妖精騎士フェーブル

「うわぁああ! 本当に来てくれたんだっ!」


 ココア色のショートカットの少女が、嬉しそうにぴょんぴょん飛び跳ねた。


「ドロシー、ダメですよ。メリーアンさん、引いてるじゃないですか」


 プリースティスの少女、ミルテアがそれを諫める。

 

「でも、本当によかったね。妖精の部屋の管理人がいないと、何をやったってめちゃくちゃだからさ」


 メガネをかけた愛想のよさそうな青年は、トニという。

 魔導書の展示室の管理人だ。


「……フン。こんな小娘に、妖精の展示室の管理ができるのか?


 クマがひどい少年は、呪術の展示室の管理人ネクター。

 

(小娘って……どう見ても私より年下じゃない……)


 恐ろしいやら、腹が立つやらで、メリーアンは始まってもいないのにすっかり疲れてしまった。


(やっぱり来なければよかった……)


 メリーアンはため息をついた。

 結局、メリーアンは報酬に釣られて、夜間警備の仕事を引き受けてしまった。とにかくお金が必要だったし、何より動き回っていれば、ララとユリウスのことを忘れられるのではないかと思ったのだ。


「おう、メリーアン! どうした、暗い顔をして?」


「うひゃあっ」


 昨日メリーアンを救ってくれた、スキンヘッドの男──オルグに背中を叩かれ、メリーアンはよろめいた。その筋骨隆々な体を見て、いかに魔法生物の展示室の仕事が厳しいのか、感じ取ってしまう。


「おい、みんな聞け」


 最後に現れたのは、エドワードだった。

 夜間警備員の服を着たエドワードは、ゴロツキのような態度も口調も隠さない。どうやら教授職として大学に勤めているときは、猫を被っているようだ。


「妖精の展示室の管理ができるかどうか、メリーアンが試す。その間邪魔をされないように、俺たちは妖精の展示室を死守するんだ」


「はいはーい! 任せてー!」


 ドロシーがぴょんぴょん飛び跳ねた。


「俺たちは大型獣の方にかかりきりになると思う。悪いがメリーアン、妖精の展示室は頼んだぞ」


 オルグはそう言って頷いた。


「えっ! 私一人であの部屋に行くの?」


「大丈夫大丈夫、そういうもんだから」


 ドロシーがひらひらと手を振る。


「妖精の展示室は、危険なものはそんなにないと思うので、ここにるよりはマシだと思いますよ」


 ミルテアがそう言って励ましてくれたが、「そんなに」の部分が非常に気になる。


「ほら、0時になるよ」


 ドロシーがイタズラっぽく笑った。

 そしてすぐに、エントランスの置き時計がゴーン、ゴーンと午前0時を知らせた。


「!」


 その瞬間、ふわりと博物館が光る。


 ──展示物に命が宿り始めたのだ。


「さあ、仕事開始だ」


 エドワードの言葉を皮切りに、皆はそれぞれの部屋へと歩き出した。


     *


 メリーアンは一人、妖精の展示室に立っていた。

 といっても、展示室はすでに、深い森の様相へと変化していた。

 明らかに室内ではないほどの広さがある。


「キャハハッ!」


「きゃあっ」


 さっきから小さな妖精たちがメリーアンの髪をひっぱったり、スカートをめくろうとしたりとやりたい放題している。


「や、やだ! あっちに行って……」

 

 嫌がれば嫌がるほど、妖精たちは面白がって、メリーアンに悪戯をするような気がした。メリーアンは半泣きで奥へと進み出む。


「うう、やっぱり引き受けるんじゃなかった。どこに素質なんかあるのよ」


 そもそも妖精たちは、メリーアンの言うことを聞かない。

 こんな状態でどうやってこの部屋を管理しろというのか。


(あら?)


 森を適当に歩いていていると、メリーアンはおかしなことに気づいた。

 この間の草原が見つからないのだ。

 適当に歩いていたせいで、道に迷ってしまったのだろう。


(しまった。道があるから歩いてきちゃったけど、逆だったわね)


 引き返そうかと思ったが、道の先に湖畔があることに気づいた。

 そしてそのそばに、男が一人、立っている。


「!」


(もしかして、あれは……)


 メリーアンは森を抜けて、湖畔にでた。

 そしてその男の元へと近づく。


 湖畔に一人、青い髪に青い瞳をした、騎士が立っていた。

 グローヴをはめた手を腰の剣に置いて、何やらぼんやりと考え事をしているようだ。


(この人が、エドワードの言っていた協力者?)


 仕事を引き受けた時、この部屋を管理するためにはまず、最とも人間に協力的な妖精に話しかけるべきだと教えられた。

 メリーアンの仕事は、まずその者の信頼を得ることだ。


「あ、あのー」


「……」


 勇気を出して話しかけてみる。

 

(確か、暗黒戦争の時、人間に力を貸してくれたっていう、騎士、よね……?)


 ──妖精騎士フェーブル。


 その名の通り、妖精でありながら騎士道を歩む、正義と忠誠の妖精だ。

 水の魔法を得意としており、彼はいくつもの水魔法を生み出した。

 また人間にとても友好的な妖精であり、その昔、この大陸が魔物たちの侵略を受けた際に、人間と協力して戦ってくれたのだ。

 一騎当千の力は、多くの人間と妖精たちを救った。この大陸の人々なら誰もが幼い頃に聞く、妖精伝説の一つだろう。メリーアンは妖精学に詳しいわけではないが、それでもフェーブルのことは知っていた。

 この博物館でもフェーブルの人形は人気で、たまに頬を染めた女の子がじっと眺めていたりするのが微笑ましかった。


「す、すみません、えと、フェーブル、さん?」


 そう声をかけると、やっとフェーブルはメリーアンの方を向いた。

 メリーアンは息を呑んだ。

 フェアリークイーンと同じように、浮世離れした美しい顔。

 ガラス玉のように透き通ったその青い瞳に、メリーアンは吸い込まれそうになった。


「……あなたが次の管理者か?」


 フェーブルはのんびりとした口調で言った。

 低くて心地のいい声だ。

 惚けていたメリーアンははっと我に帰る。


「えっ? あ……」


 自分から協力を求めたというのに、メリーアンはその問いに曖昧に答えることしかできなかった。


(私、だって、こんなに恐ろしい博物館で働く気はないし……)


 あわあわしていると、フェーブルはじっとメリーアンを見つめた後、頷いた。


「……なるほど」


 フェーブルの青い瞳はメリーアンの心を見透かしているようで、メリーアンは恐ろしくなってしまった。


「マグノリアからこれを預かっている」


「……え?」


 フェーブルの右手がふわりと輝き、次の瞬間には一冊の本が乗っていた。

 フェーブルはそれをメリーアンに差し出す。メリーアンはそれを受け取った。紐で閉じられたその本には、〝妖精の展示室管理マニュアル〟と書かれている。


(これって……)


 束の間、メリーアンは喜んだ。

 この本を読めば、この恐ろしい展示室の謎がわかるかもしれない。

 表紙には、丸っこくて柔らかな文字でこう書いてある。



 〝敬意を忘れずに〟



(……? どういう意味なんだろう。これ、マグノリアというおばあさんが書いたのかしら)


 マグノリアは、メリーアンの前に管理人を務めていた人物だ。

 かなりの高齢だったという。

 メリーアンはパラパラとマグノリアの手記をめくってみた。


「何、これ?」


 メリーアンはがっかりしてしまった。

 そこにメリーアンの求めていたものは、何一つなかったからだ。


 〝美味しいアップルパイの作り方〟

 〝闇夜で靴を磨く方法〟

 〝薬草酒の注ぎ方〟


  ……などなど。


 どのページをめくっても、展示室の管理に全く関係のないことが永遠と続いていた。

 おばあちゃんの知恵袋、と言ったところだろうか。

 とてもじゃないが、管理室のマニュアルとは思えない。


(そういえば、ちょっとボケ気味だって言ってったっけ)


 メリーアンはがっかりしてしまって、ため息をついた。

 パラパラめくっていると、ふとフェーブルの視線に気づいた。

 顔を上げれば、フェーブルは沈んだ声で言った。


「別れほど辛いものはないな。何度経験しても、胸が引き裂かれそうになる」


「え?」


「私はもう、数百年も生きているから、悲しみを受け入れる方法も知っている」


「……」


(悲しみを受け入れる方法……)


 フェーブルは自分の話をしているのだろう。

 けれどメリーアンは、ユリウスの話をしているのかと錯覚して、一瞬ドギマギとしてしまった。


 それ以降、フェーブルは何も話さず、じっと湖面を見つめていた。

 その横顔のあまりの悲しそうな顔に、メリーアンは何も言えなくなってしまう。他人の悲しそうな顔を見るのは苦手だ。メリーアンも同じように悲しくなってしまうから。


 今日はクイーンが現れる様子もない。

 妖精たちは話を聞いてくれないし、フェーブルもぼやっとしたまま。

 でも、マグノリアと呼ばれるおばあさんは、この管理室をよく収めていたという。

 メリーアンはマニュアル本に視線を落とした。


(……)


 ……悲しみを受け入れる方法って、なんなのだろう。


 それをフェーブルに尋ねたかった。

 けれど彼はぼんやりと湖面を眺めたまま、今日は何も答えてくれそうにない。


 どうすればフェーブルは私と話してくれるのだろう。

 なぜ妖精たちは、いつもあんなふうに暴れまわっているの?

 そもそも妖精とは、一体何者なの?

  マグノリアは、どうやってこの部屋を管理していたというのだろう。


(全く知らない分野だわ。だけど)


 ──ちょっと、気になるわね。


 メリーアンの中で、むくむくと好奇心が湧き上がってきた。


     *


 結局、初日は特に何も進まず終わってしまった。

 いや、正確にいえば、管理室を出た瞬間にブルードラゴンに食われかけたか。


「お疲れ様。怪我はないな?」


 勤務前と打って変わって、エドワードは優しくメリーアンにそう聞いた。

 メリーアンは、力なく頷く。


「ごめんなさい。何にもできなかったわ」


「怪我がないなら十分だ」


 朝になると、一気に疲労がやってきた。

 夜は魔法に力で元気になっているのだという。


「その本は?」


「フェーブルからもらったの。でも何も役立つことは書いてなかったわ」


 眠い目を擦って、ため息をつく。


「お疲れー!」


「メリーアンさん、大丈夫ですか? もし怪我なんかがありましたら、治療しますので言ってくださいね」


 ドロシーとミルテアは若干の疲労が見えるが、それでも元気いっぱいという感じだった。この仕事に慣れているのだろう。

 そういえば他のメンバーはどこに行ったのかとキョロキョロしていると、トニとネクターはドラゴンに吹っ飛ばされて気絶中らしい。それをオルグが看病しているとのことだった。


「……どうもありがとう。大丈夫よ」


 とにかくベッドに潜り込みたい気分だ。

 メリーアンは大欠伸をして、朝日の登る帰路についたのだった。


 

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