら、きっと大丈夫だと思います!」
ミルテアに励まされ、メリーアンは少し元気が出た。
「……ありがとう」
「今日も頑張りましょうね!」
今日も、か。
(本当は一日で辞めるつもりだった……けど)
色々と気になることがある。
「? メリーアンさん、どうかしました?」
「いえ……フェーブルは、悲しみを乗り越える方法があると言っていたの。それが少し気になって」
そう言うと、ミルテアは瞬きした後、眉を寄せて微笑んだ。
「ここに来る人たちの目的は、多くがそれです。たくさんの人たちが、その答えを探していますよ」
メリーアンは神殿で祈りを捧げる人々を思い浮かべた。
きっとメリーアンだけじゃない。
愛する人との別れ。死への恐怖。大切なものの喪失。
多くの人々が、悲しみを乗り越える方法を探している。
(その答えの一つをフェーブルが知っているのなら、私は彼にもう一度会って、その答えを聞いてみたい)
今晩ももう一度、彼に会いに行こう。
メリーアンはそう決意した。
*
「すみません、少ししか時間が取れないのですが、それでもわからないことがあったらなんでも聞いてくださいね」
メリーアンは博物館の学習室で、研究員の一人と向き合っていた。
妖精について調べたかったのだが、結局何から調べればいいか分からなくて、大学の図書館をブラブラしていたら、エドワードが紹介してくれたのだ。
魔法史博物館は公立なので、学芸員と研究員の両方がいるらしい。
「夜の秘密については、僕とベティローズだけ知ってるんです。ベティローズっていうのは、あの受付の女性のことね」
目の前の男性──マイルズが、照れたようにそう言った。
バウムクーヘンのような受付で微笑む、美しい受付嬢を思い出す。
二人とも、幼い頃からこの博物館にずっと関わっているのだという。
(そういえば、いつも管理人は突然訪れるって、あの人言ってたっけ……)
あの時は何のことだかさっぱり分からなかったが、今なら何となくその意味がわかる。
「さて、まずは基本的なことを知りたいんだっけ?」
「はい」
調べるにしても、まずは妖精学の基礎的な部分から学び、同時並行でフェーブルに関しても調べることにした。
「妖精学はね、まずはざっくりと、どんな感じで時代が移り変わっていくのを見た方がいいです。結末を知っておいた方が、細かいところまで理解がしやすいですからね」
そう言ってマイルズはメリーアンにもわかりやすいように、各時代の特色と有名な妖精の名を教えてくれた。メリーアンは調べる手がかりになりそうなものをメモしていく。
(一気に教えてくれる人がいて助かったわ)
自分でやれないこともないだろうが、熟知している人がいるおかけで、より早く知識を叩き込むことができそうだ。
「フェーブルについては、この書籍が一番代表的で、満遍なくいろんなことを書いていると思う」
マイルズはいくつかの書籍名を教えてくれた。
「調べ方ものをするなら、まず大学の図書館の方がいいかもしれない。博物館の資料室は専門的な書籍の方が多いんですよね」
そう言った後、マイルズははっとしたように時計を見た。
「ごめん、ワークショップの時間だ。僕はこれで……」
「どうもありがとう。本当に助かったわ」
とにかく一日目は、調べ物をする前段階の知識を詰め込むことで精一杯だった。
(こんなまどろっこしいことをしなくても、マイルズが管理人だったらよかっただろうに)
メリーアンは詰め込まなければならない知識の量に少々くらくらしながらも、そんなことを思った。
マイルズなら妖精のことをよく知っているから、彼らを嗜め、フェーブルの悲しみを癒すことができたはずだ。
(どうして私なんだろう……私なんかより、マイルズの方が、よほど詳しくて、熱心で、きっと立派にやり遂げてくれるだろうに)
どうして、ユリウスはララを選んだのだろう?
普通の貴族なんか、政略結婚なんか当たり前で、何も考えず普通に結婚するのに。
メリーアンは机に肘をついて、ため息をついた。
世の中、おかしなことばかりだ。
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