第9話 あの百合に誓った

「リリアーネ!」


 報告を騎士団で聞いた俺は、副団長から許可をもらった上でリリィの元へと早馬に相乗りして向かった。

 リリィは「グレイス・ハート」での話の通り、アインホルン公爵邸で留守番だったらしい。

 親父が配属した護衛隊への挨拶は後回しに、公爵家の使用人の案内でリリィの部屋に入る事が出来た。

 俺を目にしたリリィはベッドの縁に座ったまま今にも泣きそうなのを堪えた顔で、その手には家族の写真が握られている。


「エデ、ル……お母様は、お母様はご無事なの?」

「俺は、治癒魔法でなんとか一命は取り留めたって聞いた。まだ意識は戻らないけどそのうち戻るって」

「──そ、そう」


 リリィの瞳からぽろりと涙がこぼれて、声を抑えながら家族の写真を胸に抱いた。紺色のワンピースを着ただけの彼女は、どんな思いで母親の事を心配していたのだろう。

 使用人、特にリリィ付きの侍女達が「お嬢様の元へ」「こちらでございます」と俺を呼んだ時の声はどこか悲痛だった。自分達ではどうにも出来ない、そんな叫びだった。

 俺は、リリィの隣に座る。


「リリィ。俺しかいないから、わんわん泣いていい。俺はリリィの幼馴染だから、淑女らしくなんてしなくってもいいんだぞ」


 ハッとこちらを見るリリィの瞳は、迷いに揺れていた。俺は言葉を重ねるんじゃなく笑うだけにして、リリィを見つめる。

 リリィは眉をくしゃりとさせて、俺に抱きついた。


「わたし。お母様、居なくなったら、って、怖かった。お母様ね、お父様とお出かけ、楽しみって、笑ってて、なのに、いきなり、っ」

「……リリィ、大丈夫。公爵と夫人は騎士団が今も守ってる。俺もリリィの側にいる。今夜はこのまま泊まらせてもらうけど、明日の朝一緒にお見舞いに行こう。リリィも会いたいだろ?」

「うん、お父様とお母様に、会いたい」

「ならちゃんと寝て、リリィの元気な姿を見せような。ふたりで一緒に」


 リリィの肩に優しく触れて、ゆっくりと開いた扉の先の侍女に頷いて入室を促した。まだ泣いているリリィに着替えだってさ、と声をかけると名残惜しそうに離れられる。

 ちょっとしょんぼりとした顔もかわいいなと思いつつ、俺はその部屋から出た。するとリリィの教育係であり公爵家の使用人の筆頭執事(俺はリリィに倣ってじいやさんと呼んでる)が俺を迎えてくれた。


「エデル様、此度はありがとうございます」

「じいやさん……もしかして、あの話聞いてます?」

「無論、旦那様と共にお聞きしてございます。エデル様が今回の件を予知夢でご覧になったと」

「ただの夢だったら良かったんですけどね」

「とんでもない。奥様が早急に助かり、怪我で済んだのはその予知夢のおかげです。それに、お嬢様の涙を受け止めていただいて……我々使用人に甘える事をしないようにと考える方ですから」


 その言葉には俺も同意する。身内やうちの家族や親しい相手には感情を見せてくれるリリィだが、使用人や領民には、感情を爆発させるような真似はしない。アインホルン公爵家の、宰相の娘として、心優しくも責任を持った子だからだ。

 けれど、と俺は思う。


「本来こういうのは婚約者である第一王子殿下の役目かと思いますけどね。俺は幼馴染だから身内を訪ねるようなもの、ですが」

「……一緒にいらした騎士の方からお聞きしました。アインホルン公爵家に向かう馬に自分を乗せてくれと副団長様におっしゃったと。旦那様もエデル様に自分の代わりに傍にいて欲しいとおっしゃったとも。だから、今回はこれで良かったのです」


 公爵にもやっぱり話が回ってたかと思いつつ、そんな言葉が添えられていたのかという驚きが勝った。

 家族ぐるみの付き合いだけど、俺はリリィの婚約者じゃない。「グレイスハート」の話の通りになるのならリリィの護衛にはなるだろうけど、それでもリリィと離れなきゃいけない時は来る。

 彼女にとっての味方が居なくなった時が、白百合が黒百合に変わってしまう瞬間なのかもしれない。


「エデル様、これは私の身勝手な願いでございますが……どんなに離れても、お嬢様の味方でいてくださいませんか」

「じいやさん、それは」

「ええ。国王陛下がお認めにならないやもしれません。ですが、お嬢様が同年代の異性で対等に話せる相手はエデル様だけ……ですから、お嬢様を真にお守りください」

「……もし彼女を異性として好きになったら、認められませんよ」

「エデル様なら例え遠方でも、リリアーネお嬢様の為に走ってくださるでしょう。だから旦那様は貴方に託してくださったのです。異性として好意を抱いていたとしても、お嬢様の事を第一に考えてくれる貴方に」


 俺は、買い被りすぎだろ、と思った。けど「グレイスハート」のエデルも、前世のも、今の俺も、きっとリリィに何かあれば彼女の味方になる。それは変わらないだろう。

 ──だからエデルは攻略対象外なのかもしれない。


「公爵様に伝えてください。許される限り、彼女を陰から支えさせてください、と」


『俺は、お前達の仲間になんかならない。お前達の温情で赦されようとも思わない』

『何故なら』


「俺を、リリアーネ・アインホルンの騎士にさせてください」


『生涯を、あの百合に誓ったからだ』


 「グレイスハートゲーム」での言葉が、意味が、今しっかりとこの身に刻まれた。

 ああ、きっと今の俺に足りなかったのはこの俺だ。リリアーネという少女と真に付き添った俺だ。


「──しかと、お届けいたしましょう」


 恭しく頭を下げるじいやさんは、とても嬉しそうだった。

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