美味しいアップルパイの作り方
「こんばんは……いえ、こんにちは? ここはずっと明るいものね」
メリーアンはその日も、妖精の展示室を訪れた。
相変わらず妖精に悪戯されたりドラゴンに食われかけたりと散々だったが、少しずつ慣れてきてはいる。
「やあ、こんにちは。この星は陽が沈まない。夜が恋しいよ」
フェーブルはそう言って微笑んだ。
挨拶をきちんとすれば、返してくれるらしい。
「あの、あなたに聞きたいことがあるの」
「聞きたいこと?」
「昨日言っていたでしょう? 悲しみを乗り越える方法を知っているって」
「ああ」
「それがとても気になって」
フェーブルはぼんやりと再び湖に視線を移した。
「……大きな悲しみに出会った時、人は最初、それを否認する」
「……」
「そしてなぜ自分なのかとその理不尽さに怒りを感じる。その理不尽な出来事をどうにか解決できないかと必死に交渉し、最後には諦めて憂鬱な気分になる」
フェーブルはメリーアンを見て、微笑んだ。
「でも、それを抜けると、希望が湧いてくるよ」
(それって要するに……)
「時間の問題ってこと?」
「いいや。その中のどの段階に自分がいるかを知るだけで、少しは冷静になれるよ」
メリーアンは期待していたような答えではなくて、がっかりしてしまった。
でも当たり前だ。
簡単に悲しみを乗り越えられる方法なんて、この世にある訳が無い。
記憶を失わない限りは。
「私はもう、光が見えるんだ。もうすぐこの暗い道を抜けるだろう。希望の予感に胸が震えている」
「……」
「ところで君は、今どこにいるんだい?」
不意にフェーブルは、メリーアンの瞳を覗き込んだ。
メリーアンはビクッとして、一歩引き下がる。
「……私、は」
フェーブルは、メリーアンの中にある悲しみに気づいているようだった。
「私には、君が今とても混乱しているように見受けられる」
「……とても大変なことがあったの。多くのものを失ったわ」
「それは君にとってどれくらい大変なことなんだい?」
「……残りの人生が、余り物のように感じられるくらい、大変なことだったの」
メリーアンは自重気味に笑った。
「そんな悲しみでも、乗り越えられるの?」
フェーブルは笑わなかった。
大真面目な顔で頷く。
「ああ。乗り越えられるよ。歴史は、物語は、続いていくから。出来事はその中の一つでしかないのだ」
「……」
「君は、大丈夫」
そう言われた途端、自重気味に笑った頬に、あたたかい涙が伝った。
不意に涙が溢れてくる。
(あれ、私……)
婚約解消をしてからだって、一度も泣かなかったのに。
どうして今、こんなに涙が出るのだろう。
(こんな話、聞かなければ良かった)
メリーアンは気づいてしまった。
涙が出なかったのも、この仕事も引き受けてしまったのも、全てはあの現実を受け入れられていないからなのだと。
何も考えたくなかった。だって心が壊れてしまいそうだったから。
「泣いてもいいよ。この湖は、悲しみの涙でできている」
一心不乱に走ってここまでやってきたけれど、もう我慢の限界だ。
「っく、うぅ……」
なんで。どうして。
私がこんな目に。
他の貴族は、浮気したって離婚する人なんて滅多にいなかったのに。
メリーアンは座り込むと、膝を抱えて泣いた。
昔からそうだ。泣くときは顔を見せない……。
*
どれくらいそうしていただろうか。
泣き疲れて、メリーアンは地面に座り込み、ぼーっとしていた。
(この人、まだいたの)
メリーアンは驚いた。
フェーブルもメリーアンの隣に腰を下ろしていた。
(……人間みたい。困ってる)
フェーブルは乱れたメリーアンの髪を、指ですくって整えてくれた。
「困ったな。私は、これをしてはいけないのに」
「……?」
涙を流すと、心に蟠っていた苦しみが、溶けてなくなってしまったような気がした。気分がスッキリしている。
「受け入れられないなら、そのままにしておくといい。私はいつもそうしてきた」
誰かにそう言ってもらうことがこれほどにも救われることなのか。
「……ありがとう」
メリーアンは心からの礼を言った。
*
「よし。やるわよ、メリーアン!」
メリーアンは下ろしていた髪を一つに結ぶと、目の前に並んだ大量の資料に目を通し始めた。
(才能があるのかどうかなんて知らない。でも私、もっと妖精のことが知りたいの)
──その日の昼。
メリーアンは大学の図書館にいた。学生たちに紛れて妖精に関する資料を集めていたのだ。単純に、もっと妖精やフェーブルのことが知りたいと、そう思ったから。
(フェーブルは最も有名な妖精の一人だわ)
フェーブルは長い間活躍した騎士だから、資料は豊富にあったし、彼のことを調べていくうちに、自然と妖精たち全般に関することも頭に入っていった。
最も重要なのは、「妖精と語る エヴァ・エレジア著」の次の一文ではないかと思う。エヴァ・エレジアは妖精の研究家だ。
〝妖精は皆、自己の唯一性を認識している〟
「自己の、唯一性……」
メリーアンがそうであるように、妖精たちもまた、自分が世界で一つということを認識しており、個を尊重しないものを嫌う。
特に小さな妖精たちは視認性の低さからひとまとめにされがちだが、一人一人に名があり、性格があり、自己意識がある。また体は小さくとも、その身には膨大な魔法の力を宿すこともあり、個体によって魔法の特性が違う。
「つまり、人間と一緒ってことね」
他にも文献をあたってみたが、確かに同じようなことが書いてあった。
何よりも、マグノリアのマニュアルだ。
あんなふうにいうことを聞かないのは、メリーアンの礼儀が足りなかったせいかもしれない。
初めて会う時、どうするべきか?
「……まずは挨拶をして、自己紹介からすべき、よね」
突然やってきた余所者が、あっちにいって、と叫んだり、何も言わずに自分たちの土地を踏み荒らすのは、礼儀の欠片もない行為だ。
向こうからすれば、無礼者はメリーアンの方だったのだ。
ミルテアの言葉が頭によぎる。
──だからこそ、私たちはその一つ一つに敬意を持って接するんです。お互いに理解し合えるように。
彼らは誇りを持っていた。
それなら、メリーアンもそれに倣うべきだろう。
(私、自分のことばかりでいっぱいいっぱいになっちゃって雑な対応をしていたけれど。私の事情が何であれ、他者に雑に当たっていい理由にはならない)
メリーアンは急に恥ずかしくなった。
(私、フェーブルに一度も名を名乗ってないし、握手もしていない……)
やってしまったとため息をつく。
(どうすれば仲良くなってくれるのかしら)
ペラペラと資料本を眺めていくうちに、妖精たちに共通していることを見つけた。
──妖精は甘いお菓子を好む。話を聞いてくれない妖精がいるなら、お菓子を手土産にしてみるといいだろう。
メリーアンも仲良くしてほしい人の元には、確かに手土産くらい、持っていくかもしれない。
(案外、これが答えかもしれないわ)
──マグノリアさんは、いつも甘いお菓子の入ったバスケットを持っていました。
ミルテアが言っていた言葉を思い出す。
(じゃあ……フェーブルは何のお菓子が好きなんだろう?)
そう思ったのは単純に、仲良くてほしかったのもあるが、フェーブルには話を聞いてくれたお礼をしたいと思ったからだ。
さらに資料を読み漁ると、意外と簡単にフェーブルの好物は見つかった。
「フェーブルと仲直りのお菓子……」
フェーブルと仲の良かった人間に、ワンダという女性がいた。
二人はとても仲が良かったが、一度だけワンダは、フェーブルと交わした大切な約束を破ってしまい、フェーブルを失望させた(とワンダは思っていた)。
ワンダはフェーブルの好物であるりんごのお菓子を手土産に持っていき謝罪すると、彼は笑って手を差し伸べたという。
「うーん」
惜しい。肝心なところが書いていない。
メリーアンは腕を組んで首を傾げた。
「リンゴのお菓子ね……」
ふと、メリーアンは持ってきていたマグノリアのマニュアルが目に入った。
一番大切なことを、マグノリアは表紙に書いた。
ではその次に大切なことは、どこに書くだろう?
「……」
(もしかして)
メリーアンはマグノリアの手記を引き寄せると、一番初めのページをめくった。
〝大切な人への手土産に 美味しいアップルパイの作り方〟
メリーアンの顔に、希望が広がった。
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