第100話



湖沼内の水中。遠くでキシリアが竜と戦ってくれている。

すでに2時間経とうというところだ。

俺は周辺を探すが、源泉はまだ見つからない。

やはりここには存在せず、残り2つの湖沼にあるのだろうか。いや、そもそも源泉があるという予測自体確かなのか?

これほど時間が経っている所を見ると他の場所でも苦戦しているという事だ。

俺の酸素ボンベもそろそろ空気が尽きる。

ボンベからピーという音が鳴り始め、ガラス玉に残っている空気がだんだん薄くなってきている。

この深い水中で呼吸が出来なくなるという恐怖。

俺は一旦水面に上がり、素潜りで息継ぎをしながら捜索を続ける決心を固めた。


水面に上昇する俺。


水面に出ると大きく息を吸う。

ガラス玉は一定以上水から上がると自動的に首飾りになる。


周囲を見る。

今俺が居るのは北西の湖沼だ。その全長800メートルのやや南に浮かび上がっていた。

ドーナツの穴になっている中央部を3つに分断するように木が繁っている陸が走っている。

南側の空、木の上から巨大な竜とスズメが戦っているのが見えた。


唖然とするが、クリスとロザミィが頑張ってくれているのか。

次の瞬間、口から火を吹いた竜が消えた。


消えた!?やったのか!


疲労した体に力が戻ってきたような感覚。

俺はクリスとロザミィに感謝の念を送ると、そのまま水中に舞い戻った。

空気が残ってないからか、首飾りからガラス玉に戻る事はなかった。

これからは巣潜りでの遊泳か。

キシリアが心配だ。彼女を探さねば。


水面と水中を行ったり来たりしながら、しばらく辺りを探していたが、向こうも俺を探していたらしく、白い翼をはためかせながら水中で声を出して俺を呼んでいた。

俺に気付くとスイスイと近寄ってきた。


「勇者さん!ご無事でしたか?」


話せないのでコクコクと頷く俺。

察してくれて、俺を抱き止めたまま水面に上がるキシリア。


「無事かと聞きたいのはこっちの方だよ。よくあんな化け物を長い時間抑えてくれた。」

「勇者さんを守れるならわたくし何だってやります。」

「ははは。それは頼もしいけど無理はして欲しくはないな。」

「ウフフ。お疲れ様でした。ホワイトデーモンが消えてしまったと言うことは、どうやら作戦成功なんですね。」

「そのようだな。冷や冷やしたけど、成功して良かった。」

「とりあえず陸に上がりましょうか。」


キシリアは俺を抱き締めたままザブンと水面から上がる。

翼を広げ南側の陸に飛んで連れていってくれる。


空はいつの間にか夕日で染まっている。

今まで水中に浸かっていた冷えた体が日の光と、キシリアの体温で暖められるようだ。

落ちないように、キシリアが俺を強く抱き締めている。

なんだか照れ臭いような気がするが、彼女の呼吸音が心地よくもある。


「ありがとう。ふー。さてと、これからどうやって船に戻るかな。」


ちょっと広くなった空き地にゆっくり着地する俺達。

俺は照れ臭いのでキシリアの腕から離れ、辺りを見回すふりをした。


「戻る・・・必要はありませんよ。」


キシリアが静かに言った。

意味を理解できなくて視線をキシリアに戻す。


「どういう・・・。」


目を閉じ、俺を正面に据えて、両手を斜め下に伸ばすキシリア。

そこからは竜と互角に渡り合ったあの巨大な大剣が握られる。


何のつもりなのかまったく分からない。


「モンスターは退治されました。休戦はここで終わりです。」


言葉が耳に入ってきても頭で理解出来ない。


「本来あるべき姿に戻りましょう。わたくし達は敵同士、戦い殺し合い取り除く運命。」


キシリアが目を開き俺を見つめる。

つまりこの大剣は、俺に向けられているということなのか・・・?

竜と互角に渡り合った大剣に俺が太刀打ちできるとは思えない・・・。


俺の鼓動が一気に警鐘を鳴らし始める。

とても本気で言っているとは思えない。何かの冗談で驚かせようとしているのではないか?

いくらなんでも急過ぎる。


キシリアはゆっくり右手を振り上げ、その鉄塊を俺の頭上に降り下ろした。


俺は呆然としてそれを途中まで見ていたが、激しく体に血が巡り咄嗟に左に避けた。

足元の地面に凄まじい裂傷。大剣が深々とめり込んだ。


なんて破壊力だ。こんなもの受けたら一撃で即死なのは間違いない。

そしてキシリアの言葉が嘘ではないのだと体現してしまっている。


嘘だ!嘘だ!嘘だ!信じられない!


なんのためにこんなことを・・・。


いや、それはキシリアが今言ったばかりだ。

俺達は敵・・・。この数日一緒に過ごしていたことの方が異常事態だったわけだ。

ルカとエルの時もそうだったが、彼女達の人懐っこい人柄や優しい性格、美しい風貌。その包み込んでくれるような包容力につい安心して身を寄せてしまいたくなるが、それは俺達に見せている一面だけの話だった。


何度も考え戒めているはずなのに、船の乗組員を全滅させ、海を我が物としようとしている元凶の手足として働いている存在だということを忘れてしまう。


理路整然と考えれば、なるほど確かにそうだったと理解はできる。


だが!やはり納得できない!

これは俺の甘えなのか!?


キシリアと戦わなければならない意味をどうしても見いだせない!



「待て!待ってくれ!敵だと思ってないと言ってくれたのは君じゃないか!俺達が戦う必要があるとは思えない!」

「わたくしにはあるんです。目的のために。」


目的!?やはり魔王の娘の支配を及ぼすために、邪魔する俺達を排除するということか。


「だが俺は君と戦いたくない!数日一緒に過ごした君とは戦えない!」

「嬉しいです。わたくし達がどうして一緒に船に乗せていただいたか、考えてみてください。」


右手の大剣を地面から軽々と引き抜き、左手の大剣を横に凪ぎ払うキシリア。

俺はしゃがみこんでそれを避けるが、物凄い剣風だ。体がぐらつくくらい引っ張られてしまう。

背筋が凍る。


なぜ一緒に船に乗ったか・・・。

俺に情が移って反撃できないようにするため・・・。



信じられない。信じたくない。

今までの事は俺を引き込む演技だったというのか・・・?


足の力が抜けていくようだ。

目が霞む。


信じられない。信じたくない。

屈託のない笑顔も、必要以上とも言えるほどの触れ合いも、俺を騙すための演技だと・・・?


動悸が早くなる。

耳に雑音がうるさく響いている。


もう一度右手の大剣で斜めに斬り上げられる。

俺も腰の剣を手に取り、剣撃を受け流す。

衝撃で吹き飛ばされる。

こんなものを何度も受ければ剣が持たない。

距離を取らなければ。


しかし広いとはいえ、この空き地は逃げ出せるスペースなどない。

ただでさえ2メートルもある大剣。先程の竜に対して使ったワイヤーで10メートル射程を伸ばされれば、スペース全域を攻めることができるだろう。


「頼む!嘘だと言ってくれ!俺は君達を説得したい。話を、聞いてくれ!」

「わたくし達にはもう後が無いんです。どこにもいく場所はない。セイラさんやリーヴァさんに着いていくしかない。」

「そんなことはない!クリスだって俺達と一緒に居てくれてる!」

「そうですね。クリスさんは自分で最初の一歩を踏みとどまった。でもわたくし達は違う。」


左手の大剣で突きをしてきた。

こんなのを食らったら一溜まりもない!

及び腰で逃げ惑う俺。もつれる足。

もはや恥も外聞もない。


俺にできるのは説得ではなく命乞いなのではないだろうか。

彼女がそれを受け入れてくれるとは思えないが。


「わたくし一つ言い忘れていたことがありました。」


なんだ?急に。

俺はなんとか呼吸と神経を落ち着かせようと彼女の動きを目を離さずに対面した。


「魔王の僕に拐われた夜。長女が自分の腹を傷つけのたうち回ったあと、わたくしは憤慨して長女を手にかけました。そのときのわたくしには力もなく、剣の使い方も知らずに、ただ振って叩きつけるしかできませんでした。ウフフ。人間って簡単には死なないのですね。非力なわたくしの剣では何度も何度も剣を叩きつけても長女は即死しませんでした。そうやっているとそううち剣を振ることに何も感情が沸かなくなってきたんです。」


彼女の声の調子はいつもと同じだ。

話していることとの違和感を感じてゾッとする。


「いつものレッスンのように、ここをこうしたら切れるのかなとか、体重のかけ方とか、次第に貪欲になってさえきました。息をしてないのに気付いたのは後々になってからでした。もう少し生きていてくれたら生の反応が見れてもっと上手くなれたでしょうに。だからなのですかね?今のわたくしがこういう大剣を使ってみたくなったのは。大きい方がきっとバラバラにしやすいですよね?」


本当に彼女は俺の知っているキシリアなのか?

さきまでの彼女と同じ人物とは思えない。

冷や汗で体がぐっちょりと濡れる。


「それに・・・。わたくし見ていたんですよ?ダンスパーティーでわたくしと本番で踊る前。勇者さん、ルーシーさんと抱き合っていましたね。あんなに自信無さげだったのに、ルーシーさんと抱き合ってから別人のように生き生きとしてらして、わたくし嫉妬してしまいます。そしてラストダンスの相手にはクリスさんをお選びになった。喝采を浴びて、まるでわたくしなんて最初から居なかったのようでした。わたくし三女に産まれていつも3番目。もう3番目は懲り懲りです。」


何を言っているんだ?

まったく理解できない。


言葉の意味は俺に対しての恨み節というのは分かる。

だが声の感じにそういった感情が感じられず、優しい語りかけのような、いつものキシリアの調子で、何を言わんとしているのか理解出来ない。


「勇者さん言ってくれましたね。わたくしの隣に居ると。これからずっとわたくしの隣に居てくれますか?一番隣に。」


スルスルと大剣がワイヤーに巻かれて宙に浮く。

あれを避けて逃げ回る事などできるのか?


ゴクリと生唾を飲む。


高い位置から降り下ろされる大剣。

目を丸くして飛び退く俺。

地面が割れんばかりに揺れる。いや、実際陸が少し崩れる。


あまりの恐怖に崩れた体勢のまま離れようと逃げ惑う。

ヤバい!この攻撃を連続で避けきれる自信はない。


今度は水平に振り回される大剣。

自在に動くワイヤーで隙などない。


地面に転げてその場に倒れ、俺の頭上を勢いよく通過していく大剣。

風圧で背筋が凍る。

先と同じだが、もう余裕はない。


再び高い位置から降り下ろされる大剣。倒れたままの俺に左右に逃げる時間などない。

体を転がしてキシリアの方へ近付く。

剣の先が地面に突き刺さり、手元側が浮いているので避けることが出来た。

空中から地面に突き立てるように垂直に大剣が降り下ろされる。

下半身を頭上に丸めるようにぐるりと回転する俺。

ドスンと深く地面に突き立てられる剣。


背後に斜めに突き刺さっていた大剣が振り子のように背後から迫ってくる。

咄嗟に剣を盾にして防ぐ。

振り子の衝撃で体が浮き上がりさらにキシリアの方へ近付く。

逃げなければ、離れなければならないのに・・・。


深く刺さった剣が抜き取られ、これも振り子のように背後から迫ってくる。

剣を盾にして防ぐが、もはや逃げることもできない。このままでは剣が持たない。


3発目の振り子。


キシリアはもうすぐ前にいる。

俺を股越してワイヤーで剣を操っているんだ。


ならばこのワイヤーを断ち切れば、少なくともこの射程の攻撃から逃れられるのではないか?

俺はキシリアの掌から出るワイヤーに目掛けて剣を振った。


だが、手を横に構えてワイヤーを逃がすキシリア。俺の剣は空を切る。

万事休すか。

後方の振り子はワイヤーを動かしたからか襲って来なかった。

代わりに前方からの突きが繰り出される。

もうどうやって避けるかを考えてる時間はなかった。

体を反らせ、ワイヤーの動きに合わせて剣を突き出した。



鈍い手応え。



そんな馬鹿な・・・。



俺の剣はキシリアの胸を貫いた。


そんな馬鹿な。何故そこに君が居るんだ。


止まったかのような時間の中で、空中に浮いていた大剣が地面に転げ落ちる。

そして力を失ったキシリアが倒れる。


何故君がそこに立っていた?まるで俺の攻撃を受けるために・・・。


演技、演技、演技・・・。


この数日の彼女と今の彼女。どちらが演技だと言われれば一目瞭然じゃないか。

まさか君は、君の本当の目的は・・・。俺にとどめを刺させるため・・・。


「キシリア!何故だ!何故こんなことをしたんだ!何故わざと俺の剣を受けた!?」


俺は倒れるキシリアを抱き止めた。


「勇者さん・・・。わたくしやっぱり嘘がつけないみたいですね・・・。」

「早く再生するんだ!君の力ならできるずだ!」

「ウフフ・・・。それはできません・・・。」


何故気付かなかった!本気で俺を殺そうとするなら何もここでなくてもいくらでもチャンスはあった!

大剣を本気で浴びせられたら最初の一撃すら避けることも出来なかっただろう!

何故俺は剣を握っていた!彼女を攻撃するつもりなんて無かったのに!


「何故なんだ!?早く再生してくれ!俺はまだ君と一緒に居たい!」


ニコリと弱々しく笑うキシリア。


「わたくしも勇者さんと一緒に居たかった。でもわたくしが勇者さんの仲間になればセイラさん達のアジトの場所を言ってしまうことになる。でもそれはできません。だから・・・わたくしはどちらでもないどこかに行ってしまわなければいけないんです。」

「馬鹿な!そんなことのために!」


君が言いたくないというのなら聞かずとも良かったのに・・・。


いや、違うぞ。


すでに俺はこの島から町に戻る船の中で、板挟みになるであろうことを知っていながら、キシリアにアジトの場所を聞いてしまっている。


ああぁ、まさか、あのとき俺がアジトの場所を聞いてしまったから・・・。

君は俺達の仲間になることを諦めてしまったのか・・・。


なんてことだ・・・なんで俺は・・・。

ルカとエルの死にショックを受けて、この戦いを早く終わらせたいと思った。

それで優しげなキシリアについ甘えてしまったんだ。

それがキシリアを追い込むとも知らずに・・・。


「ミネバさんを責めないであげてくださいね。ミネバさんはわたくしの行動に付いてきてくれただけなんですから・・・。」


ミネバ?ルーシーと一緒にいるはずだが。ミネバがどうしたと・・・。


キシリアは俺の腕の中で力なく顔を夕日に向ける。


「いい景色ですね・・・。夕焼けは他の景色と違って感情を昂らせます・・・。なぜでしょうね?勇者さん・・・。」


このセリフは・・・。

俺は顔を伏せて溢れる涙を拭えずにふりしぼりながら口を開いた。


「暮れていく太陽に思いを馳せるから・・・。」


もう一度俺の顔を見上げ優しく微笑むキシリア。


「馳せる思いの中身を・・・伺いたかった・・・。」


そう言って安らかに目を閉じた。



ああ、嘘だ。嘘だと言ってくれ。これも演技だと言ってくれ。

君は3番目なんかじゃない。君の存在は唯一無二だ。代わりなんていない。


出会ってからのキシリアとの記憶が溢れるように甦ってくる。

温泉島で出会った恥ずかしげもなく堂々とした彼女達、沢で見たあの夕日。船を探険したりプールで泳いだり、シャワーで本当に気絶して慌てたり。噴水を見に行ったり、事件に首を突っ込んでしまったり。ダンスの練習。そして本番。カワウソ扱いにショックを受ける彼女・・・。

この数日でいろんな思い出ができていた。それなのに・・・。

彼女の優しい声、彼女の温もり、気品に満ちた佇まいに可愛らしい仕草、それが今全て消えてしまった・・・。俺の手で・・・。


魔王の城から救いだした彼女を俺が殺めてしまった・・・。


体が徐々に灰になっていく。無情な風がそのキシリアの灰を連れていこうとする。

これが彼女との別れなんていくらなんでもあんまりだ。


灰になって崩れていく彼女を最後まで抱き止めたかった。

情けない俺の嗚咽だけが夕日に響いていた。


動けなかった。


体に力が入らない。

無力感に支配され全てが足元から崩れそうだ。

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