第20話 聖女か偽聖女か
「その者が偽者だという証拠はございますか」
宰相セオドアが、冷たく言い放つ。
「何度も申し上げるが、これは茶番で済む話ではござらんぞ」
「それは卿が一番よくわかっているだろうに。役者だな、セオドア」
シドニー公爵が片頬を歪ませる。
「卿が今まで西の塔に、双子の兄を閉じ込め、養育したと聞いておるぞ。現に足しげく通っていたようではないか」
「西の塔は懲罰塔でございます。思想犯や政治犯が中心故、直接事情聴取をしておったまで。そのようなこと、そこの銀羽騎士団や金獅子騎士団に聞いてみれば誰もが知っております」
セオドアが顎でふたりの団長を指示した。ふたりはそろって頷くが、シドニー公爵は見向きもしない。
「お前が本物の聖女を、この王都に匿っているという知らせも届いている」
シドニー公爵の言葉に、重臣たちが一斉にセオドアを見る。
だが、彼は悲し気にため息を漏らすだけだ。
「なぜ、わたしがそのようなことを……。いったい、シドニー公爵はどうなされたのか」
「黙れ。聖女の御幸がはじまる前に、お前は王都に本物の聖女を連れ出し、偽者の……、そこの双子の兄を女装させて御幸をしたのだろう」
「なぜそんな必要があるのです」
セオドアは静かに切り返した。
「まるで本物の聖女が御幸をすれば、危険が及ぶとでも判断したかのようなお話ですが……。ああ、そうだ。この御幸は襲撃を受けたらしいですね。シドニー公爵は、その犯人集団をご存じ、ということか」
冷ややかに見つめられ、シドニー公爵は「黙れ!」と怒鳴りつけた。
「あの者は偽者だ! その偽者が行った儀式など、無効!」
大声で呼ばわるや否や、シドニー公爵は聖女を指さした。
「服を脱がせれば、男か女かわかるというものだ! 誰か!」
応じたのは、シドニー公爵の私兵だ。
跪く聖女へと、刀を抜いて近寄ろうとしている。
リプリーが飛び出す。
アイラもそれに続いた。イブリンが、背後の団員に「待機」と短く命じて、ふたりを追う。
しゅん、と空気を裂く音が聞こえ、アイラとイブリンが息を呑んだ。
聖女の肩を掴もうとした私兵の手首を断つ寸前でリプリーが剣を止めている。
「それ以上、汚らわしい手で聖女に触れるな」
リプリーが低い声で唸る。
「お前が近づいても良い方ではない」
見る者を凍らせる瞳に、私兵は動けない。数人の男たちが出方を窺っているが、こちらもアイラとイブリンが油断なく視線を走らせているため、戸惑っていた。
「おやめなさい! 皇太子殿下の御前ですよ! しかも女性に対してなにを……っ」
王妃が狼狽して悲鳴を上げた。
「下がりなさい!」
シドニー公爵の私兵だけではなく、リプリーに対しても叱責を飛ばしたが、その声を静かに遮ったのは、聖女だ。
「陛下」
鈴が鳴るような声に、会場の誰もがヴェールをかぶった、麗人を見た。
「はばかりながら申し上げます。わたくしには、なんら恥じることも隠すこともございません」
するり、と立ち上がった。
羽を休めている水鳥のような風情だったが、立ち上がるとまるで高貴な百合だ。
ヴェールの端を華奢な指でつまみ、するり、と
「その証拠をご覧いただきたいのですが」
露になった華のかんばせに、会場全体に感嘆の声が漏れる。
濡れた黒瑪瑙のような瞳。
日に一度もふれたことがないような、白磁の肌。
愁いを帯びた長い睫毛。
長い黒髪は、夜の帳をそのまま切り取ったようだ。
「あの者どもに、肌を晒すのはごめん被ります」
ゆったりと振り返り、シドニー公爵を華奢な指でさした。ついで、黒瑪瑙の瞳をすがめる。その奥に雷に似た光が浮かんだ。
「よいのです、聖女よ。そのような辱めを受けることはありません」
マルガリータが早口に言い、レオナルドが何度も頷くが、彼女は「いいえ」と冷えた声で応じた。
「誤解されたままなど……。このわたくしに、不浄の兄がおり、それが聖女のまねごとをしているなど、わたくしの屈辱。そのような耐えがたい偽りは、すぐに払しょくすることが肝要。リプリー、イブリン。それから……、その小娘」
最後はアイラのことらしい。
「来なさい。そのマントで隠して」
「承知」
リプリーが返事をし、マントを取る。意味がわからないままに、アイラとイブリンも団長に倣った。
聖女は振り返りもせずに、階へとのびる段を上がる。カーペットの毛足が長いのか、まるで足音がしない。
「アイラは右を。イブリンは左だ」
その後ろを、ぴたりとついているリプリーが小さく命じる。
言われるままに、右側に移動する。
聖女は玉座のすぐ目の前に立っており、レオナルドは気圧されたように彼女を見上げていた。その背後で、マルガリータも状況がよく読めないままではあるが、何かあれば我が子を守ろうと、腰を浮かしている。
聖女はなんの合図もなしに、無造作に肩から衣装を脱ぎ始めた。
リプリーが自分のマントを広げて、参加者の視線を遮るから、アイラとイブリンも慌てて自分のマントを外して両手で広げた。
必死に端と端を持ち、中央にいるリプリーに合わせて、できるだけ隙間なくしようとしていたら、宰相セオドアの低い声が室内に響いた。
「見てもよいのは、陛下と殿下、銀羽騎士団のみである!」
同時に、がちゃがちゃと拍車の鳴る音や靴音がする。
ちらりと背後に視線をむけると、銀羽騎士団以外は皆、こちらに背を向けていた。驚いたことに、衛兵までが俯き、あるいは顔を横に背けてくれている。
ただ。
シドニー公爵だけが、唇を噛み締めてこちらを睨みつけていた。
かちゃかちゃ、と宝石が散りばめられた腰帯をいくつも外す音と、衣擦れが何度か聞こえたのち。
「これは……」
レオナルドは絶句したあと、そのまま階を駆け下りた。
「どういうことですか!」
シドニー公爵の眼前で、怒鳴りつける。
誰もが小さな未来の君主を見た。
顔を紅潮させ、肩口から怒りを噴き出しているレオナルドは、シドニー公爵から視線を離さない。
「どういうこと、とは」
それは、どっちの意味なのだ、とシドニー公爵だけではなく、誰もが固唾を呑む。
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