第19話 王太子の御前

 次の日。

 アイラはイブリン、リプリーとともに、マントを着用した正装で謁見室にいた。


 天井を見上げる。

 ドーム状になっていて、円筒形をしていた。


 上部に大きく窓がとられており、壁面には縦長の明り取り用の硝子が細くはめられているだけで、窓としての機能はないようだ。


 随分と機能美に特化した部屋だなと思うが、狙撃対策としては十分だった。


 壁面の明り取りには槍を構えた近衛兵が背を向けて立ち、出入り口には十分すぎるほどの武装兵がいる。


 上座と思しき場所にはきざはしがあり、深紅のカーペットが長く伸びていた。

 玉座に座っているのは、まだ十歳の皇太子レオナルドだ。


 後見のためだろうか。実母であり、王妃のマルガリータが斜め後ろに座っている。


 その階から伸びたカーペットの先で跪いているのはだ。


 サイラスとは王城に入った途端、神官たちによって引き離された。


 銀羽騎士団はそのまま謁見室で待機。一時間ほど待っただろうか。ついさっき、潔斎の泉から侍女に連れられ、入ってきたのだ。


 が。


(……無事、入れ替われたのかな……)


 そもそも交代する時間はあったのだろうか。打ち合わせ自体まったくできていないのに。 


 ヴェールを深くかぶり、両膝を床について首を垂れる姿は、羽を休めた白鳥のようだ。

 サイラスにもオーロラにも見える。


「美しい」

「噂は本当のようだな。まるで女神だ」


 カーペットの両脇には質素な椅子が並べられ、重臣や王妃マルガリータの親族が居並んでいる。一番上座に座っているのは宰相セオドアで、アイラは睨みつけてやるのだが、彼はいつも通り愛想よく笑いかけてきた。


 参列しているのは文官だけではない。皇太子レオナルドのための騎士や近衛兵の幹部も顔をそろえているが、こちらは下座に並ばされている銀羽騎士団と金獅子騎士団が気になるらしい。なんだかちくちくとした視線を向けられていると思ったら、アイラの拳銃だ。


「意外に小さいな」

「あれが本当に役に立つのか」


 随分と訝しげだが、みな、好奇心に満ちた表情をしているのが気になった。


(……王都にまで、すでに噂が……)


 あの銃撃戦の情報が王都に入っているのだろう。

 やはりデモンストレーションだったのだろう、と陰鬱な気持ちになる。


 サイラスも自分も騙されていたのだ。

 祖父と宰相に。ずっと。


「よい、おもてをあげよ」


 変声期がはじまったかすれた声が、謁見室に広がった。

 漣のような会話が止む。


「皇太子殿下におかれましては、ご機嫌うるわしゅう」

 すい、と聖女が顔を上げた。


「こたびは、いろいろと大変な旅路であったそうだな」


 レオナルドは椅子に堂々と座り、いたわりの声をかけた。


 その顔にはまだ幼さが残っているが、凛とした態度と、皇太子たろうとする気概が見える真剣な表情に、会場の雰囲気は非常にいい。


 初めて拝謁するアイラさえ、愛らしさと同時に上に立つ者としての器をこの少年に見た。


「なんらかの試練だったのでしょう。ですが」


 ふふ、と聖女がヴェールの向こうで笑う。


「銃弾だろうが刃だろうが、なにものも、このわたくしの足を止めることはできませんでした。ここに、聖具を」


 真っ白な腕を伸ばすと、すぐ側に控えていた女官が、イブリンから引き取った聖具の入った革鞄を掲げた。


「開けなさい」

 聖女が命じる。


 女官は床に置くと、金具を外して中を開いた。


 おお、と会場から感嘆の声が上がる。

 女官が取り出したのは、王笏だ。


 全体が金色のそれは、上部に大きなサファイアをいただき、それを金色の蔦が支える装飾になっていた。


 女官に差し出され、聖女は受け取るや否や立ち上がる。


 足音も立てずに、気品に満ちた動きで階の前まで進むと、聖女は再び跪き、王笏を差し出した。


「皇太子の御代が、末永く幸あらんことを」

「うむ」


 レオナルドは頷くと、玉座から降りて、右手でそれをつかみ取る。


 一斉に会場から拍手が鳴り響き、気づけばアイラもイブリンの隣で拍手をしていた。


 上気した顔で誇らしくレオナルドは会場を見渡し、その背後では王妃が感極まったのか、涙を浮かべている。


 聖女が跪いたまま、数歩下がろうとした時だ。


「この儀式は無効だ!」


 大音声と共に、アイラ達の背後の扉が開いた。

 ぎょっとしたように振り返ると同時に、誰もが佩刀を握りしめる。


「お控えください、シドニー公爵!」


 衛兵たちが制するが、公爵の私兵が剣をぎらつかせて押し返している。


「なにごとです、シドニー公爵!」


 王妃マルガリータが椅子から立ち上がり、扇子を握りしめた。


「王弟といえど、この無礼! 許されることではございません!」


 目元に力を込めてマルガリータは叱責を飛ばすが、シドニー公爵は一つ鼻を鳴らし、堂々と謁見室に入ってきた。


 銀羽騎士団も金獅子騎士団も、臨戦態勢を取る中、威嚇するように私兵たちがシドニー公爵を先頭に階まで進んだ。


「伯父上、なにごとです」


 レオナルドが王笏を右手にしたまま、ゆっくりと尋ねる。


「聞こえなんだか、レオナルド」


 シドニー公爵は目を細めた。瞳が収斂し、まるで爬虫類のような冷徹さを見せる。


「この儀式は無効だ、と申しておる」


 武骨な物言いと、簡易の革鎧をつけた彼の身体からは殺気が色濃く放出されていた。


「控えられませ、シドニー公爵」


 次に声をぶつけたのは、宰相セオドアだった。椅子から立ち上がり、一瞥をくれる。


「王城内に私兵を入れることは重罪。それだけではなく、王太子の大事な儀式を遮ろうとは、いかな理由があったとしても、陛下より厳しい処罰が下ること、免れませぬぞ」


「こんな儀式、なんの意味もないわ」


 シドニー公爵は言うなり、すぐ足元で跪いたままの聖女を指さした。


「偽物の聖女を連れてきて、なにが儀式か」


 どきり、と顔が強張ったのはアイラだけではない。

 イブリンは息を呑み、メイソンは硬直した。一見平然として見えるのはリプリーだけだが、彼女の目元も強張っている。


(……もう……入れ替わってるよね……?)


 ごくり、と生唾を飲み込んだ。

 ここからでは判別のしようがない。


「偽物とはいかなることか」

 レオナルドが眉根を寄せた。


「当代の聖女オーロラには、双子の兄がいるのだ」


 一気に会場中がざわめいた。

 シドニー公爵はにやりと笑うと、ぐるりと謁見室を見回す。


「これは、聖女誕生の折に同席していた産婆から直接聞いた間違いない事実だ。そして、オーロラは、体調不良やなにか都合の悪いことがあると、この双子の兄が女装をし、儀式に参加していた、と聞く」


「ば、莫迦な」

 レオナルドが目を見開き、階の下で跪く聖女を見下ろした。


「どこからどうみても、美しい女人ではないですか」

 途端に爆ぜたようにシドニー公爵が笑う。


「このようなまだ子どもも虜にするとは、恐ろしいな」


 嘲笑されたと気づいたのだろう。レオナルドは顔を赤らめ、唇を噛む。


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