いつもストック・ゼロ日記

藤光

第1話 ようこそ、エッセイへ

 これやこの ゆくもかへるも わかれては

 しるもしらぬも あふさかのせき

                  蝉丸



 こんにちは、はじめまして。

 あるいは

 いつもお世話になっています。


 このエッセイを書いています(蝉丸ではなく)――藤光です。


 新しいエッセイをはじめたので、第一話は自己紹介から入ろうかなと思いましたが、たいした作品を書いているわけでもないわたしに興味のある人はいないだろ、と割愛することにしました。


 いつもの感じでいきます♪


 冒頭は、百人一首第十番、蝉丸の詠んだ和歌です。知ってますよね、たぶん。歌の意味はこんな感じ――


《これがあの、東国へ行く人も都へ帰る人もここで別れ、また、知っている人も知らない人もここで会うという逢坂の関なのだなあ》


「行くも帰るも」という句と「知るも知らぬも」という句が対になっているリズムと、すれ違う見知らぬ人同士が出逢う「逢坂の関」という掛詞が心地よい歌で、わたしは子どもの頃から大好きでした。


 関所を舞台に、人が人と会えば必ず別れがあり、別れてはまた出会いがある、という無常感を詠み込んだシブさが子供心を打ったんですかね?


 逢坂の関。子どもの頃は大阪にあるのだろうと思っていましたが、いまの京都府と滋賀県の境に設置された関所で、むかしの都人みやこびとはここから東側を「東国(荒っぽい未開人の住む土地)」と認識していたようです。逢坂の関からへ行ってしまった人とは二度と会えないかもしれないと当時の人が思っていたと分かると、この歌の持つ意味がより鮮やかになるのではないでしょうか。




 カクヨムに上げた小説やエッセイには、逢坂の関のようなところがあります。


 わたしは三年間くらい、カクヨムでエッセイを続けています。その間には、いろんな人たちがエッセイを訪れてくれました。フォローしてくれた人、たくさん読んでくれた人、心に残るコメントをくれた人、☆まで落としてくれた人、中には、わたしのエッセイがきっかけで仲良くなった人たちも。


 大勢やってきた人のなかにはずっと読み続けてくれている人がいる反面、いつのまにか姿が見えなくなった人もいて、エッセイに人がやってきて、出逢い、別れて、去ってゆくこのあり様は、現代の逢坂の関といってもいいでしょう。


 ウェブ空間における一期一会の出逢いを大切にしようと考えるのもいいし、その場かぎり、かりそめの出逢いが儚く虚しいと考えるのも、趣きがあります。


 こういう「場」を自分が提供できるとは、カクヨム でエッセイをはじめるまでは気づかなかったことです。PVは上がらず、中身も取り留めのないことを書きがちなエッセイですが、少しでもカクヨム ユーザーの逢坂の関となれるなら、書き続ける意味があるのかなと考えています。


 ようこそ、藤光のエッセイへ。

 このあと何話まで書き続けられるか分かりませんが、『いつも、ストック・ゼロ日記』をよろしくお願いします〜。

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