第39話
沖に4艘浮かんでいた救命艇のうちの1艘が突然沈没した。
乗っていた4人の男達が海に投げ出される。
何が起きた?
全員の視線がそちらに向く。
「うわあっ!」
投げ出された男が1人叫んだかと思うと海に沈んでいく。
他の3人が急いでその場を離れようと泳ぎだす。
沈んだ男の下辺りから鈎爪の付いた触手が海面に躍り出る。
そんなまさか。
本体がすでに分離して水中に逃げ出している!
あれだけの火力と爆発でも仕止めきれなかったというのか。
逃げようとした3人を無情に鈎爪で突き刺し、空中に持ち上げる。
俺達は浅瀬に駆け出し沖に向かう。
叫ぶルーシー。
「みんな逃げて!」
すでに救命艇に引きあげられていたアレンと操舵士。その救命艇を含めた残り3艘はオールで触手の躍り出る海面から離れようとする。
「アイツ出てくる!」
クリスが叫ぶ。
やつのいる場所は底の深い沖のはずだ。
それなのに階段を上がってくるように、海面から徐々にやつの本体が頭を出してくる。
これまで見た魔人同様、青い肌、白い髪、赤い目。背中から無数の触手が生えている。白い可愛げな上下の下着が何か異様さを醸し出している。
俺達は浅瀬で止まった。
水中戦になると思われていたが、どうやら違うようだ。
海面どころか何もない空中の上を歩くように全身が海から出てきている。
すかさず弓を射るルーシー。
火は着いてないが自警団の皆を逃がす時間稼ぎが必要だ。
矢は魔人の近くまで飛んでいき、何もない空中に静止して落下した。
まるで見えない壁でもあるかのように。
「何も見えないのに!?」
クリスが声をあげる。
クリスにも見えない?では本当に何もないのか?
「やつが何かを変化させるにしろ物理の法則は変えられないはずよ。透明な壁とか空中に浮いてる物体なんて作れるとは思えない!」
ルーシーが不思議がる。
ここまで焦っているルーシーを見るのは始めてかもしれない。
事態が相当深刻なのだという事だけは確かなようだ。
「とにかく弓が通じないとなると剣で直接たたっ斬るしかない。私達も沖に出ましょう。あの漁船を借りるわよ!」
先まで俺達が隠れていた漁船に走る。誰のものかは分からないが緊急事態だ。使わせてもらおう。オールも一本火種に燃やしてしまった。
繋がれているロープを4人で引っ張る。作業自体は困難ではないが、気持ちが焦る。早く早く早く!
空中の高い位置まで階段を上るようにゆっくりした足取りで歩く魔人。
不意に立ち止まるとそこから一気にジャンプして逃げようとしている救命艇1艘に乗り掛かる。
人間大の重さのものが飛び乗ったことで飛沫をあげグラつく救命艇。
4人の男達の叫び。迎撃も防御も逃亡もそんな行動をとる間もなく一瞬で鈎爪が4人の男の胸を貫く。
そして胸を貫かれた男達を鈎爪にぶら下げるように高らかに持ち上げていく。
魔人が救命艇の真ん中で立ち上がる。
不敵な笑みを浮かべ貫いた男達を鈎爪から振り落とす。
どういう構造になっているのかは分からないが、鈎爪の先から人間の血を吸い取れるようになっているのか。
だとしたら今の一瞬で8人もの血を吸い取ったことになる。
巨大鳥に変身するのに膨大なエネルギーが必要として、すでに補充が完了しているのではないのか?
もしまた巨大鳥に変身されれば今度はもうなす術は・・・。
しかし魔人は狙いを定めるかのように残りの2艘にも視線を投げる。
アレンの乗った救命艇はこちらの浜辺に進んでいる。もう1艘は後退した戦艦、沖の向こうだ。
どうやらアレンの乗った救命艇に狙いを定めたようだ。
こちら方面に向かって再び空中を歩き出した。
漁船を海まで引っ張ってきた。あとは押して波に浮かべればいい。
間に合ってくれ!
漁船を押しオールで漕ぎだす俺達。
クリスはいつでも飛べるように船首に立ち上がる。
アレンは逃亡を諦めたのか、オールを持って漕いでいた団員からそれを奪ってから魔人迎撃に備える。
他に武器が無いとは言え、それで対抗するのは無茶だ。
高い空中に立ち狙いを定めるようにジャンプする魔人。
それに会わせて腕から針を発射するクリス。
だがルーシーの矢同様、魔人の近くまで行くと空中で力なく静止し落下してしまう。
まだアレンの乗った救命艇とは距離があるが、クリスは構わず低くジャンプする。
どうやら海に浮かぶ爆散した戦艦の破片を足場にして救命艇に乗り組むつもりだ。
魔人が救命艇に着地する。アレンの目の前だ。
アレンにとっては恐怖の瞬間だったろう。
だがクリスの突撃がどうにか間に合った。
肘からの骨針を一閃。凪ぎ払うように魔人の体をかすめる。
魔人も触手を盾のようにして骨針の一撃を防いだのだ。
「勇者の船に移って!」
クリスがアレン達に叫ぶ。
「すまねえ!」
アレン達4人は海に飛び込む。
せまい船の上では4人を守りながら戦うのは不可能だ。
俺達も早く救命艇に急いで彼らの救助とクリスの援護をやらなければ。
「クリスお姉さん。あと二人人間の血をちょうだい。」
魔人が喋った。
ゾッとする。その姿と行動とは似つかわしくない甘ったるい声だ。
巨大鳥の咆哮も、同じ存在があげていたとは思えない。
「ロザミィ、あなたの血で打ち止めよ。」
クリスが凄む。
「あと二人って、まさか。」
漁船を漕ぎながらルーシーが呟く。
巨大鳥に変身するためのエネルギーの必要量、ということか。
触手をクリスに向けて伸ばしていくロザミィ。
せまい救命艇の上ということ、20はある数と直進というより振り子のような変則的な動きが厄介だ。
しかし早さと鋭さはクリスの方が上回っている。
背中の骨針でそれらを切り裂き懐に迫る。
後方に翻り何もない空中に着地ししゃがみこむロザミィ。
「お姉さん強いね。」
「どうやってそこに立ってるの?」
「ウフフ。」
空中から触手を次々に伸ばして攻撃してくるロザミィ。
クリスの骨針は伸ばして3メートルというところか、そのリーチの遥か外の10メートル付近から無数の触手を自在に操る。
襲ってくる触手を次々に切断して攻撃を回避するクリス。
しかし防戦一方。
射程外で空中からの攻撃にロザミィ自身には反撃できない。
ジャンプで届く距離ではあるが回りは海。一度飛んだらまさにとりつく島がない。
一定距離を置いてクリスの周囲を歩くように、何もない空中を悠々と歩くロザミィ。
早速クリスのジャンプを警戒して取り付かせないようにしている。
次第に攻撃が急所一点狙いから狙いを読ませない牽制や多段攻撃、同時攻撃が重なってきた。
これはいつかクリスもルーシーに対してやってきた攻撃だ。
だが範囲と数は段違いに厄介だろう。
俺達の乗った漁船にアレン達自警団員が泳ぎ着いた。
腕を伸ばす俺とフラウ。
ルーシーは船首に立って服を脱ぎ始めた。
一瞬何をしているのかと伸ばした腕が固まってしまった。
「勇者様、彼等を引き上げたら陸の方に戻って。私はクリスを援護するわ。」
ルーシーは下着姿になった。
剣だけは背中に背負っている。
水色の上下の下着はシンプルながらもポイントでギャザーがあつらえられてオシャレなデザインだ。フワッとした布地も着心地の良さを思わせる。
上の服の露出部分を考えてかブラの胸元は大きく開いて、パンツはハイレグTバックになっている。
「勇者様、ちょっとあんまりじろじろ見ないでよ!」
しまった!固まってしまったが、確かに海を服を着て泳ぐのは泳ぎにくかった。
海に飛び込むルーシー。
陸へ向かえということだが。丸腰のアレン達を戦いに巻き込むのは得策ではない。あと二人誰かが犠牲になるとロザミィが巨大鳥に再び変身してしまうことも防がなければならない。
それは分かるが、クリスと二人で大丈夫なのか。
「惜しいなー。お姉さんそんなに強いのに敵になるなんて。あたし達と一緒に来ればいいのに。」
「行くつもりなんてない。」
「また昔みたいにチューしてよ。」
「してない!」
「ウフフフフフフ。足元も気を付けて。」
「あ!」
クリスの足元にグルグルと触手が巻き付く。
下を向きそれを骨針で切断するが、同時に上からも触手が首に巻き付いてくる。
「ウフフフフフフ。首だけ持って帰って別の物体にくっつけちゃおう。セイラお姉さんもきっと喜ぶよ。」
魔人の変化させたものは別の魔人に変化させることはできない。
完全に変身を解いて別の魔人に変化させられれば解くことは出来ない。
今はクリスもロザミィも変身状態なのでお互い干渉できない。
ロザミィは魔人の元の姿ではあるが触手を出しているのは変身状態なのだ。
「趣味悪いわよ。」
ルーシーが救命艇に手をかける。
「あんたは黙りなさい!今はクリスお姉さんと話してるんだからぁ!」
ルーシーには冷たい態度だ。そういえばセイラも生意気な新人とか言ってたような。
救命艇に乗り込んだルーシーがクリスの首の触手を剣で断ち切る。
「聞いた?あれが変態って言うんだよ。私変態じゃない。」
「変態というか・・・。まあそれはいいわ。」
クリスとルーシーがのんびりとした会話をしている。
「あれ?ルーシーかわいい下着着けてるね。それあたしにちょうだい。」
ロザミィがルーシーの下着に興味を示した。
今の激昂した態度とは一変したようだが・・・。
「欲しいの?だったら取りに来なさい。譲ってあげるわよ。」
「あんたを殺してね!」
再び触手の攻撃が始まる。
ルーシーにめがけて放たれた攻撃であろうが、クリスが前に出てそれを切断せずに骨針で巻き取るように束ねて引っ張りあげる。
俺がセイラにやったように触手を拘束することでロザミィの変身能力を押さえようというのか?
だが触手は全て押さえたわけではない。完全に拘束できてはいない。
ルーシーがそれを見て触手の束に飛び乗る。
そして走りだしロザミィに近付く。
親指ほどの太さしかない触手の上を走る!
ルーシーは軽業師の真似までできるのか!だがこれならどこにロザミィが逃げようが背中から伸びた触手を伝って奴に近付くことができる!
ルーシーの剣がロザミィの首を斬り落とす。
問題はここからだ。変身からの再生で何度でも復活してしまう。
「あんたあああぁあっ!」
ロザミィが光に包まれ首が元に戻る。
さらに剣を降るルーシー。そうはさせまいと残った触手でめちゃくちゃに攻撃するロザミィ。
バランスを崩しクリスが引っ張っている触手に片腕でぶら下がるルーシー。
危ない!
俺は手に持ったオールを見た。先までフラウが火種として使っていたオールだ。先が黒く焼き焦げている。
木造の漁船に乗り込むときに危険だからとあえて海水で消火して使ったやつだ。弓矢も効果がないとわかっていた。
「火種が。」
俺がそう口にするとフラウがランタンを差し出してきた。
「あります!さっき予備のランタンに移しておきました!」
よく気のつく娘だ。
俺は早速油を含ませた布を巻いた弓矢を用意した。
俺の弓の腕はあまり良いとは言えないが今はそんなことはどうでもいい。
「フラウ、頼む!」
「はい!」
俺は炎の矢を放った。
矢はロザミィとルーシーの頭上に飛んでいく。
ロザミィが無視すれば通り過ぎて向こう側に行っていたろう。
だがやはりロザミィの近くで失速し海へと落下する。
ルーシーが俺の意図に気付いてくれた。
落下する炎の矢を剣で掬い上げるかのように振り上げ、炎を宿した布を剣に纏わせロザミィに叩き込んだ。
「ぎゃああああああああああああっ!」
ロザミィが断末魔のような叫びをあげる。
だが悲しいかなここは海の上。落下し海に落ちれば炎は消える。
一足早く落下するルーシー。
それに続き何もない空中から燃えながら落ちるロザミィ。
そうはさせまいとクリスの骨針がロザミィを空中で刺し貫く。
引っ張っているときに救命艇ごと距離を詰めていたのか!
これならやつを燃え尽きるまで逃がさずに済むかもしれない!
ゴウゴウと燃え続けるロザミィ。
しかしやつも抵抗を止めない!
燃える触手をクリスの骨針にグルグルと巻き付かせる。
まずい!クリスごと燃やしてしまう気か!?
「私よりあんたの方が早く燃え尽きる。」
「あああ、ああああああああああっ!」
違う!ロザミィの狙いはクリスではなく救命艇だった!
骨針を伝ってクリスの足元の船底に鈎爪を突き立てる。
「こいつ!」
何度も何ヵ所も。すぐに水没していく救命艇。
海に沈む救命艇。そしてクリス。そして燃えていたロザミィ・・・。
なんてことだ・・・。あと一歩、あと一歩という所まで来たというのに・・・。ここが海の上でなければ・・・。
光と共に浮上するロザミィ。見たことのあるハーピーの姿に変身していた。
「こっちはいいや。あっちに行こ。」
あっち?まずいぞ、沖に逃げていた救命艇の方だ。あの救命艇にも4人乗っている。
だが空を自由に飛ぶハーピーに俺達はどうする事も出来ない。
弓矢も効かない、追い付けるはずもない。
遠く離れていた救命艇に一瞬で追い付き、空中から鈎爪の触手を垂らして団員4人をあっという間に帰らぬ人としてしまう。
空中で4人を吊るすように持ち上げ海へと投げ捨てる。
俺達はそれを呆然と見ているしかできなかった。
アレン達もまるで絵空事を見ているようにそれを眺めていた。
クリスとルーシーも海から頭を出し力なく漂っていた。
地獄絵図はそこから始まった。
ロザミィは必要量のエネルギーを得て巨大鳥に再び変身した。
ムクムクと太り、装甲を作り出していく。
そして退避していた戦艦へと向かう。
砲弾の迎撃など全く寄せ付けずに今度は第1甲板に着地する。
無数の触手で甲板を引き剥がす。
逃げ惑う乗組員を次々に鈎爪で襲い掛かる。
第2甲板に潜り込むとさらにそれを剥がし、船底に逃げようとした乗組員をも執拗に手を下す。
一人残らず殺害すると、戦艦を真っ二つに引き裂き船ごと大破させる。
沈む戦艦。それで満足したのか空中を何度か旋回すると、海へと飛び立っていった。
途中で姿を眩まし何処へ行ったのか観察は出来なかったそうだ。
クリスにもはっきりとは分からなかったという。
漁師死者22人、自警団死者28人。合計50人が死亡した。
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