第89話
さてと、いよいよダンスパーティー開始間近だ。
俺は洗面台の鏡の前で髪型のチェックを怠らないよう眺めている。
普段ボサボサで何の手入れもしてないが今日は両サイドを撫で付けてフォーマルに決めている。つもりだ。
衣装の燕尾服もホテルからレンタルしてびっしり着こなしている。つもりだ。
キシリアが手伝ってくれたから大丈夫。だよな?
まったくこういった社交場に縁のない俺には、何が良いんだか悪いんだかさっぱり分からない。
一日二日の付け焼き刃で言うのもなんだが、一応やれることはやったつもりだ。
俺はともかく、キシリアに恥をかかせないように振る舞えれば良いのだが。
1時間くらい前に下に降りて様子を見てみたら、開始前だというのにイブニングや、燕尾服を着た今夜の主役達がすでに集まって談笑していた。
あー。胸がドキドキする。こういった緊張は今までに味わったことがない。
俺達の組は3曲目だから始まってすぐというわけでもないのだが、雰囲気に飲まれてしまいそうだ。
一回のダンスで25組のカップルがダンスするそうで、俺達の組は65番。少なくとも65組130人以上が参加しているという事だ。
「勇者さん。準備はお済みですか?そろそろわたくし達も降りて行きませんと。」
純白のモダンドレスを着たキシリアが俺の後ろに顔を見せた。
肩から腕に伸びたフロート、ヒラヒラなフリルのロングスカート。肩まで開いた襟首。背中も完全に剥き出しだ。豪華な装飾はないがそのシルエットが気品に溢れている。
息を飲む美しさだ。
「そろそろだよな。」
俺は気合いを入れるために頬を両手でパチンと打った。
「緊張してるんですか?なにも重荷を背負い込まなくとも、ありのままの勇者さんでよろしいんですよ?」
「いや、しかし・・・。」
「わたくしはこの数日、勇者さんと一緒に過ごせただけで満足なのですから。これ以上のものなんて何も望みません。」
俺を見つめるキシリアの目は優しい。
その優しい目に俺は報いたいのだが。
「分かった。では参りましょうか。お嬢様。」
「はい。喜んでお供致します。」
エレベーターから1階へ。
すでに華やいだ会場は演者やギャラリーで溢れ、異様な雰囲気に満ちていた。
オーケストラが小手調べに演奏をしている。ホテルのウェイターがトレイにシャンパンを乗せて客に振る舞っている。
ガヤガヤと大勢の群集が今か今かとパーティーの開始を待ちわびている。
エレベーターから降りて、俺達もその群集に入っていく。
腕を組んでキシリアをエスコートする。エレベーターの前の人だかりが騒然として俺達に道を開けてくれる。
近くでキャーという悲鳴が上がって誰かが倒れる音がした。
何事かと思って振り向いたがパートナーの男性が介抱して女性を抱き抱えている。
「何があったんだろう?大丈夫かな?」
俺は訳がわからず心配したが、キシリアは笑って言う。
「勇者さんを見て失神したんですよ。ソッとしておきましょう。」
俺を見て失神とはどういう事だ。この衣装変だったのかな?今なら交換してもらえるか?
「これはこれは。キシリアお嬢様ではありませんか。ご機嫌麗しゅうございます。」
不意にすれ違う男女の贅沢な装飾を付けた男から声をかけられた。
キシリアの知り合いか?
「これはシュマイザー卿。お会いできて光栄ですわ。」
「悲劇の地から帰還なされたとお噂でお聞きしましたが、また何処かに行かれたと知り心を痛めておりました。こんなところで御目にかかれるとは大変幸運でしたな。」
「わたくしにはもう帰る場所など御座いません。」
「久しく会わないうちにますます美しさに磨きがかかりましたな。折角です。後程ダンスのお相手を御願いできますかな?」
「いいえ。わたくしなど・・・。そちらのパートナー様が退屈するといけませんわ。また次の機会に致しましょう。」
「左様ですか。では次回必ず。今回は貴女のダンスを拝見だけさせて頂きましょう。楽しみにしていますよ。」
「ありがとうございます。わたくしも卿のダンスを拝見させて頂きますわ。」
「こちらは私の幼馴染みのミガキという者です。こういった場にはあまり出ないのですが、今回は社交パーティーとは赴きが違います故連れて参りました。」
「そうでしたの。はじめまして。」
ペコリと頭を下げるパートナー。
「こちらは勇者さんです。説明は不要かと存じますけど。」
キシリアが俺を手で示し紹介した。俺もペコリと頭を下げる。
「おお!どうりで堂々とした風格ですな。これは似合いのカップルです。今日の楽しみがまた増えました。どうぞお互い楽しみましょう。挨拶がある故我々はこれで。では、後程。」
「失礼いたします。」
男はパートナーの手を取って俺達の元から離れた。
卿ということはどこかの貴族がお忍びで来ているのか?
不思議そうにやり取りを見ていた俺にキシリアが腕を組んでホールの方へ行こうと催促する。
おっと、エスコートエスコート。
キシリアの過去を知っていそうだった。彼女は何者だったのだろうか?貴族と付き合いがあったとなるとやはりどこかのお嬢さんか。
そんなことを考えながら人のアーチをかき分けてホールに進む。
きらびやかな人々の装飾とごった返した人の波に、夢の中でもさ迷っているみたいだ。
オーケストラの調べが止まる。
ホテルの支配人らしき人がホールの真ん中に立ち両手を上げてお辞儀をする。
起こる拍手。
「お集まりの紳士淑女の皆様。今年、この記念すべき魔王歴終焉の翌年に、新たなる時代の幕開けに、ここで斯様なダンスパーティーを催されることを嬉しく思います。未だ不穏な報せも届くところではありますが、今宵は新たなる時代を祝し踊り明かしましょうではありませんか。それでは、パーティーの始まりです。皆様お楽しみください!」
支配人は下がっていった。そして割れんばかりの拍手。オーケストラが曲を奏で始める。
「えー。1番から25番のカップルの方ホールにどうぞ。それ以外のお客様はどうぞお下がりください。」
係りの者が声を上げる。
一応書いておくが魔王が倒れてまだ3ヶ月ではあるが、12月の事なので年は開けているのだ。わはは。
俺達はホールの中心を開けて輪になるよう外に退いていく。
それでもキシリアに周囲の人がお世辞を言いに集まる。
お綺麗ですねとか、素晴らしいとか、それを笑顔で返すキシリア。
俺は緊張でそれどころではない。
ホールに演者が躍り出て演奏に合わせて踊り始める。
優雅に美しく。どこのどなたかは知らないけれど、思わず見とれる華々しさだ。
こんな中で素人同然の俺が踊るのか。
手が震えてきた。
ルーシー、助けてくれー。
俺が震えていると向こうの方から先程のしシュマイザー卿とパートナーのミガキ嬢がこちらにやって来た。
「始まりましたな。」
キシリアにではなく、俺の横について話しかけてきた。
「ええ。皆さんお上手ですね。」
「ええ。本当に。ときに勇者殿とキシリアお嬢様の組は何番ですか?」
「え?65番です。3組目の出番ですね。」
「それは良かった。」
「良かった?と言うのは?」
「我々87番でしてね。4組目だ。あなた方のダンスをゆっくり拝見できる。・・・それに、あなた方と一緒の組では少々霞んでしまいかねませんからな。アッハッハ。」
「ご冗談を。あはは。」
心臓に悪い。ここでヘマをすれば笑い物になりかねない。
「私は昨日の夜グワジンから船でやって来たのですが、着いて驚きましたよ。このサラミス海域にはまだ不届きなモンスターが船を襲っているとか。」
その不届きなモンスターは俺の横にいる。
「勇者殿がここに居られるのもそういった関係ですかな?」
「ええ。まさに、まさに御推察通りです。」
「やれやれ。また勇者殿に救って頂かなければならぬとは。」
「じきに解決してみせますよ。ねえ、キシリアお嬢様。」
「え?ええ。そうですね。」
突然話題を振られて戸惑うキシリア。
ちょっと意地悪な振りだったか。だが俺は冗談で言っているわけではない。キシリアの力も借りてこの問題を解決したい。そう彼女に伝えたかった。
優雅なダンスに盛大な拍手を。一組目が終わり、二組目が待ちわびたとばかりにフロアに雪崩れ込む。
これもまたひけをとらない豪勢な装いだ。会場が拍手で迎える。
この次が出番だ。ドキドキが止まらない。
このままではステップどころか歩くのに躓きそうだ。
俺は深呼吸をしたくなってその場を外す事にした。
「すまない。ちょっと外に・・・。」
「ウフフ。緊張しているのですか?」
「ははは。まさか。ははは。」
キシリアは優しく微笑んで俺を見上げる。
言い訳を思い付かないまま俺はそこを離れた。
ここはホテルのホールなので外はすぐそこだ。人混みさえ抜ければ入り口が見える。
しかしホテルの入り口も見物客でごった返していた。町の通りまで祭りのような人混みだ。
深呼吸どころではない。下手をすると中に戻れなくなるかもしれないぞ。
「勇者様。めかしこんでるのね。」
人混みの中で不意に呼び止められた。思わず振り向く。
ルーシーがそこに紛れて入り口のそばに立っていた。
当然いつもの服でドレスなどではない。
「凄い人だかりで中に入れそうにないわ。勇者様のダンスを見たかったけど、残念。」
ルーシーを見た途端、俺の体に熱が籠った。ガチガチで震えていた手足がスムーズに動くような気がした。
「中に入れないと俺が困る。」
俺は少し離れていたルーシーのもとに人混みをかき分け近寄っていった。
そして何をするつもりか分かってないルーシーを抱き寄せた。
「すみません。次に踊るから通して下さい。」
ルーシーを抱き留めたまま、入り口への人混みを無理矢理分け入る。
「勇者様。強引ねー。私は踊れないわよ。」
「だとしても君に見ていて欲しい。少しくらいワガママ言っても良いだろ?」
なんとかホールに戻れたようだ。ルーシーと一緒に。
「そうだ。深呼吸するために外に出たんだった。ちょっと深呼吸させてもらっていいかな。」
そう言ってルーシーを抱き締めてルーシーの髪に顔を寄せて大きく息を吸った。
「勇者様。私は酸素ボンベじゃないわよ。」
「あはは。でも落ち着いたよ。そろそろだろうから行ってくる。見ていてくれよ?」
「見てるわ。躓いたら笑ってあげる。」
「心強いな。それじゃあ。」
「頑張ってー。」
別れる俺達。手を振り見送ってくれるルーシー。
ルーシーに勇気をもらった。
ルーシーが見てくれているなら挑むしかない。
ルーシーに笑われたくはない。
ありがとうルーシー。
2曲目が終わった。割れんばかりの拍手があがる。フロアの外周がさらに混雑する。
このままではキシリアの元に辿り着けない。
俺は1人演者が下がっていったフロアに飛び出て直接キシリアの元に直行した。
俺が戻らず不安そうな顔をしていたキシリアの目の前に躍り出て左腕を差し出す俺。
「お待たせしました。お嬢様。出番です。」
「はい。参りましょう。」
俺の左腕に右手を添えて前に出るキシリア。
シュマイザー卿とミガキ嬢も拍手を送ってくれる。
それまでと同じように会場からもフロアに出てきた演者に暖かい拍手が送られる。
左手を上げキシリアを迎える。キシリアは俺の手を握る。俺は右手をキシリアの背中に添える。
オーケストラの演奏が始まった。
フロアの演者達は思い思いにくるくるとダンスを踊り始める。
ここまで来たら緊張などどうでもいい。俺もキシリアをフロアで輝かせるよう教えられたステップで踏み出した。
俺達はフロアの外周を一回りするように連続スピンで踊り出した。
ただ同じテンポで回るのではなく、軸をずらし、スピードに緩急つけて、優雅に、麗しく、風に揺れる花のように。
キシリアのフロートとスカートがフロアを舞い、会場を覆うようにフワリと優しく包み込むようだ。
会場から歓声と拍手が鳴り響いている。それが俺達に向けられたものかは知る由もないが、勝手にそうだと思っておこう。その方が気分が上がる。
一周回ったら6拍子かけてキシリアが背を仰け反らせポーズを決める。
柔らかい体とキレのある動き、なまめかしい仕草で会場からさらなる歓声があがる。
それから他の演者と同じようにフロアを回る。20段階ほどもあるステップの組み合わせで華麗に中央に躍り出て、プロムナードポジションからフロアを斜めに横切るような長いステップ。緩急をつけたターンを何度かはさむ。
最後に最初にやった外周一周をコントラチェックのポーズをはさみながら、まるで会場の皆さんに挨拶するかのように各所でお見せする。
曲の終わりに中央付近で高速スピン、ナチュラル、リバースをやってスローアウェイオーバースウェイのポーズで決めた。
割れんばかりの拍手。
右手を上げキシリアを起き上がらせる。キシリアはくるくると回転して腕から離れ、俺の前で体を折り畳むようにお辞儀をした。
上手くいったか?
先までの緊張が嘘みたいな高揚感。
同じフロアで踊っていたカップル達からも俺達を輪にして拍手が起こる。
褒めすぎだ。
鳴り止まない拍手と歓声の中、俺とキシリアは手を取りギャラリーの中へ帰っていく。
「勇者さんノリが宜しいのですね。とても初めてとは思えません。」
「コーチが良かったからだよ。君に乗せられてしまった。」
「ウフフ。とても楽しかったです。」
「意外とな。楽しめるものだな。これが社交ダンスの魅力か?」
ルーシーも見ていてくれたのかな。どこに居たのかは分からなかった。
シュマイザー卿も拍手で迎えてくれた。
「いや、素晴らしい。これを見ただけでここに来た甲斐がありましたな。」
「シュマイザー卿のダンスも楽しみにしていますよ。ぜひ湧かせてください。」
「あっはっは。あなた方の後に踊るのは少々やりづらいですかな。では頑張って参ります。」
卿と俺のやり取りのあと、そう言って場所を交代するように入れ替わった。
「まだまだたくさん時間はあります。もっともっと楽しみましょうね。」
キシリアが興奮した面持ちで俺の腕を抱き抱える。
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