第2話 謁見室にて
◇
謁見室の前で足を止め、アイラはもう一度自分の姿を確認することにした。
室内にはアイラが所属する銀羽騎士団団長リプリーがいる。服装や礼儀に厳しい彼女の機嫌が悪くなることは避けねば、と視線を移動させる。
すぐ側にある大きな窓ガラスは、光の関係で鏡面化していた。
青い瞳が、こちらを見返している。
今年で十九歳。年相応の顔立ちと、同じ年頃の女子よりも、若干低めの身長。
アイラはそれを補正するかのように、背筋を伸ばした。
最初に、頭に手をやる。長い金髪を丸くまとめ、首の後ろで留めているが、乱れはない。
次に丈の短いジャケットの端を持ち、ぐいと下に引っ張った。視線を走らせ、汚れが無いか確認する。
銀羽騎士団の制服は、青みがかった灰色だ。
白いシャツに、菫色のクラバット。留め具は羽根を模した銀細工。
続いて、足を見る。
ジャケットよりも濃い色。
その右太ももに固定されているのは、革製のレッグホルスターだ。
そこから見えているのは漆黒のグリップ。愛用の拳銃はいつも通りそこにおさまっていた。
アイラは固定の革ベルトに緩みが無いかどうか目視で確認する。
本来騎士であれば持つべき剣が、アイラにはない。
彼女は、銀羽騎士団唯一の銃士だからだ。
「おい、なにやってんだ」
いきなり謁見室の扉が内側から開いた。
「うわ、びっくりしたっ」
薄く開いた扉から、顔だけ出しているのは、銀羽騎士団の護衛対象であるサイラス・カートレットだ。
黒く長い髪は束ねて無造作に背中に流している。
今日は絹の白いシャツに、トラウザーズという随分ラフな格好だ。謁見室にいるというのにこの服装。
(あれ。団長、いないのかな)
ちょっと心が浮き立つ。サイラスの話し相手に、と宰相が自分を呼び出しただけなのかもしれない。
「いるんなら、早く入って来いよ」
黒曜石をはめ込んだような瞳で見下ろされる。
男性にも女性にも見える不思議な顔立ちをしたこの青年は、今年二十歳になるはずだ。
だが、アイラの周囲にいる男性騎士のような分厚い胸板も、丸太のような腕も持っていない。
華奢な身体に、必要最低限の筋肉。きちんとボタンを留めていないシャツの首元から、のどぼとけが見えていなければ、女性にさえ見えそうだ。実際、団長のリプリーの方がよほど男らしくある。
「サイラス、ひとり?」
「まさか。みんな待ってる」
不機嫌に言い放つと、サイラスはわずかに首を傾けた。どうやら顎で「中に入れ」と示したらしい。
なんだ、いるのかとがっかりし、アイラは入室をする。
「アイラ・ヴィリアーズ。入室いたします」
「なんで手を上げてんだよ」
サイラスが小さく噴き出すから、唇を尖らせる。
「なんかそんな感じだから。もう。早くそこどいてよ」
えい、とサイラスを押すようにして中に入り、アイラは硬直した。
謁見室には、三人の人物がいる。
一人がけソファには、銀羽騎士団団長のリプリー。
その対面にいるのは、金獅子騎士団団長のメイソン。
一番奥の席で二人掛けソファにのんびりと腰かけているのは、宰相セオドア・ハワードだ。
「久しぶりだな、アイラ・ヴィリアーズくん」
宰相がカイザーひげをしごきながら藍色の瞳を細める。アイラの祖父の友人である彼は、愉快そうにくすりと笑った。
「か、閣下におかれましては……」
リプリーの手前、慌てて口にしたもののその後が続かない。
びしりと直立不動して硬直していると、セオドアは面白そうに声を立てて笑ったが、それを打ち消したのはリプリーの深いため息だった。
「挨拶も満足にできないのか、貴様」
立ち上がると、がちゃり、と彼女の腰で佩刀が鳴る。
すらりとした立ち姿は、まさに男装の麗人だ。同じ制服を着ているとは思えないほど、彼女は美しい。
アイラとは違い、銀羽騎士団団長であるリプリー・アシュリーはれっきとした貴人。父親の伯爵位を受け継いだ28歳。隙の無い振る舞いや、すっきりと涼しい目元が年よりも落ち着いて見せた。
「失礼いたしました」
ぺこり、と頭を下げてからアイラはにっこりと笑って見せる。
「みなさん、ごきげんよう」
今度笑い出したのは、セオドアだけではなくサイラスもだった。
「閣下。リプリーを使ってこの野猿に芸を仕込もうと思っても無理ですよ」
サイラスに額を弾かれ、反射的に額を覆う。む、と睨みつけるとサイラスは笑いながら大股で歩き、セオドアのところまで移動した。
「いやいや。リプリー嬢の指導が行き届いているのはわかるよ。ほら、彼女の服装。今日は規定通りじゃないか」
セオドアの座るソファのひじ掛けに腰を下ろし、長い脚を組む。サイラスは肩を竦めた。
「リプリーも大変だ。まずは、お洋服を着ることから指導とはね」
「ここのところちゃんとしてるし。ねえ、団長」
腹立だしい気持ちのまま、ぎゅいんとリプリーの方に顔を向ける。返ってきたのは深いため息だけ。
納得がいかない、と顔をそむけた視線の先には、
メイソン・クーパー。彼はソファに深く上半身を預けたまま、むっつりと厚い唇を引き結んでいた。
リプリーとは偶然だが、同い年だと聞く。
だが、共通点はそこだけだ。
男と女。火と水。武人上がりと、生粋の貴人。
互いが、互いを嫌っていることは誰の目にも明らかだが、業務上どうしてもこうやって顔を合わせざるを得ない。
団長同士が不仲なのだ。
団員同士も当然不仲で、アイラは金獅子団の男どもがことのほか大嫌いだった。
粗野で乱暴。それを男らしさと勘違いしているところが尚いやだ。
「なんだ?」
アイラの視線を煩わしそうに見返し、メイソンが低い声で問う。
「閣下、アイラに説明を」
不穏を感じ取ったのか、アイラがなにか答える前に、サイラスがセオドアを促した。
「このたび、レオナルド殿下が立太子されたことは知っているか?」
「はい」
足を組みかえて尋ねるセオドアに、アイラは首肯する。
王都はその祝事で沸き立ち、いつまでもお祭り騒ぎなのだとか。
遠く離れた聖都に住むアイラ達も、そのにぎやかな様子が聞こえてくるのだから、随分と華やかなのだろう。
「おめでたいことですね」
言いながら、立ったままのリプリーの隣に寄り添った。メイソンに近いとまたけんかを売られそうだ。
「そうだ、めでたいのだ」
セオドアは目を細め、満足げに頷いた。
「そのため、聖女は聖都を出て、王太子となったレオナルド殿下に聖具をお渡しせねばならん」
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