第78話


キシリアとしょうもない会話をしながらデッキまで戻ってきた。

アーサーが居たら、おい!ふざけんなよ!と突っ込まれていただろう。

さて次は・・・?

と思っているとキシリアが船尾楼の屋上を見ていた。

そう言えばそこにはプールがあったな。

さすがに水は張っていないだろうと思うが、行ってみるか。


船尾楼のドアの横、屋上からぶら下がっているロープを引いて縄梯子を降ろす。

それを登る俺。


「上に行ってみないか?」

「そんなところに梯子が?」


興味を持ってくれたようでキシリアも俺の後に続く。


船尾楼の屋上はぐるりと手摺があり、真ん中の床に板が数枚閂で止められている。3番目のマスト辺りまで横8メートル、縦15メートルほどの空間、板で閉められた床の下にプールがある。板で蓋をされたプールの広さは6×8メートル。まあまあの広さだ。


キシリアもそれが目についたようで興味深げに板を見る。


「これは何ですか?」

「板を外せばここにプールがあるんだよ。今水が入っているかは分からないが。」

「わあ!面白いですね。見せてもらっても良いですか?」

「いいんじゃないかな。勝手に水を使うわけにはいかないが。」


いつかベラとやったように、左右に分かれて板の閂を外し二人で板を後方に運ぶ俺達。

下のプールにはやはり水は張っておらず乾いた底が見える。

それでも構わずに板を順番に外して運んでいく。二つ折りの板は山積みになっていく。


「ウフフ。勇者さん、楽しいですね。」


キシリアが板の片方を掴んで運びながら言った。

特に必要の無い作業なのだが、こうやって二人で共同作業していると何か心の繋がりを感じて悪くない気分だ。

ほんの少しの目的をもって共に体を動かす。

そこに重なっていく意識。


全ての板をどけて水の張っていない乾いたプール、の穴が全貌を現す。

味気無いものかと思ったが、これもなかなか不思議な光景で目を見張るものがある。


「入ってみましょうか。」


キシリアは腰ほどの高さのプールの穴に服のまま降りてみた。

なるほど。水が無いなら服のまま中に入れるな。

俺も真似して穴に入ってみる。


以前と違い帆が張っていないので見晴らしは格段に上だ。

西の海に沈む夕焼けを見ながらプールの穴の横壁に背をつけて並んで座る俺とキシリア。

俺がキシリアの右に並んでしまったので、風で彼女の長い髪が俺の顔にパタパタとかかる。


「あ、すみません。」

「あ、いや、俺がバカだった。座る場所を間違えたな。」

「ウフフ。わたくしが左に詰めちゃったからですね。」


それを言うならもともと真横に座る必要はなかったんだ。

何故そこに座ってしまったのか?


キシリアは両手を壁際に下ろしてながかって胡座をかいている俺の上を四つん這いで這うように右側に移った。

そして肩が付くくらいの距離で座って笑顔を向けた。


「これで宜しいですね。」

「ああ、ごめん。」


彼女の仕草が、手に届く近さが、笑顔の眩しさが、なんだか照れ臭いような気がして、なんと言っていいか分からずにただ謝った。


「いいえ。」


キシリアはそんな俺を見越しているように優しく俺を眺めている。

俺は夕日を見ているのか?彼女の顔を見ているのか?


どちらにしろ綺麗なものを見ているのことは変わらないか。

むしろ夕日はいつでも見れるが彼女の顔を見るのはそういうわけにもいかない。

ここでは彼女の顔を見るのが正しい選択のように思える。


彼女を見ていると、ふと幼い頃に見た絵本のことを思い出した。

もちろんクリス達が見ていた妙なモノではなく、子供が見る短いおとぎ話が描かれたものだ。

どこかの国のお姫様が悪い竜に拐われてそれを騎士が救い出すというごく単純な話だった。

騎士は姫を追って火の山を超え、氷の湖を渡り、風の森を抜け、竜の棲む深い大地の穴蔵に辿り着き、竜との死闘の末、姫を取り戻す。

ただそれだけの数ページの絵本だったが、幼い俺達、俺とアーサーとアンナはその絵本の出来事を真似てよく遊んだものだ。俺とアーサーは持ち回りで騎士と竜の役をやり、アンナはお姫様役がお決まりだった。

あの時アーサーはアンナにお姫様役は似合わないと文句を言っていて、アンナは怒っていたが、今思えばアーサーはアンナの騎士に、アンナはアーサーのお姫様になったんだな。

懐かしい思い出だ。一度二人をちゃんと祝福してやるために会いに行かなければな。

だが、子供の頃に繰り返し遊んだ絵本の内容は騎士が竜を倒すまでの話で、その話のあと、絵本の結末を思い出せない。いったいあの二人は最後にどうなったのだったか。

本のタイトルを思い出せない。作者も意識したこともない。本自体も4年前に封鎖された村の家でその時あったか無くなっていたかもわからない。

あったとしてもモンスターの攻撃で潰された家が雨ざらしで、原形を留めているかも怪しい。

何か心にポッカリと穴が空いたような気持ちになる。


いつか寝ていると思ってルーシーにお姫様と呼んだことがあったが、どうやら俺は騎士と姫という関係に憧れを抱いているようだ。


俺を見るキシリア。

そうか。彼女は俺が心の中で理想として思い描いていたお姫様の姿に似ているんだ。


「どうかなさいました?」


キシリアを見ながら考え込んでいる俺を不審がって声をかけるキシリア。


「いや、ごめん。ちょっと昔の事を思い出して・・・。」

「ウフフ。思い出、ですか。わたくしにとっては今がかけがえのない思い出です。ルーシーさんやクリスさんがとてもうらやましい。ずっとこうやって勇者さんと一緒に旅をしていたなんて。」

「ずっとと言うほど長くはないけど。」

「どうして勇者さんとわたくしはルーシーさんより先に出会わなかったのでしょうね。」


無茶な事を言う。


「出会ったさ。魔王の城で。ルーシーもクリスもセイラも、そして君もあそこで会った。」

「そうでした。ルーシーさんはあなたを探して、見つけ出したのでしたね。当てもない孤独な旅でただあなたを求めて。」


キシリアの言葉にドキリとした。

考えたことも無かった。ルーシーが俺を探していたこと・・・。最初は褒美目的の騙りとさえ疑っていたが、辺境の村に引っ込んだ俺を探すのは並の労力ではなかったはずだ。

何故そこまでして俺を探したのか?アルビオン王と謁見し魔王の娘の話を持ち出すには俺の褒美という場所を作って便乗するのが都合は良かったかもしれない。

しかし魔王の頭部を持っていたルーシーならアーサー達に掛け合って本物と認めさせる事だってできたはずだ。ルーシーの姿を見ていない二人でも流石に認めざるを得ないだろう。アルビオンの近辺に住んでいたアーサーを探すのはそう大変でもない。

俺である必要は微塵もない。


「ねえ、勇者さん、やっぱりプールに水を入れてみませんか?」

「え?でも、俺達がちょっと入るだけで貴重な真水を大量に消費するのは気が引けるが。」


また考え込んでいるとキシリアが現実に引き戻した。


「ウフフ。わたくし達の能力のことをお忘れですか?」


そうか。魔人の力ならば空気を水に変えて船のタンクを使わずともプールに水を張れるのか。毎度の事とは言え、こちらの常識を簡単にぶち破ってくる。


「それならそれで水着を着た方がいいですよね。先に着替えましょうか。」


え?俺もか?


「えーい。」


そう思っているとキシリアは俺の肩に指を当てた。

俺の服が一瞬消え去り、青い海水パンツが現れた。


え?一瞬全裸になったような気がするが・・・。


「ウフフ。わたくしも。」


キシリアは立ち上がり俺の目の前に仁王立ちになる。

そしてやはり一瞬全裸になった後、赤い耐水性のビキニの水着を纏った。

固まる俺。


「凄いでしょう?」


キシリアは手を広げてポーズをとり、おどけて見せた。

確かに凄いがどれのことを言っているんだ?

能力の事か、水着の事か、スタイルの事か。

どれも申し分ないのではあるが。


「次はこちらです。」


キシリアがそう言うと乾いたプールの穴にみるみる水が湧き出てきた。

正しくは空気が変化したのだろうが、勝手に湧き出てきたように見える。

腰ほどの高さのプールだ、そんなに焦ることではないとはいえ、底に座り込んでいた俺は急いで立ち上がった。


「このくらいで良いでしょうか。さあ、勇者さん一緒に入りましょう。」


股下ほどの高さに水位が上がり、立ち上がった俺を正面から両手を引くキシリア。

両手を引かれて思わずキシリアの顔を見る俺。

夕日を背に風に髪をなびかせ、水着姿で笑顔を向ける彼女。

遠くで響くロザミィの翼の音。波に揺れる船体。


すべてが・・・。


夢の中の出来事のようだ・・・。


現実味が薄く。どんどん遠くなっていくような気さえする。


惚けている俺に不思議そうな表情で困惑しているキシリア。

ニッコリと笑い腰を屈めて両手で水を掬うようにバシャバシャと俺にかけてきた。

また現実に引き戻される俺。


「つめたっ!」


上半身に水をかけられビクッとする俺。そこまで冷たいわけではない。


「ウフフ。勇者さん、ぼーっとしないでわたくしと遊んで下さいね。」

「ぐぬぬ。よーし。そういうことなら、こっちはこれだ。」


俺はしゃがんで肩まで水に浸かると両手の平でいわゆる水鉄砲を作った。

手を結んで手のひらの中に水を含ませ、手を閉じることで親指と親指の間から勢いよく水を飛び出させるアレだ。

そしてキシリアに向けて水を飛び出させた。

立っているキシリアの胸辺りにまで飛んでいった。


キョトンとするキシリア。

水をかけられた胸に両手を添える。


うっ!ちょっと調子に乗ってやり過ぎたか。そこまで飛ぶとは思ってなかった。


「ご、ごめん。」

「なにを謝っているんですか?それ面白いですね。もっとわたくしにかけてください勇者さん。」

「え、ええぇ・・・。」


ここを狙えとばかりに胸を張るキシリア。

遠慮がちに再び水鉄砲を撃ってみるがそこまで飛ばずにキシリアの腰辺りにかかる。


「こちらからも行きますよー。」


キシリアの反撃だ。腰を曲げ両手を使い水を掬い上げてバシャバシャと巻き上げる。

これにはさすがにお手上げだ。手で水を防いで向こうを向く俺。


「うわー。広範囲の攻撃は防げないなー。」

「ウフフ。わたくしの射程は広いですよ。」

「そこか!」


一旦手を緩めたキシリアの胸を水鉄砲が突く。


「あん。勇者さん胸ばっかり。もっと別の場所にもかけてください。」


そこを狙えということかと思ったが違ったか。


「射程は広いですが、わたくしの得意なのは接近戦です!」


肩まで浸かっている俺に被さるように抱き付いてくるキシリア。

腰だけ引けてしまったが動くことができずに腕の中に抱き締められてしまう。

またも俺の頭を彼女の胸で圧迫されるが、腰が引けていたので彼女の抱き付いてきた勢いに負けてそのまま倒れ込む。

ドボンと二人でプールに沈む。


しばらくして抱き付いたまま離れずにプールに横になって浮かぶ俺達。

非常に近い距離で瞳がぶつかる。

キシリアの視線にドキリとしてすぐに離れる。

俺はしゃがんだ状態で起き上がり頭を振って髪の毛の水を振り落とした。

キシリアもそれにならってしゃがんだ状態でプールの底に座って髪をかきあげる。


「ハハハ。困ったおてんばお嬢様だ。」

「ウフフ。そうですよ。わたくしおてんばなんです。」


ニコニコしながら答えるキシリア。

ハハハと笑い見つめ合う俺達。俺の緊張、と言うか困惑もだいぶほどけたようで、気安くなった感じがする。


俺達はプールに体を投げ出してプカプカ浮いてみたり、時折バシャバシャと水を掛け合ったり、飛び付いてくるキシリアを受け止めたり、だらだらと楽しく時を過ごした。

夕日も沈んで夜風の冷たさが身に染みてきたとき、そろそろプールを出ようということになった。


「勇者さん。わたくしと遊んでくれてありがとうございます。」

「いや、こちらこそ。楽しかったよ。プールで遊んだのって生まれて始めてかもしれない。」

「そうなんですか?そういえばわたくしも始めてかもしれないです。こんなに楽しかったのは・・・。」

「え?」

「ウフフ。プールの水は空気に戻しておきましょうね。」


そう言ってキシリアは水を消していく。水位が下がる。プールにしゃがんでいた俺達は投げ出された形になった。

俺の濡れた体も乾いていく。

なんだか侘しい気持ちになる。


「服も元の・・・。」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。」


キシリアが言いかけたとき俺はキシリアへ後ろを向けた。

一瞬全裸になるんだろうから正面を向けていると見えてしまう。


「いいよ。」

「はい。」


俺が合図するとわざわざ俺の前にズイとやって来て二人の水着を消してしまう。


「あ!」


と言うが早いか、元の服が戻ってきた。


「どうかしましたか?」

「い、いや。なんで正面に・・・。」

「ああ、わたくし物の形を戻すときにロックナンバーを見て戻さなければいけないんです。」

「ロックナンバー?そういえばクリスがそんなこと言ってたな・・・。そういうことか。」

「けして勇者さんの裸が見たいから前に出たというわけではないんですよ?」

「ああ、うん。分かったよ。」

「ウフフフフフ。なーんて、嘘です!ウフフ。」


ええぇ、どっちが嘘なんだ。


プールの穴から這い出て後ろに置いてある板の蓋を今度は順番に閉めていく。

月明かりがあるとは言え足元に注意しなければ。


「ふー。これで元通りですね。」

「ああ、お疲れ様。今日はもう暗くなったし、部屋に帰って休もうか。明日の朝には町に着くだろう。」

「はい。そうしましょう。」

「明日は何があるのかさっぱり分からない。ルーシーがどうするつもりなんだかな。」

「楽しみですね。」


ニコニコしているキシリア。

うーん。竜をなんとかする方法をルセットに相談しないといけない。

俺には不安しかないのだが。


「まあ部屋まで送るよ。」


大した距離でも複雑な経路でもないのだが、そう言うしかないよな。


「ありがとうございます。」


縄梯子を降りて船尾楼、右舷側のドア、ラウンジ、シャワー室を越えてシングルベッド二つの部屋に歩いて行く。

途中からキシリアが俺の右腕を組んできていた。

なにかフワフワした感覚だ。


「さあ、ここだな。今日はありがとう。おやすみ。」


彼女が内開きのドアに入って行くのを見送るつもりで立っていたら、組んだ腕をそのままに部屋に入ろうとするキシリア。


「え?」


多少の抵抗をものともせず俺を部屋に連れ込んだ。

なんてパワーだ・・・。引きずられてまったく動じなかった。


腕を組んだまま俺をじっと潤んだ瞳で見つめるキシリア。


「わたくし勇気を出しました。勇者さんを、へ、部屋に・・・。」


そういえばミネバと同室だったはずだが、まだ戻ってきてないのか。

部屋で二人きり・・・。さきまでも二人だったのだが、船員達とか人はどこかに居たはずで、完全に二人きりというわけでもなかった。


いやいや、なにを意識しているのだか。部屋で二人になったところでルーシーと居たときと変わりはしないのだから。ははは。


「わ、わ、わたくしも、勇者さんと、そ、添い寝したいです!!ああぁ!言ってしまいました言ってしまいました!恥ずかしい!!」


キシリアの方も勝手に盛り上がっているようだ。

しかし・・・ここで寝てしまうとルーシーに後で何と言われるか恐ろしい。


「部屋で、ルーシーが・・・待ってるといけないから・・・。」

「やっぱり勇者さんはルーシーさんが良いんですか?」

「そういうことでは・・・。ルーシーは俺が居ないと眠れないそうで・・・。」

「暗くはなりましたけど、まだ眠るには早い時間ですし、ミネバさんが戻ってくるまで、もう少しここで勇者さんと一緒に居たいです!」


潤んだ瞳から固い決意がみなぎるキシリア。

そ、そうか。ミネバが戻ってくるまではクリスも部屋に戻らないだろうから、それまでの間ならここで過ごしても良いか。

俺は食事にも行きたいのだが。


「わかったよ。手のかかるわがままお嬢さんだな。」

「アハ。勇者さん、ありがとうございます。そうです。わたくしおてんばでわがままではしたない女なんです。お嬢さんかどうかはわかりませんけど。」


俺の承諾に腕を組んだまま飛び上がるように喜ぶキシリア。

その姿を見ると俺も嬉しくなってしまう。


そういえばここの部屋に入ったのも始めてのような気がする。

幅3メートル縦5メートル程の面積の部屋で、ドアから入ってすぐ手前に固定された丸テーブルと2脚の椅子が対面に置かれている。それからベッドが右舷側を頭に縦に二つ並んでいる。ランプの灯りだけで薄暗い。


手前のベッドに俺を導くキシリア。

縁に二人で座る。


「あのう。わたくしと格好だけでいいので添い寝をしてくれますか?」

「ああ。」


ここまで来て断るのもなんだし、特に深く考えずに頷く俺。

弾けるような満面の笑みを俺に向けると、俺の右腕を組んだままベッドに横になろうとするキシリア。

俺は抵抗せずに背中を着けてベッドに真っ直ぐに横になる。

キシリアは俺の右腕にそのまま抱き付いている。

彼女は俺の顔をジーっと見ている。俺もつられて彼女の顔に目を向ける。


「ウフフ。ドキドキしますね。」

「そうだな。君の積極性には驚かされるよ。」

「勇者さんは押しに弱いとセイラさんに聞きましたから、わたくし押して、押して、押しちゃいますよ。」

「それは弱ったなあ。」


俺は苦笑いした。そんなに押しに弱いかな?


「勇者さんのこと色々知りたいです。色々聞いても良いですか?」

「色々って?」

「好きな色とか好きな食べ物とか、趣味とか・・・。」

「ははは。色は白が好きかな。食べ物は食べられれば何でもいいけど海鮮パスタとかがオススメするくらいには気に入ってる。趣味は・・・なんだろう。」

「女性を虜にして回ることですか?」

「なんだそりゃ。」

「ウフフ。自覚がないのが厄介ですね。それでは好きな女性のタイプとかはどんな方が好みなんです?」

「気になる言い方だなぁ。好きなタイプは君だよ。」

「え?」

「君だよ。さっき思ったんだ。子供の頃に見た騎士とお姫様の絵本のお姫様に君が似ているって。」

「勇者さん!本当に無自覚に!」


キシリアは顔を伏せてバタバタと俺を叩いた。


「アハハハハ。安心してくれ。嘘じゃないから。」

「もう、余計ドキドキしてしまいます。」


叩く手を休めて口許に手を添えた。


「俺は君のことが聞きたいな。どこ出身なのかとか、なにをやっていたのかとか。」

「人間のときの事は忘れてしまいました。」


キシリアは悲しそうな顔をした。

別の意味でドキリとして顔を見直した。多少心安くなったと思って調子に乗って触れてはならない傷に触れてしまったか。

今の彼女にとって人間だった頃の事など戻ることのできない過去でしかない。


「ごめん。至らなかったよ。」

「いいえ。いいんです。勇者さんにわたくしのこと知りたいって思ってもらって、嬉しくもあるんです。でも、昔のことを思い出そうとすると、やっぱりまだ・・・。」


俺の腕を強く抱き締めるキシリア。ただ思い出したくないというより何か辛いことでもあったのか?


「もし話が出来るようになったら、勇者さんに聞いてもらっても良いですか?」

「ああ。もちろん。」


ニッコリ笑うキシリア。


「それより、ルーシーさんとクリスさんはいつもどのように勇者さんと眠っているんでしょうか。わたくしも同じようにやってみたいです。」

「え?いや、こんな感じだよ。腕にくっついて・・・。」

「うーん。嘘です。きっとこんな感じで・・・。」


俺の腰辺りを膝をたてて跨がるようにし、両手を頭の隣に起き、四つん這いになるキシリア。そのまま俺の上にのし掛かるようにスルスルと降りてきた。


「さすがにそれは・・・。」


俺はドッキリした。俺の頬に彼女の頬が当たる。体も密着している。腰辺りを跨がるように足を開いて俺の上に乗っている。両手が俺の手を探して指を絡ませ握り合う。


「大胆だよ・・・。」


ゴクリと生唾を飲む俺。

キシリアがどんな顔をしているのかは俺からは見えない。


「わたくしも勇者さんが一緒じゃないと眠れないと言ったら、気にかけて一緒に眠ってくれますか?」

「いきなり急にそんなこと言われてもだな・・・。」

「ウフフ。信じられませんよね。」


頬を刷り寄せ、指を絡ませた手をニギニギし、体の隙間を埋めるように腰をくねらせるキシリア。彼女の大胆さは一線を越えている。いくらなんでも押しすぎだ。


「このまま勇者さんと一緒に過ごせればいいのに。」


首を上げて俺の顔の正面に向かい合い俺を見つめるキシリア。

俺には彼女の考えていることが分からない。


ただ彼女の視線から目を背けずに見つめ返す。


そのまま何も話さずしばらく見つめ合っていたが、ドアがガチャリと開く音で俺達の見つめ合いは終わった。


入ってきたのはミネバだった。

俺達がベッドで横になっているのを見て、わざとらしい二度見をした。

キシリアは俺の上から退いてベッドの縁に座り直した。


「ありゃー?もしかしてお邪魔しちゃった?それとももうお済みで?」

「そんなことありませんよ。ミネバさんが戻ってくるまで勇者さんに居てもらっていただけです。」

「あはーん。そうかなー?そうは見えないけどなー。勇者のスッゴい絵本を見てたらもっとスッゴい事が部屋で起こっていたなんてなー。」

「起こってないよ。」

「起こっていませんよ。」


疑うミネバに俺とキシリアが同時に反応した。

顔を見合わせてクスクス笑うキシリアと俺。


俺はベッドから起き上がるとドアへと歩いて行った。


「ミネバが戻ったということはクリスも部屋に戻ったんだろうな。」

「うん。帰ったよ。」

「じゃあそろそろ俺も帰ろうかな。二人とも今度こそおやすみ。」


俺はそそくさと部屋を出ていく事にした。ミネバにからかわれたら厄介だ。

ドアの近くに居るミネバの横を通り過ぎようとすると、ミネバに抱き付かれた。


「勇者ー!!生勇者ー!あたしにもくれー!!」

「なんだよいきなり。」


珍獣に抱き付かれた気分だ。この差は何なんだ。

Tシャツの襟を持って引き剥がすと、俺はドアに手をかけ、今度こそ部屋を出ていこうとした。


「おやすみ。また明日。」

「おやすみなさい。わたくしのわがままに付き合っていただいてありがとうございました。また明日も宜しくお願いしますね。」

「ああ。それじゃ。」


そう言って俺とキシリアは挨拶して別れた。

ドアを閉める時にミネバとキシリアの会話が少し聞こえた。


「ホントのとこはどうなのよー!」

「何もありませんって。」


さて時間が経ってしまったが、ルーシーとフラウ、戻ったクリスが待つ部屋に帰ろう。帰ったら食事に一緒に行きたいな。もう済んでるかもしれないが・・・。


この間クリスが何をしていたか、また彼女に書いてもらうとしようか。

ミネバとロザミィ、彼女達の様子を見に行ったクリスの動向を聞いてみよう。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る