第5話 御幸がはじまる


 二十日後のこと。

 アイラは、神殿の一室にいた。


「もうちょっと待ってね」

 異国風の衝立の向こうからはサイラスの声が聞こえてくる。


「うん。大丈夫」

 アイラも返事をし、室内を見回した。


 普段は、聖女オーロラの衣装室なのだそうだ。

 数体のトルソーがアイラも見たことのある聖女の衣装を身に着けている。

 いろんな角度から観るためだろう。やたら鏡があった。


「なんか手伝おうか?」

 アイラが声をかける。手持ち無沙汰なのだ。


「んー。今のところ大丈夫かな。ほら、コルセットがいらないから」

 衝立の向こうからは呑気な声と衣擦れの音がする。


「ああ。聖女の服って、こう……。どれーん、としてるもんね」

 アイラが応じると、サイラスが笑った。


「飾り紐はあるけど、腰をしめつけないもんね。女の人は大変だ。あのコルセット、ひとりじゃ無理でしょ」

「そうなんじゃない?」


「そうなんじゃないって。アイラは普段、着ないの? 休みの日とか」

「着ない着ない」


 アイラは笑った。


「私、貴族じゃないもん。実家にいたときも、チュニックとか、そんなん」

 銀羽騎士団は貴族の息女ばかりで組織されているが、アイラは違う。


「サイラスは貴族なんでしょう?」


 彼と初めて会ったのは、宰相セオドアを通じてだ。

 もともと、アイラの祖父はセオドアと懇意にしていた。


 武器開発者と宰相の仲が良いとは恐ろしい話だが、セオドアはよく祖父の工房に遊びに来ていた。アイラがサイラスの話し相手になったのもセオドアとの縁あってのことだ。


「おれ? まあ……、親はそうなんだろうけどなあ。おれ自身はどうかしらねぇわ」

 しゅる、と、また布地がこすれる音がする。


「そこんところ、はっきりしてないと、これから困るんじゃない?」

 近くに椅子を見つけ、アイラは座る。


「聖女が交代したら、サイラスだってずっと西の塔にいるわけにはいかないんでしょう?」


 言ってから、リプリーと会話したときの内容を思い出し、口早に付け足した。


「一般社会に戻ったらさ。平民なのか貴族なのかで、生活だいぶん違うし」

「そうだろうなぁ」


 はは、とサイラスは笑うだけで、何も言わない。


 それはまるで『そんなときなど来ないのだ』と言わんばかりだ。


 なんだかそれが不安で。

 アイラは急いで付け加えた。


「確認、した方がいいよ」

 だが、返ってきたのはおざなりな返事。


「サイラス」

 再び声をかけたとき。


「はい。お待たせ」

 衝立から本人が現れた。


「わ。すんごい綺麗」


 つい声が漏れた。目の前にいるのは、とてもじゃないが二十歳の男には見えなかった。


 どこからどう見ても愛らしい女性だ。


 サイラスが言う通り、聖女の衣装は腰をしばるようなものではない。

 くるぶしまである真っ白なロングドレスだが、せいぜい胸の下あたりでゆるくいくつもの飾り紐で結ぶ程度。これがコルセットで締め付けるタイプだと、骨盤の関係で、やはり女性らしい曲線は描けなかったと思う。だが、幸か不幸か聖女の衣装はうまい具合に身体の線を消すように作られている。



「背中とかも大丈夫か?」


 くるりと振り返るサイラスは、自分でも姿見で確認している。

 腰骨の上あたりにギャザーが作られ、深紫色をした、大きめの飾り帯が結ばれていた。


「大丈夫。どっからどう見ても女の子」


 大きく頷く。実際、白絹のチョーカーを巻いてのどぼとけを隠さなければいけないことを除けば完璧だ。


「だてに20年女装してねぇわ」

 サイラスは笑い、スカート部分をさばいてアイラに向き合う。


「ただ……でかいな」


 アイラは苦笑いする。最大の違和感はひょっとしたらこの身長かもしれない。


「馬車にずっと座ってるんだろ? 平気平気。それに、ちびなのはお前ぐらいだしな」


 くしゃり、と絹の手袋をはめた手で頭を撫でられる。


 リプリーといい、サイラスといい、すぐにアイラの頭を撫でようとするのだから不思議だ。高身長の人間からすると、手を置くのにちょうどいい高さなんだろうか。


「おれについて歩く時は、ちょっと離れてろよ。高身長がばれる。さて、行こうぜ」


 サイラスが顎で扉を示して見せる。

 言葉使いと外見がまったくマッチしていない。


「ねえ、その胸何入れてるの?」


 ドアの前で立ち止まり、改めて自分の目線ぐらいにあるサイラスの胸をまじまじとみつめた。


 途端に、ぐいと右手を掴まれるから、ぎょっとする。

 そのままサイラスは自分の胸にアイラの手を押し付けた。


「……なんか、堅い……」

 つい眉が寄る。想像していたのとは違った。


「布詰めてるだけだからな」

 サイラスは愉快そうに笑う。


「お前のぺたんこ胸にも詰めてやろうか」

 腰を曲げ、顔を近づけて意地悪くサイラスが言う。


「ぺたんこかどうか触ってみる?」


 顎を上げ、胸を張ると、サイラスが目を丸くする。

 次いで、一気に耳まで深紅になると、顔を逸らしてぱしりとアイラの頭を叩いた。


「いたっ!」

「お前……っ。冗談でも、よその男にそんなこと言うんじゃねぇぞ」


「女装男子に言ったんだから、良いんだもん」


 む、と頬を膨らませたが、サイラスはもうこっちを見ようともしない。


 てっきり「誰がお前のなんか触るか」とか「触るところがわからねぇ」とか言われると思ったのに。


 サイラスは複雑そうな顔で顔を真っ赤にするばかりだ。

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