第87話 風景と登場人物

 子どもの頃のこと、白紙をみるとワクワクしていました。まだ、なにも描かれていない画用紙なんか(八つ切りより、四つ切りのヤツなんか特に)やばかったです。「なんでも、これから自分の思う通りにできるじゃん」と、図画工作の時間に画用紙を渡されようものならテンション爆上がりでした。


 冬――。はじめて雪の降り積もった朝の真っ白な景色。キレイですよね。この完璧にキレイな景色を自分の足跡で蹂躙するんだ〜っていう感覚(ある種サディスティックな快感?)と似ているかもしれません。白紙はわたしに「なにを描いてもいいんだよ」と語りかけてくるようです。


 絵が好きでした。

 いまも好きで展覧会とか見に出かけます。いまは画面を通して画家が伝えたいことを読み取るような絵の見方をしてしまいます(いまはそれが楽しい)が、子どもの頃は単純にそこに描かれている光景の美しさが好きでした。


 静物や人物が描かれたものより、風景画が好きでした。人物画にはその人の情念が、静物には作者の意図がそれぞれ入り込んでしまう。子どものわたしにはそれが煩わしかったのでしょう。人間が怖かったのかもしれません。図画工作の授業でも「友だちを描こう」という課題は苦手で、写生が得意でした。


 人間を描くのはいまでも苦手で、わたしの小説に出てくるキャラクターたちはどこか紋切り型というかテンプレをなぞっているだけのことが多いように思います。仮面を被っていて、顔がなく、影のような。わたしが描きたいのは、風景のような登場人物キャラクター。誇張なく、ありのままそこにいながら唯一無二。現実の人がじっさいにそうであるように物語の中に写し取りたい。それは難しいんですけど。


 小川洋子さんの短編集『約束された移動』を読んでいます。小川さんの小説には完璧に物語の一部となった人物が描かれてます。物語と不可分なんです。その人物だけを取り出し、キャラクターとして存在できるかというとそれは無理、みたいな。個性がないのかというととびきり個性的な人たちばかりなのに。


 それは、実際の人間というものもきっとそういうもので。自分の人生の中でのみ、その人としていられる――人生ストーリー人物キャラクターは不可分、それは風景画の中に描かれる人が描かれた風景と分かち難いように。




 ……なんてことを考えている真夜中です。

 絵を描く小説はよく書くんですけど、実際に絵を描いたことは30年以上ありません。描いてみようかな。いまでも白紙を手にするとワクワクするんでしょうかね?

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