第68話
後ずさる俺。にじりよるルカとエル。
「さあ、黒い三角形に乗って。連れていってあげるから。」
俺が乗ってきた板がまだ横に置いてある。
危ない。さっき試しに目を盗んで乗ろうとしなくて良かった。
どこに連れていかれるか分かったものじゃない。
後ずさっても後ろは絶壁。降りることはできない。
横に逃げたとしても、この崖の上から降りられるところなんて無いはずだ。
再三考えたように絶体絶命の虎の穴に飛び込んでしまったわけだ。
「ほらあそこ見て。」
ルカの視線が俺の背後に向いているようだ。
首だけで後ろをチラリと見る。
小さくて分かりづらいが、さっきまで俺が座って待っていた岩にルーシーが座っているようだ。
何も言わず突然居なくなった俺を待っているのだろうか。
「健気ねえ。」
ここで叫べば気付いてくれるだろうか。
だが、ルーシーがここに来るまでに勝負は着いてしまいそうだ。
それに黙って行ってしまった罪悪感というかばつの悪さがあって、そんなことはできない。
とは言え、そうですかと易々と捕まってしまうわけにはいかない。
なんとか逃げる方法を考えないと。
ここで捕まればもう二度とルーシーやフラウ、クリスとも会えないかもしれない。
俺は右手の崖のスレスレを横に歩き出した。
ルカとエルがその動きに合わせて詰め寄る。
「逃げられると思っているの?」
「私達がどうやってここに来たか分かってる?」
当然飛んで来たんだろう。
たとえ逃げられたとしても追われるのは必至だ。
「簡単に諦めるのはさらに愚か者だ!」
俺はダッシュで右手の崖のスレスレを走り出した。
崖の内側に行かせまいとエルが俺に並走してピッタリ着いてくる。
速い!
必死で走る俺の横を、俺の様子を伺う余裕をたっぷり持ち合わせながら笑顔で並走するエル。
スポーティーな出で立ちから想像できるように、運動神経は抜群のようだ。
「アハッ!逃げても無駄だよ。捕まえちゃうから。」
数十メートル走っただろうか、全く引き離せない。俺の体力の方が消耗するだけだ。
俺は膝に手を付いて立ち止まった。
「あれ?もう観念したの?もっと逃げるかと思ったのに。」
エルが俺の目の前に仁王立ちしていて崖スレスレから内側に一歩も入れない。
ルカもすぐに追い付いてきた。
「意味が分からない。どうして逃げようとしてるの?セイラに気に入られてるのに。あなたにとって天国のような場所のはずよ?ずっとセイラと一緒に居られるんですもの。」
「それは君の価値観だろう。」
ゆっくりと上体を起こし二人を正面で捉える。
俺の後ろは崖下だ。
「天国は地獄の底に在るんだったな。なら地獄の底に落ちよう。」
俺は崖の方へ後退し、飛び降りた。
「あ!落ちた!」
「嘘でしょ!死ぬなんて!」
崖の上で二人が驚いた声が響いた。
俺はまっ逆さまに50メートル以上ある高さの崖を斜めに落ちていく。
やがて重力が俺を掴む。真下への厚がかかる。
そこで俺の体は停止した。
ここはさっきロザミィが俺を空中歩行させた場所だ。
トンネルを越えたすぐ近く。周囲10メートルに張られた俺だけが飛行できる結界。
俺は滑り降りるように残りの数十メートルを下に降りていく。
「あ!生きてる!ロザミィの能力がまだ残ってたんだ!」
「あー。びっくりした。」
上で微かに二人の声が聞こえる。
追ってくるのか?トンネルを抜けるとすぐログハウスの近くだ。
そこまで逃げれば・・・。
波状の凸凹の地面に着いた。
後ろを振り返る余裕はない。空を飛べる二人なら追い付かれるのは時間の問題だ。だが、トンネルに入りさえすれば空からの強襲はできないはずだ。
道が悪すぎて走ることはできない。
ただ急いでトンネルまで進むのみだ。
背後の空中で何か飛行しているものがある。
さっき俺が乗って崖の上に上がった黒い三角形にルカとエルが乗っているのか。
音もなく空中を移動している。
見ている余裕はない。急げ急げ!
出来るだけ低い高低差の岩を飛び越え、ジャンプで一足飛びに乗り移り、トンネルの入り口を目指す。
残り5メートル!
ヒュンヒュンという不気味な音が背後から聞こえる。
何の音だ?
何かが回転してる運動の音のようだ。
バシッと音が放たれた。何か投棄された。
俺の前にあった岩が砕け散る。
矢のようなものが刺さったように見えた。
矢は刺さった瞬間に消えた。
さすがに動きを止める俺。
振り向くとルカがしゃがんで三角に座っている。
エルがその後ろで弓のようなものを持ってこちらを狙っている。
「アハハ。次は威嚇じゃなくて当てちゃうよ。殺すつもりはないから足を狙っちゃおうかな。足だけなら後で作ってあげるからね。どんな形になるか保証はしないけど。」
ゾッとする。
ライラは旅人の脳みそを保存するために首から下を植物の根っこのように変化させていたという。
逃がさないために動きを制限させようというのか。
「あなた頭が良いのね。上から降りる方法を最初から計算に入れてたの?まさか偶然ではないわよね。」
ルカが声をかける。
「そうだよ。計算済みだ。」
これは嘘だ。
崖の上スレスレを走っているとき何かを踏んだような気がして思い出した。つまり崖の上まで飛行の能力が及んでいると知ったのは今が初めてだ。
「ふーん。」
ルカは唇を噛んだ。
先を読まれたと思い込んで悔しがっているのか。
残り5メートルの逃亡劇。ここまで来て諦めるわけにはいかない。
トンネルに入ってしまえば出口まで空から強襲できない。
入り口に先回りされることも、恐らく無い。
ログハウスが近いので何かあればルーシーが気付くはずだ。
俺一人だけを呼びつけた以上ルーシー達を相手にするつもりがないんだろう。
なんとかしてあと5メートルを無事に乗り切る必要がある。
凹凸はあと二つ。その先のトンネルの入り口へは斜めになった石畳が
広がっている。そこまで行けば中に滑り込めそうだ。
両手を上げて降参のポーズをとる俺。
「分かった。俺の負けだ。でも等価交換で取り引きをするなら、俺からも君達に条件を出してもいいかな。」
空から弓で狙われているとただでは済まない。なんとか彼女達に隙を作らないといけない。
一芝居うつのは俺には不得意分野だが、そんなことを言っている場合でもない。
「あなたにはプラスにしかならないでしょう?アジトの場所が分かる。セイラと一緒に居られる。何か不満があるの?」
「仲間と離れ離れになるし、自由も無くなるんだ。不満くらいあるよ。それに君達との交換条件にはならないだろ?」
「アハッ!勇者が出す条件って何かな?」
エルは弓の構えを解いた。
「俺はセイラよりも君達の方に興味があるんだよな。だから交換条件に君達ともう一度触れ合いたい。だが俺の体は一つだ。等価交換なら条件にどちらか一人を選ばなきゃいけないよな。」
「は?」
「え?」
「俺にはどちらかなんて選べない。そこで君達二人でどちらか俺に触れ合うか決めてくれないかな?」
「はあぁ!?」
「えぇっ!?」
顔を合わせるルカとエル。
二人は仲が良い。どちらか差し出せと言われてもすぐには決まるまい。
迷っている隙に岩を飛び越えてトンネルに逃げ込もう。
顔を赤くして二人が俺を見る。
「そそそそれってキス以上のことを、すすすするってこと?」
「ここで今する・・・の?」
「え?」
今度は俺が顔を赤くした。
そんなつもりではないが、この際どういうことでもいいだろう。
俺は逃げる隙が欲しいだけなのだから。
「そうだな。良く考えてくれよ。」
二人は浮いている三角形の上で膝を付いて話し合いを始めた。
俺はそーっと岩の坂を滑り降り、次の岩の上部に手をかける。
「セイラより前に勇者を味見なんてしていいと思う?怒られたりしないかしら。」
「連れていくための条件だったら仕方ないんじゃないかなー?後でゆっくりじっくりたっぷりできるんだし。大丈夫だよ。」
「そうね。じゃあどちらにするの?」
「え?ルカはどうしたいの?」
「エルは当番いつだった?」
「もう覚えてないよー。解放される10日ほど前?」
「うーん。私もそのくらいだった。じゃあ順番で決めるのは難しいわね。仕方ないからコイントスで決める?」
「それ終わらないやつじゃない?それより、ねえ、二人共一緒じゃダメなのかなぁ?」
「そうね。3人で・・・あ!」
俺は最後の岩を登り終え、斜めの石畳を駆け出していた。
「勇者が逃げた!」
「私達を騙したのね!」
「先に約束を反故にした君達に責められるいわれはないな!」
「このー!」
エルの声と何かの回転する音、次の瞬間風を切る音、落雷が落ちるような乾いた音が背後に突き刺さった。
俺はトンネルの中に逃げ込んでいた。
「当たったらどうするのよ。」
「狙ってないよ。ちょっと酷いと思ったから撃ちたかったの。」
そんな会話が背後で聞こえた。
俺は振り返らずトンネルの中を走った。
前に書いたように斜めになった石畳が続く蛇行した通路だ。
逃げ込んだとは言えエルの足の速さなら追い付かれるかもしれない。
必死で走っているとポケットから声が響いてきた。
「上手く逃げられたわね。私達を拐かすなんてちょっと許せないけど、今日のところは見逃してあげるわ。でも明日覚えてなさいよ。」
「期待させた分しっかりやってもらうんだから!」
鱗をポケットに入れておいたんだった。
しかしこれで逃げおおせたのか。
俺は肩で息をしながら膝に手をついた。
この島の捜索はまだ終わってない。明日の捜索で何か仕掛けてくるつもりか?
なんとなくこの件はルーシー達に報告しづらいな。
ルカとエルにノコノコ呼び出されてキスをして、拐われそうになって逃げ帰ったとは情けない話だ。
言うにしても落ち着いて朝にでも話そう。
ルカとエルがこの島に居ること、明日仕掛けてくる可能性があること、垣間見た二人の能力。そしてヒントの中身。
報告した方がいい部分もある。
とにかく今はロザミィが作ったというシャワーにでも入らせてもらおう。
俺はトンネルをトボトボと歩いて帰った。
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