奇妙な夜


 メリーアンは夢を見ていた。

 幼い頃の夢だ。


「どうしてみんな、わたしを置いていってしまったの……?」


 メリーアンの両親と弟は、メリーアンが五歳の時に、屋敷に侵入した魔物に食い殺されて亡くなってしまった。風邪をこじらせて病院に入院していたメリーアンだけが助かったのだ。

 いや、それは助かったと言えるのだろうか。

 こんなに悲しい思いをするのなら、いっそみんなと一緒に行きたかったと、幼いメリーアンは泣いた。


 メリーアンの悲劇は、それだけではなかった。

 父の爵位と遺産、そして領地は、父の弟に渡った。そしてメリーアンも、引っ越してきた叔父一家と共に、そこで暮らすことになったのだ。


 叔父と、継母、そして一つ下の義妹。

 突然転がってきた貴族夫人という立場と大金に目がくらんだ継母は、メリーアンを差し置いて、自分や娘のために高価な宝石やドレスを買い漁った。


「お、おねがい、かえして! それ、お母様の形見なの!」


 継母は母の形見をほとんど売り払い、そのお金でまた新たなものを買い漁っていた。

 中でも母が大好きだった妖精のブローチは、メリーアンが大切に保管していたのに、結局継母に見つかって取り上げられてしまった。


「まあ、わたくしを泥棒扱いするの? 本当に躾のなっていない、生意気な娘だこと!」


「痛い! やめて!」


 継母は気に食わないことがあるたび、鞭でメリーアンを打ったり、物置に閉じ込めたりした。義妹はそういう母親を見て育ったからか、メリーアンの物を盗んだり、意地悪をしたりするのが当たり前になっていた。叔父もメリーアンには興味はないようで、二人の非道な行いを諌めてもくれない。

 幼い頃は明るくておてんばだったメリーアンも、そういう仕打ちに耐えるうち、少しずつ口数がへり、生来の明るさを失ってしまった。

 

 それからクロムウェル伯爵家に救われるまで、メリーアンはあまり幸福とはいえないような幼少期を過ごしていたのだった。


     *


「……っ」


 はっと目を覚ますと、見慣れない天井が視界に入った。

 走った後のように、呼吸があらい。びっしょりとかいた汗を拭って起き上がる。


「ここ、どこ……?」


 目の前の光景に、メリーアンは首を傾げた。

 見たことのない景色だったのだ。

 小さな部屋に、いくつかのベッドが置かれている。ツンとしたこの匂いは、消毒液の匂いだろうか?

 部屋にはメリーアン以外誰もいないようだった。


「そうだ、私、倒れちゃって……」


 銀色の髪の男性と話している途中で、意識を失ってしまったのだ。

 かなりの時間眠っていたような気がする。

 メリーアンは慌てて靴を履くと、外へ出るドアを開けて廊下に出た。


「!」


 窓から見える空には、すっかり月が登っていた。もう真っ暗だ。

 

(随分長い時間、眠っていたのね……)


 しんとした廊下。

 ドアを振り返れば、〝救護室〟とプレートに書いてある。どうやら倒れたメリーアンを誰かがここに運んでくれたらしい。


(ここ、博物館の中よね? もう誰もいないのかしら)


 お礼と謝罪をしてここから出たかったのだが、近くに人がいる気配がない。というか、現在位置がさっぱりわからない。

 目を細めると、廊下の向こうにバウムクーヘンのような受付が見えた。

 

「あれは……エントランス?」


 ひとまず玄関まで出ればどうにかなるだろうと思って、メリーアンが歩き出した時。

 何か光るものが、メリーアンのすぐ後ろを横切ったような気がした。風で髪が僅かに揺れる。


「っ!」


 思わず振り返る。

 けれど後ろには誰もいない。


(気のせい……?)


 キョロキョロしていると、今度は頭上から、女性の甲高い笑い声が聞こえてきた。


『キャハハハハ!』


「うわっ!? 何!?」


『随分と若いわね! 次の管理人は小娘ってわけ!』


「あなた誰!? どこにいるの!?」


 からかわないで! と叫んで振り返っても、誰もいない。


(でも、でも! 絶対に誰かいる!)


 メリーアンは真っ青になった。

 恐ろしくなって、薄灯のついたエントランスに向かって走り出す。


「っすみません! 誰かいませんか!」


 ホールに入ると、メリーアンはあれっとなった。

 ホールに出ると思っていたのに、そこは野外だったのだ。

 だって天井がなくて、空が見える。そして空に浮かぶ幾千もの星。薄灯だと思っていたものは、あの星の光だったのだ。


 ……いや、違う。


 あのバウムクーヘンのような受付もあったし、壁もある。

 それぞれの通路につながる扉も。

 メリーアンは混乱してしまった。

 突然、ホールの天井が抜けてしまったということ?


「私、まだ夢を見ているの? それとも気が触れたのかしら……」


 不意に、メリーアンは恐ろしいことに気づいた。

 天井が抜けているのではない。天井が本物の空のように、変化しているのだ。

 そして、天井から吊るされたドラゴンの骨格標本が消えていた。

 ワイヤーだけがぶらりと宙にぶら下がっている。


「……」

 

 ──……ドシン。


 重量感のある音と同時に、床が揺れた。

 音をした方を見れば、奥の廊下に恐ろしいものが見えた。


「ひっ」


 腰が抜けそうになった。

 廊下の奥で、金色の目がギラリと輝いている。

 

「あ、あ……」


 奥にいたのは、間違いない、天井に吊るされていたドラゴンだ。


(展示物が動いている!)


 凄まじい咆哮が上がった。

 ドラゴンがメリーアンを見つけて、舌なめずりした。

 それから勢いよくこちらに向かって走ってくる。


「いやぁああ! 来ないで!」


 慌てて走り出そうとするが、足がもつれて思いっきり転んでしまった。

 そんなメリーアンに、青いドラゴンが勢いよく突っ込んできた。

 古にいたと言われるブルードラゴンは、その鱗が全てサファイアで出来ているという。


(あの話って、本当だったんだ……)


 ドラゴンの大きな口を目の前で見て、呑気にそんなことを思ってしまった。


 

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