第7話 門を抜けて

「公爵派の中に、狙撃のできる奴はいないと聞く。だいたい、動いている馬車めがけて撃てるのは、アイラぐらいのものだ」


 リプリーが静かにサイラスに言う。


「それに有効射程距離のあたりは、金獅子騎士団が警戒にあたっている。我々も馬車の側を騎乗で並走する。盾になる。安心しろ」


 いたわりや気遣いの視線に気づいたのか、サイラスはまたたくまに、表情を変えた。


「もちろん。おれはあんたたちを信じてるし。ってか、日焼けが心配」

「折を見て、幌を出そう」


 リプリーが頷く側で、イブリンが眉根を寄せ、指を魔女のようにうごめかせる。


「日に焼けてしみになれ~。しわになれ~」

「まじ、やめろ」


 真顔で言うサイラスに、アイラだけではなく、珍しくリプリーも吹き出した。


「そんなことより、馬従者役をよろしく頼むぞ」


 ばちり、とリプリーがイブリンの背中を叩く。イブリンは「はいはい」と返事をして、馬車へと足早に向かった。彼女の足元で拍車が勢いよく鳴っている。


「アイラは馬車の後ろの立ち台で護衛を」

「はい」


 馬車の後部。幌の後ろだ。

 立ったまま真後ろからサイラスを警護する形になる。


「馬車の真下に聖具を隠している。気取られるな」

「別便で運べばいいのに」


 口を尖らせる。リプリーは相変わらず無表情のまま答えた。


「聖女と聖具は常に一緒に、との指示だ」

「……はあ……」


 アイラは何とも言えない返事をする。

 こちらの警備体制とか言い分は全く聞いてくれないらしい。


「さあ、行こう」


 サイラスは気分を変えるように明るい声を発し、神殿の階段を降り始めた。


 馬車回しまで続く、十数段の御影石の階段だ。

 その段ごとに神官や女官がおり、彼が通るたび、波のように人々が腰を深く折った。


 中には、「お気をつけて」と声をかける者もいる。


 サイラスはそのたびに、うっとりするような笑みを浮かべ、会釈をした。その笑顔を見るや、その場にいる騎兵も神官も、誰もが呼吸を忘れたかのように見惚れる。


「ど、どうぞ」


 馬車近くまで行くと、アイラと年の変わらない銀羽騎士団の団員がサイラスに手を伸ばした。


 サイラスは、やはりとろける笑みを浮かべて礼を言い、その手を取って馬車に乗り込む。


「騎乗!」


 リプリーの声が空気を鞭打ち、ようやく人々は夢から醒めたように動き始める。


 馬車は二頭立てだ。

 サイラスの手を取っていた団員は、イブリンと共に馬従者を務めるらしい。


「そこで、ずっと立ってるの?」

「そうみたい」


 サイラスに返事をし、後方の立ち台によじ登る。ついでに、足元をのぞきこんでみると、馬車のちょうど真裏に革製の箱が縛り付けられている。


(あれが聖具ね)


 確認していると、サイラスの尋ねる声が聞こえてくる。


「あった?」

「あった」


 起立の姿勢をとって返事をすると、サイラスは首をねじってこちらを見ている。


「地面に一番近いところに聖具って……。ばちあたりそう」


 誰かに聞かれてもいいように、若干声音を変えていた。まあねぇ、とアイラは苦笑いした後、顔をひきしめた。


「ねえ、サイラス。なにか変なの見たら教えて。撃つから」

「ためらいがない」


 くくくく、とサイラスが笑う。


「準備はいいか?」


 野太い声に顔を向けると、金獅子騎士団のメイソンだ。黒毛の馬を操り、白馬に騎乗したリプリーのところに近寄っていた。


「いい。出る」


 リプリーは佩刀を抜き、掲げた。銀色の刀身が日を浴びて煌めき、アイラは目を細める。


「出立!」


 応、といたるところで銀羽騎士団団員が声を上げた。それに続くのは、神官や女官たちの拍手だ。


 イブリンが一瞥を寄こしたのち、馬に鞭を打った。

 ゆっくりと馬車が動き出し、次第に加速を始める。


 アイラは振り落とされないようにしっかりと持ち手を握った。神殿内は完全に道が舗装されているが、悪路の場合を考え、アイラは少し焦る。


 何かあった時、片手撃ちしかできない。


(……まあ……。飛び降りればいいか)


 スプリングがよくきいているらしく、速さに乗った馬車は、当初ほどの揺れはない。


 だが確実に仕留めるためには、馬車から降り、射程圏内20メートル程度で撃つのが一番だ。


 あるいは、イブリンに声をかけて馬車を止めるか。

 定期的に響く足音に首を巡らせると、馬車の周囲を幾頭もの騎馬が並走している。


 銀羽騎士団だ。


(そうだ……、みんなもいるんだし)


 サイラスを守るのは、自分だけじゃない。


 銀羽騎士団と他の騎士団の決定的違いは、その構成員の性別だが、もうひとつ顕著な違いがある。


 それは、決して単騎で戦わないことだ。


 リプリーは戦闘訓練でもそれを徹底させており、敵と相対する時は、必ず複数人で行うように指示をしている。たとえ敵がひとりだとしても、だ。


 非力な女ならではだな、と揶揄られ、莫迦にされていることも十分承知しているが、リプリーは考えを曲げない。


『敵がひとりなら、こちらはふたり。三人なら、四人で戦え。囲め。いいか。生き残るため、数で押せ』


 もちろん、銃士のアイラなど、ペアがいないと確実にやられる。普通の騎士団にいれば、アイラは一番不要で、使い勝手の悪い戦闘要員だろう。


「アイラ」

 くるり、とサイラスが振り返る。


「なに」

 風でなびく髪を片手で押さえ、サイラスは前方を指さす。


「門だ」


 馬車はまっすぐ神殿の正門に向かっている。

 速度を落とさずに出るため、衛兵が数人がかりで門扉を開いている最中だった。


 途端に。

 ど、っと歓声が押し寄せてくる。


 アイラは驚いて目を丸くするが、サイラスは嬉しそうな笑い声をたてた。


「外だ、アイラ! 馬車が神殿から出る!」


 子どものようにはしゃぎ、上気した頬でサイラスは、黒曜石の瞳でまっすぐに前方を見ている。


 観衆も。

 歓声も。

 騎兵も。


 サイラスの瞳に、それらは一切映っていない。


 ただ、彼は歓喜に満ちた表情で‶神殿の外〟を見ていた。

 アイラは、ぎゅ、と強く持ち手を握りしめる。


「ほんと、そうね」

 頷き、奥歯を噛み締めた。


 自分の意思で神殿から出たことのないサイラス。

 双子だから、という理由だけで幽閉され続けたサイラス。

 彼にとっての下界は、ただただ、危険に満ちている。


「おい、銃士」


 近づいて来る蹄の音に振り返ると、黒毛の馬が最後尾から疾走してきた。メイソンだ。


「おまえごときが本当に護衛になるのか?」

 片方の口端をゆがめるようにして笑われた。


「少なくとも貴卿の剣技よりは」

「口の減らないガキだ」


 メイソンが吐き捨てる。


「あんたは、頑固じじいになりそう」


 アイラが応じると、サイラスが声を立てて笑った。メイソンがにらみつけ、馬に拍車をあてると、先頭のリプリーと並んで一気に門を飛び出した。


 聖女様、聖女様、とひっきりなしに門の外から声が聞こえてくる。


 本当に沿道は人でいっぱいらしい。

 覗き込もうとする民衆を、衛兵が警棒で押しとどめているのが見えた。


「聖女様!」

 急にイブリンが振り返り、サイラスに声を投げた。


「なに?」

 サイラスは愛らしく小首を傾げて見せる。不思議と、彼は変声期前の声が自在に出せるのだ。


「お手振りと笑顔を!」


 サイラスが優雅に頷くころに、馬車は門を抜けた。


 鼓膜が破れそうなほどの歓声とひとだかりに、アイラは仰天する。

 ところどころ金獅子騎士団の制服を着た武人が怒声を張り、民衆に対して剣を振り回して威嚇しないと、沿道に飛び出してきそうだ。


 聖女様、聖女様、と大声でわめき、指を組み合わせて祈る老若男女の前を、馬車と騎馬は駆ける。


「祝福を! みなさまに、祝福を!」


 サイラスが大きく手を振り、そう呼びかけると、感極まった老人は泣き出し、若者たちは声を上げた。


 男たちが数人、慈悲を請おうと沿道に近づき、金獅子騎士団の武人に威嚇されている。


 そんな喧騒の渦を。

 馬車は、ひた走った。


 アイラは、沿道に向かって笑顔で手を振るサイラスを見る。

 まるで天使のようだと言われ続けていた彼。

 一度見たら、もう一度、自分にだけほほ笑んでほしい、と思わせる表情。


 そう評されたが、アイラはそれがサイラスだとは思えなかった。


 アイラにとってサイラスとは、くだけた言葉で話す貴族で、幽閉されてはいるが心はいつも自由。知識も豊富で、話していて飽きない。


 そんな青年だった。


 だが。

 今、初めて彼が美しいと感じた。


 穏やかで、やさしくて、気高い。

 綺麗だとも思ったし、なにより胸いっぱいに広がったのは、愛しさだった。


 こんな往来で、人目がいっぱいじゃなかったら、彼に抱き着き顔を押し付けたい。

 そんなことを感じる。


 だが、同時に。


 その彼は虚像で。

 中身などなにもない。

 ただの〝身代わり聖女〟なのだということにも気づいていた。

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