第2話 謁見室にて


 謁見室の前で足を止め、アイラはもう一度自分の姿を確認することにした。


 室内にはアイラが所属する銀羽騎士団団長リプリーがいる。服装や礼儀に厳しい彼女の機嫌が悪くなることは避けねば、と視線を移動させる。


 すぐ側にある大きな窓ガラスは、光の関係で鏡面化していた。


 青い瞳が、こちらを見返している。

 今年で十九歳。年相応の顔立ちと、同じ年頃の女子よりも、若干低めの身長。

 アイラはそれを補正するかのように、背筋を伸ばした。


 最初に、頭に手をやる。長い金髪を丸くまとめ、首の後ろで留めているが、乱れはない。

 次に丈の短いジャケットの端を持ち、ぐいと下に引っ張った。視線を走らせ、汚れが無いか確認する。


 銀羽騎士団の制服は、青みがかった灰色だ。すすなまりがつけばすぐにわかってしまうし、団長からは「また貴様は」と注意を受けてしまう。


 白いシャツに、菫色のクラバット。留め具は羽根を模した銀細工。


 続いて、足を見る。

 ジャケットよりも濃い色。檳榔子黒びんろうじくろのトラウザーズ。この色をジャケットにしてほしいとずっと思っている。


 その右太ももに固定されているのは、革製のレッグホルスターだ。


 そこから見えているのは漆黒のグリップ。愛用の拳銃はいつも通りそこにおさまっていた。


 アイラは固定の革ベルトに緩みが無いかどうか目視で確認する。


 本来騎士であれば持つべき剣が、アイラにはない。

 彼女は、銀羽騎士団唯一の銃士だからだ。


「おい、なにやってんだ」

 いきなり謁見室の扉が内側から開いた。


「うわ、びっくりしたっ」


 薄く開いた扉から、顔だけ出しているのは、銀羽騎士団の護衛対象であるサイラス・カートレットだ。


 黒く長い髪は束ねて無造作に背中に流している。

 今日は絹の白いシャツに、トラウザーズという随分ラフな格好だ。謁見室にいるというのにこの服装。


(あれ。団長、いないのかな)


 ちょっと心が浮き立つ。サイラスの話し相手に、と宰相が自分を呼び出しただけなのかもしれない。


「いるんなら、早く入って来いよ」


 黒曜石をはめ込んだような瞳で見下ろされる。


 男性にも女性にも見える不思議な顔立ちをしたこの青年は、今年二十歳になるはずだ。


 だが、アイラの周囲にいる男性騎士のような分厚い胸板も、丸太のような腕も持っていない。


 華奢な身体に、必要最低限の筋肉。きちんとボタンを留めていないシャツの首元から、のどぼとけが見えていなければ、女性にさえ見えそうだ。実際、団長のリプリーの方がよほど男らしくある。


「サイラス、ひとり?」

「まさか。みんな待ってる」


 不機嫌に言い放つと、サイラスはわずかに首を傾けた。どうやら顎で「中に入れ」と示したらしい。


 なんだ、いるのかとがっかりし、アイラは入室をする。


「アイラ・ヴィリアーズ。入室いたします」

「なんで手を上げてんだよ」


 サイラスが小さく噴き出すから、唇を尖らせる。


「なんかそんな感じだから。もう。早くそこどいてよ」


 えい、とサイラスを押すようにして中に入り、アイラは硬直した。


 謁見室には、三人の人物がいる。


 一人がけソファには、銀羽騎士団団長のリプリー。

 その対面にいるのは、金獅子騎士団団長のメイソン。

 一番奥の席で二人掛けソファにのんびりと腰かけているのは、宰相セオドア・ハワードだ。


「久しぶりだな、アイラ・ヴィリアーズくん」


 宰相がカイザーひげをしごきながら藍色の瞳を細める。アイラの祖父の友人である彼は、愉快そうにくすりと笑った。


「か、閣下におかれましては……」


 リプリーの手前、慌てて口にしたもののその後が続かない。

 びしりと直立不動して硬直していると、セオドアは面白そうに声を立てて笑ったが、それを打ち消したのはリプリーの深いため息だった。


「挨拶も満足にできないのか、貴様」


 立ち上がると、がちゃり、と彼女の腰で佩刀が鳴る。


 すらりとした立ち姿は、まさに男装の麗人だ。同じ制服を着ているとは思えないほど、彼女は美しい。


 アイラとは違い、銀羽騎士団団長であるリプリー・アシュリーはれっきとした貴人。父親の伯爵位を受け継いだ28歳。隙の無い振る舞いや、すっきりと涼しい目元が年よりも落ち着いて見せた。


「失礼いたしました」

 ぺこり、と頭を下げてからアイラはにっこりと笑って見せる。


「みなさん、ごきげんよう」

 今度笑い出したのは、セオドアだけではなくサイラスもだった。


「閣下。リプリーを使ってこの野猿に芸を仕込もうと思っても無理ですよ」


 サイラスに額を弾かれ、反射的に額を覆う。む、と睨みつけるとサイラスは笑いながら大股で歩き、セオドアのところまで移動した。


「いやいや。リプリー嬢の指導が行き届いているのはわかるよ。ほら、彼女の服装。今日は規定通りじゃないか」


 セオドアの座るソファのひじ掛けに腰を下ろし、長い脚を組む。サイラスは肩を竦めた。


「リプリーも大変だ。まずは、お洋服を着ることから指導とはね」

「ここのところちゃんとしてるし。ねえ、団長」


 腹立だしい気持ちのまま、ぎゅいんとリプリーの方に顔を向ける。返ってきたのは深いため息だけ。


 納得がいかない、と顔をそむけた視線の先には、金獅子きんしし騎士団の団長がいた。


 メイソン・クーパー。彼はソファに深く上半身を預けたまま、むっつりと厚い唇を引き結んでいた。


 リプリーとは偶然だが、同い年だと聞く。

 だが、共通点はそこだけだ。


 男と女。火と水。武人上がりと、生粋の貴人。


 互いが、互いを嫌っていることは誰の目にも明らかだが、業務上どうしてもこうやって顔を合わせざるを得ない。


 団長同士が不仲なのだ。

 団員同士も当然不仲で、アイラは金獅子団の男どもがことのほか大嫌いだった。


 粗野で乱暴。それを男らしさと勘違いしているところが尚いやだ。


「なんだ?」

 アイラの視線を煩わしそうに見返し、メイソンが低い声で問う。


「閣下、アイラに説明を」


 不穏を感じ取ったのか、アイラがなにか答える前に、サイラスがセオドアを促した。


「このたび、レオナルド殿下が立太子されたことは知っているか?」


「はい」

 足を組みかえて尋ねるセオドアに、アイラは首肯する。


 王都はその祝事で沸き立ち、いつまでもお祭り騒ぎなのだとか。

 遠く離れた聖都に住むアイラ達も、そのにぎやかな様子が聞こえてくるのだから、随分と華やかなのだろう。


「おめでたいことですね」


 言いながら、立ったままのリプリーの隣に寄り添った。メイソンに近いとまたけんかを売られそうだ。


「そうだ、めでたいのだ」

 セオドアは目を細め、満足げに頷いた。


「そのため、聖女は聖都を出て、王太子となったレオナルド殿下に聖具をお渡しせねばならん」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る