第38話 感想返し その1

(第37話の続き)


まずは、指摘その1に関する藤光の感想返しです。


① 主人公の心情を言語化しない/するのバランスが悪い。


 フィンディルさんが指摘した最初の点は、感想を依頼した「いなくなった妻とわたしと息子」では、主人公の心情面の描写のバランスが悪く、そのちぐはぐさが作品のリアリティをスポイルしている――と理解しました。


 そしてまず、作中、主人公がダンボールの剣や盾を作っていることについて、どうしてそうするのか言語化してしかるべきではないかという指摘でした。


 意外な指摘、というか、想定外の指摘でした。書くときにそんなこと考えもしませんでた。実はダンボールの剣や盾を作る――というくだりは、実体験としてうちの息子にダンボールの剣や盾を作ってあげたことを元にして書いています。


 あ、もしかしてか?


 先日このエッセイに書いた根本昌夫さんの小説指南書「実践 小説教室」のなかに――『実体験をベースにした部分ほど、丁寧に書かなければならない』と書かれた箇所があったのです。根本さん曰く、『実体験であることに甘えて表現に手を抜いたため、文章が雑になる』らしい。


 わたしにそんな自覚はなかったのですが、ダンボールの剣や盾を作るくだりは事実に基づく描写の箇所であり、そのことに甘えて手を抜いた表現になってしまっていたのです。フィンディルさんの指摘ではじめて気付きました。すごいです、フィンディルさん。これからは実体験に基づく描写ほど注意して書くことにします。


 もうひとつ、心情面の言語化をしすぎじゃないかという指摘ももらいました。作中、息子の想いに触れ主人公が再起を誓う際の心情変化を言語化しすぎている――とフィンディルさんはいうのです。


 まさに、その通り!


 この点については、作品のリアリティを損なうかもしれないなと自覚しつつ、あえてそうした部分です。


 わたしはカクヨムの読者さんを信じきれていない、ヘタレな書き手でして……。どういうことかというと、「いなくなった妻とわたしと息子」のようなリアリティを志向した単純でない小説は、カクヨムでは読んでもらえないと思い込んでいるのです。


 せっかく書くものですから、読まれないでは悲しいです。言語化されない部分が多く、読み取りにくい物語の流れを分かりやすくするために、物語の転換点を言語化して主人公に語らせた――というのが、フィンディルさんが指摘したまさにその箇所でした。


 目先のPV欲しさに日和った表現しやがって――と看破されたようで、小説書きとしてはとても切ないです……。カクヨムで読まれたいがために、作品の性質からはそうすべきでない表現を選択し、結果としてリアリティを欠いた小説が出来上がってしまっているというフィンディルさんの指摘には、ぐうの音も出ません。


 おそるべし。『フィンディルの感想』。すでに藤光はコテンパンにされています。でも、わたしの気分は悪くありません。むしろ、「オラ、わくわくすっぞ!(孫悟空風にお願いします)」という感じです。

 そして、フィンディルさんの指摘はまだまだ続くのでした。


(「感想返し その2」へつづく)

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