第10話 彼が美しい理由
「じゃあ、する?」
「ん?」
熱い頬を両手で包んで熱を下げていたら、サイラスがそんなことを言う。
視線を向けると、サイラスは満面の笑みで両腕を広げていた。
「なにを」
「ぎゅー」
「いや、いい」
「遠慮するなよ」
「遠慮というか」
「ほれほれ。ぎゅー」
腕を広げたまま待っている。
(えー……、っと)
しばらくためらったものの、サイラスが「ん?」と笑顔のまま首を傾げるので、ゆっくりと上半身を彼の方に倒す。
なんだか、ひゅー、どん、と倒れておでこをサイラスの胸に押し付ける感じになった。
「ぎゅー」
サイラスが言いながら、アイラの背中に腕を回した。
「ぎゅー」
アイラも言って、彼を力いっぱい抱きしめる。
「ぎゅー」
「ぎゅー」
「ぎゅー」
「ぎゅー」
しばらくふたりで交代に言いながら、抱き着いていると。
次第に笑いがこみあげてきた。
それはサイラスも同じらしい。
ふくくくく、と笑いを堪えていたかと思うと、アイラを抱きしめたまま喉を逸らせて大笑いした。
「なんだこれ」
「だって、ぎゅーって言うから」
しばらくふたりでげらげら笑った後、サイラスはアイラから腕を解いた。
「なんかおれが考えてたのとは違うぞ」
ひぃ腹が痛い、と目の端に浮かんだ涙を拭いながらサイラスは言う。
「えー、そうかな」
アイラもくつくつと笑いながら、上半身を戻した。
ふたりとも、時折間欠泉のように笑いを弾けさせた。
「なあ、アイラ」
笑いがおさまり、そして、室内を穏やかな沈黙が支配した時、サイラスがそっと尋ねた。
「なに?」
「おれのこと、好き?」
笑みを湛えたままそんなことを言うから、アイラは深く頷いた。
「好きよ。大好き」
「そっか」
サイラスは笑いながら頷き、手を伸ばして、くしゃりとアイラの頭を撫でた。
「おれも。アイラのことが好きだ」
水浴び後なので、アイラの髪はゆるく束ねて、右肩で垂らしている。サイラスはその髪先を指で弄びながら、目を細めた。
「だから、絶対に幸せになってほしい。もし危ないことが起こったら、おれのことは放っておいて逃げろよ」
そんなことを言われ、アイラはきょとんとサイラスの顔を見上げた。
背の低いアイラを見下ろしているからか、伏目がちになり、睫毛がその色を隠している。
白磁のような肌。すっと伸びた鼻筋。
昼間、美しいと思ったサイラス。
「なんでそんなこと言うのよ。私たちの腕が心配なの?」
つい、口を尖らせてしまう。
「サイラスのことを守るために、私も銀羽騎士団もいるのよ? 放っておけるわけないじゃない」
「それは知ってるし、別にアイラの腕を侮っているわけじゃない」
なだめるように言い、アイラの金の髪をサイラスが指で絡めとる。
「リプリーもいつも言っているだろう? 大切なのは勝つことじゃない。生き残ることだって」
それはリプリーが口を酸っぱくして言い続けていることだ。
ひとりでできることは限られている。誰かのために誰かがいる。
大切なのは、被害を最小限にして、生きて帰ることだ、と。
「だから、もしおれが……」
「サイラスが危ないときは、私が絶対助ける」
断言すると、サイラスは苦笑いした。
「アイラ。それはありがたいんだけど……」
「だから、サイラスは、危なくなったら私を呼んで」
「アイラを?」
不思議気に首を傾げるサイラスに、アイラは、ぶん、と大きく頷いた。
「ひとりではどうしようもなくなったら、ふたりで対処しよう。団長はいつもそう言ってるもの」
ほんの少しだけ、サイラスの瞳が大きく見開かれたような気がした。
「ふたりでだめなら、三人。三人でダメなら、逃げちゃえばいいんだし。だからサイラス」
手を伸ばし、彼の節くれだった手を握りしめた。
「なにかあったら、私を呼んで。アイラ、って」
自分をまっすぐに見つめる瞳に、アイラは真剣に言葉をぶつけたのだけど。
「……そうだな」
サイラスは、ゆるりと目元を細めて、淡く微笑んだだけだ。
「今日はありがとう、アイラ」
ふたたび頭を撫でると、サイラスは背中を向ける。
「サイ……」
呼びかけようとしたが、遮るように、彼は衝立へと移動する。湯で体を拭くのだろう。
「おやすみ、アイラ。また明日」
そう言うなり、衝立の向こうに姿を消した。
「……おやすみ」
サイラスの背中を見つめ、アイラは小さく呟く。
無性に、その背中に抱き着きたくなった。
顔を押し当て、しがみついて、サイラスに言いたかった。
どうして、私の名を呼ばないの、と。
(さっきの話の流れ……)
まるで、自分が死ぬことを予兆しているようではないか。
しかも、そこからあがこうとしていない。
だからこそ。
彼は今、一番美しいのかもしれない。
何にもとらわれず、なににも執着していない。
生物にとって一番大切な、「生きる」ということにも。
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