第16話 この死にたがり

その後、アイラはふたりの団長に礼をして退室すると、サイラスが待つ部屋に戻る。


見張りの団員に挨拶をして、そっと扉を開けた。

薄暗い部屋に、放射状に廊下の光が差し込む。


(……眠ってる)


 ベッドの上の影は、ぴくりとも動いていない。

 アイラは、そっとうしろ手に扉を閉める。


 薄暗がりに目を慣らすため、しばらく扉の側にいた。


 耳を澄ますがサイラスの寝息やみじろぎする音などは全く聞こえない。


 徐々に不安になり、アイラはベッドに近づく。

 ベッドわきに置いたカンテラは柔らかな明かりを広げ、仰向けに眠っているサイラスの頬を照らしていた。


 だいぶん、赤みが引いている。

 定期的に上下する胸に、アイラは安堵の息を漏らした。


 ゆっくりと手を伸ばし、首筋にあてたタオルを手に取る。ぬるい。水桶に放り込み、彼の首に指をあてた。


(熱、下がりつつあるかな……)


 体温が高いことに変わりはないが、こもってしまっているような感じはない。


 アイラの実家は鉄の練成もしている。そのため、夏場は灼熱の暑さだ。祖父や弟子たちは、常に暑さ対策を怠らずに作業をしていたが、年に数人はこうやって熱中症で倒れてしまう場合があった。


 そんなとき一番恐ろしいのは、熱が身体から逃げないことだ。

 体温はあっという間に血液を沸騰させ、脳を沸かせる。そして死ぬのだ。


「……アイラ?」

 す、と瞼が開き、しわがれた声でサイラスが名前を呼ぶ。


「大丈夫?」

 アイラは床に両膝をつき、サイラスの顔を覗き込んだ。


「うん。聖具は?」

 顔を横向きにし、心配げに瞳を揺らす。


「大丈夫。サイラスのベッドの真下だよ」

「そう」


 闇色の瞳を細め、サイラスは微笑んだ。


「よかった」

「動けそう?」


「うん。なに?」

「イブリン副団長が水風呂を用意してくれる、って。ちょっと浸かる?」


 尋ねるが、サイラスは形の良い眉を寄せた。


「なんかいろんな意味で嫌だ。あのひと、のぞきそうだし」

「しないよ、そんなこと」


 アイラは目を丸くするが、サイラスは口をへの字に曲げるばかりだ。


「それより喉かわいた。水ない?」


 手を突き、上半身を起こそうとするので、アイラはその背に手を添えて助けてやる。


「水より、これ飲んで」


 上半身をベッドヘッドにもたれさせたサイラスに、テーブルの上に置いていたゴブレットを手渡した。起きたら飲ませようと用意していたのだ。


「なにこれ」

 長い睫毛をぱちぱちさせたが、サイラスは迷いなく口に含む。


「熱中症の時、いつもおじいちゃん、これを……」

「うえー……、なにこれ……」


 途端に、サイラスが顔をゆがめた。吐き出すことはしなかったが、もうふたくち目、という状態ではないらしい。


「普通の水がいい」

「熱中症の時は、水よりこっちなんだって。浸透圧の関係で塩分と……」


「じゃあ、もういい」


 サイラスは持っていたゴブレットをテーブルの上に置くと、もぞもぞとまた、ベッドに寝転がってしまった。


「塩分と水分を同時にとらないと、水分だけが身体から抜けるんだよ」


 それは、祖父の持論だった。


 人間の血液には一定濃度の塩分が入っている。大量の汗をかき、水分だけではなく塩分も抜けると、水だけ飲んだ場合、血液の塩分が薄まるのだ。そこで、体は余分な水分を出そうと、尿や汗を大量に排出させようとする。


 結果的に脱水が起こり、あっけなく人は死ぬ。

 だから祖父は、熱中症をおこした弟子に、よくこの塩と砂糖を混ぜた水を飲ませていた。


「大丈夫」

 サイラスが笑って見せるから、かちん、ときた。


「ぜんぜん。大丈夫じゃないじゃん。サイラス、倒れたんだよ?」

「明日には平気だから」


「平気じゃないから言ってるの」

 アイラはゴブレットを掴み、顔を覗き込む。


「飲んで」


 よほど味が合わなかったのか、サイラスは本当に嫌そうな顔をしてゴブレットを見ていたが、ふと、アイラに視線を移した。


「しんどい」

 いきなりそんなことを言う。


「でしょうね。だから……」

「飲めないから、飲ませて」


 サイラスが意地悪く笑った。


「アイラが口移しでそれをくれるんなら、飲む」


 細くしなやかな指が、アイラが持つゴブレットを指さす。

 アイラはまばたきをし、サイラスを見た。


 白皙の頬は、うっすらと桃色で。

 黒曜石をはめたような眼は、熱で潤んでいて。

 その表情は、あっけらかんとしていて。


「ああ、そう」

 アイラは言う。 


 つん、と鼻の奥が痛い。涙が出そうだ。


 アイラの話を信用していない。

 いやそもそも聞いていない。


 きっとこの男は。

 脱水で死のうが、銃に撃たれて死のうが、どうだっていいのだ。


 死に場所だけ用意してあれば、易々と死ぬのだ。

 それがどうしようもなく悔しい。


「なるほどね」


 アイラは言うなり、持っていたゴブレットから、がぶりと中身を口に含む。ごん、と勢いよくゴブレットを机に叩きつけた。塩と砂糖が相まって、確かに独特の風味が広がる。


 アイラはそのまま、目を見開いているサイラスの両肩を掴み、ベッドに押し付ける。


 同時に、唇を合わせた。


 勢いが良すぎたのかもしれない。最早、ヘッドバッド並みの速度だった。もがこうとするサイラスをがっちり抑え込み、舌で唇をこじ開けて口内の水を流し込む。


 だが、ほとんどがこぼれてサイラスの首を濡らすばかりだ。サイラスがむせている。


 アイラは上半身を起こし、片手でサイラスを押さえつけたまま、もう片方の手で、ゴブレットをひっつかむ。


「ちょ、……、ちょ、待っ……、アイラ……」 


 むせかえるサイラスを、「うるさいっ」と怒鳴りつけ、がぶり、とまた中身を口に含む。


 ごん、とゴブレットを机に叩きつける。もがき逃れようとするサイラスを押さえつけ、また強引に唇を重ねた。


 サイラスがアイラを押し返そうと両肩を掴むが、それよりも、流れ込んでくる液体をどうにかするのが先だと判断したらしい。はねのける、というより、アイラの肩にしがみつき、必死に喉を上下させた。


「いい加減にしなさいよ」


 サイラスが飲み干し、けほけほと咳を吐く。アイラは鼻が触れあう距離で睨みつけた。


「この死にたがり」

「別に死にたがっているわけじゃない」


 サイラスが拳で自分の口元を拭う。もう、喉元や襟周りがべとべとだ。


「じゃあ、なんなの。なんで助けてって言わないの」


 言いながら、目から涙があふれてきた。漏れそうになる嗚咽を堪えたら、盛大なしゃっくりが口から飛び出す。


「なんで、生きようとしないの」


 ぼとぼと、と。目から溢れた涙がサイラスの頬を濡らす。サイラスは目を大きく見開き、そんなアイラをしばらく見上げていたが。


「ごめん、アイラ」

 言葉を絞り出す。


「謝らないでよ、死にたいくせに」

「違うよ、違う」


 サイラスが腕を伸ばし、アイラの背中に回した。


「おれのせいで、誰かが傷つくのが嫌なんだ」

「私は、サイラスが生きようとしない方が嫌だ」


 きつく言葉を吐きだすと、サイラスは泣きそうな顔をした。


「ごめん。違うんだ。こんなことさせたかったわけじゃなくて。ごめん、アイラ」


 そのまま、アイラを引き寄せる。

 アイラはぐずぐずと洟をすすりながら、サイラスの薄い胸に顔をうずめた。


「泣かせたかったわけじゃないし、怒らせたかったわけじゃない。アイラには、ずっと笑っていてほしいし、傷ついてほしくない」


「傷つけるし、泣かせるくせに」

「だから、ごめん」


 サイラスは、ぎゅっと腕に力を込める。


「おれは、君が大事なんだ」

「じゃあ、もうちょっと大事にしてよ」


 涙がぼろぼろとこぼれて、彼の服を濡らしているのが、ゴブレットの液体なのか、自分の涙なのかわからない。


「どうしたらいいのか、わからない」


 サイラスの胸に顔を押し付けているせいか、こもったような声が聞こえた。


「どうやって、君を大事にしたらいいのか……」

「サイラス自身を大事にして」


 むくり、と顔を起こし、サイラスに言う。


「それが、一番私を大事にしてることになるの。なんでわかってくれないの。ずっとそばにいてよ」


 いくつも涙をこぼしながら、アイラはゆるく握った拳でサイラスの肩を叩く。


「そういう努力をして」

「そんな……努力を……いままでしたことがない」


 サイラスは不安そうに瞳を揺らす。


「だったら、今すぐ勉強して」

 アイラは命じる。


「ずっと私の側にいるにはどうしたらいいか、ちゃんと考えて」


 サイラスはしばらく無言で彼女を見つめていたが、また腕を伸ばして捕らえ、抱きしめる。


「考える。どうしたらいいか」


 だから、とサイラスは、アイラの耳元で囁いた。


「今日は、このまま眠ってもいい?」


 うん、とアイラが頷くと。

 サイラスはアイラの額に口づけを一つ落とし、目を閉じる。


 しばらくそのままじっとしていると。

 すうすう、と定期的な寝息が聞こえて来た。


 腕が緩む。


 アイラは足をこすり合わせるようにして軍靴を脱ぎ、もぞり、とサイラスのベッドにもぐりこんだ。


 ぎゅ、とサイラスの身体に抱き着く。

 もっと彼と密着したい、ひとつになりたい。


 ぎゅうぎゅう、とサイラスにしがみつくが、サイラスは嫌がるでもなく、寝息を立てていた。


 そうやって彼の呼吸や、心音を聞いていると。

 次第に、自分も眠りの世界に引き込まれて行った。

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